第1話

文字数 2,000文字

 コンコンコン。
 約束の時刻の一分前。事務所の中に、扉をノックする音が響く。
 本当に時計のように正確な人だ。
「こんにちは。今日もよろしくお願いいたします」
 扉を開けて入ってきた彼女が、にこやかな笑みを浮かべる。
「やあ、いらっしゃい。今日はどうします? コーヒー? 紅茶?」
「では、紅茶で」
 飲み物を用意すると、先に来客用ソファに腰かけていた彼女の正面に腰を下ろす。
「前回はどこまで聞きましたっけ?」
「遠くに魔王城が一望できる小高い丘に到着したところまでですね」
「ああ、そうでしたね」
 彼女は、探偵事務所を営む俺の上客だ。
 なにやら『自分は魔王討伐に向かう勇者一行と行動を共にしていた妖精で、異世界からこの地へと転生したはずの勇者様を探してほしい』のだそうだ。
 こんな頭のネジが一本ぶっ飛んだような依頼を受けたのには、理由がある。
 金だ。
 数年前、とある難事件を解決した俺は、メディアに度々取り上げられ、一時は依頼を選別しなければならないほどの多忙を極めた。
 だが所詮一発大きな花火を打ち上げただけの俺に、そんな好調な時期が長々と続くわけもなく、しばらくするとさぁーっと波が引いていくように依頼は激減した。
 そしてちょうど一年前、この探偵事務所が傾きかけた際に救世主のように現れたのが、彼女だったというわけだ。
 高校生で歌手デビューした彼女は、妖精のような愛らしい容姿と歌声で、日々の癒しを人々に与え続け、そして四十を迎えた一年前、突如として引退を発表した。
 確かにデビューしたての頃のような触れるだけで壊れてしまいそうな儚い愛らしさはなくなったものの、年齢を重ねることで完成された美しさが、大人になった今の彼女には間違いなくあった。
「まだ引退するには早すぎたのではないですか?」
「いえ、それよりも私にはやらなければならないことがありますので」
 初回の面談時、世間の大多数を代弁したかのような俺の質問に対して、笑みを浮かべながらも彼女はきっぱりとそう答えた。
 かく言う俺も、転職した身。元は警視庁の刑事だった。だが組織というものがどうにも性に合わず、こうして一国一城の主となったわけだ。
「では、今日は魔王城での戦いについてお話しましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
 月に一度、彼女はこうして俺の事務所へと、転生前の勇者一行の旅について語りにくる。そして約一時間話したあと、『引き続き勇者様の捜索をお願いいたします』とだけ言って帰っていくのだ。
「魔王城の中はひんやりとした空気に満ちておりました。いつ敵が襲ってくるかと慎重に進んでいきましたが、勇者様の背丈の三倍ほどもある大きな扉の手前に到着するまで、一度も敵と遭遇することはありませんでした。そうです。魔王のいる玉座の間に通じる扉まで、私たちはついに辿り着いたのです。重い扉を開けると、人間に似た容姿の魔王が玉座に座っておりました。人間と違うのは、頭に生えた二本の角、そして相対するだけで怖気づきそうなほどの膨大な魔力。ともすれば震えそうになる四肢に喝を入れ、私たちは最後の決戦に挑みました。戦いは幾日にも渡り続き、ついに魔王の首に勇者様の刃が届いたそのとき、魔王は私たちを道連れにするために、城を倒壊させたのです。そのとき、私は必死の思いで勇者様と自分自身に転生魔法をかけました。平和な異世界で、今度こそ共に手を取り合い、心穏やかに、そして最期に幸せだったと言えるような日々を送ろうと」
「——ティファ」
 自分でも気づかぬうちに零れ落ちた名に、俺自身が戸惑う。
 なんだか胸がざわざわする。なんなんだ、一体これは。
「私の名……ひょっとして、思い出されたのですか?」
 彼女の目が大きく見開かれる。
「魔王城……玉座の間……覚えている。まさか、本当にこんなことが……?」
「一年間、通い続けた甲斐がありましたわ」
「それじゃあ……」
 俺はたまらずソファから立ち上がった。
「そうです。私が勇者様に転生魔法をかけようとした瞬間、あなたは最後の力を振り絞って勇者様を壁際まで突き飛ばした」
 ごくりと喉が鳴る。
「数年前、大きな事件を解決し、英雄のように世間からもてはやされるあなたを見て、愕然としました。やはりあなたが彼の代わりに転生していたのだ——と。そして、あなたが仕事に困るよう仕向け、いよいよ事務所が傾きはじめたとき、私はあなたの救世主のような顔をして、あなたの前に立った」
 そう言うと、彼女は傍らに置いた自分のカバンの中に手を突っ込みながら、静かに立ち上がった。
「ま、待て。とりあえず俺の話を……」
「あのときも、そうやってあなたは勇者様に命乞いをした。心優しい勇者様は、そこで一瞬ためらってしまった。それが結果命取りになってしまったのです。私はそのことを忘れていない。今度は騙されない。私と勇者様を引き裂いたあなたのことだけは、何があっても絶対に許さない!」
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