前座~あかずの間へ来たあなた様へ…

文字数 5,317文字

 
―― 妨げるものが無く全てに存在する場所…… 虚空。
例えるならば、 此処はそういったものに近しい場所です。

 ―― ようこそお越し下さいました。 あかずの間にお越し下さいました事を心より御礼申し上げます。
 上座から簾の屏障具越し…… 我の顔も姿も隠したままのご無礼をお許し下さい。
 
 これより皆様に御聞かせ致しますのは、 四人…… いえ、 四体の怪異なる噺家が紡ぐ古の記憶。 噺家と孤高なる巫女との、 因と縁とのお噺で御座います。

 あかずと呼ばれた存在と縁を結んだ、 全ての物語を総称して『怪異噺あかず』と…… 「私」は呼んでおります。 皆様にも同じように御理解頂ければ幸いでございます。

 この場を預かるのは「私」で御座います。 残念ながら、 私は噺家ではございません。
 なれば如何なる存在か。 本来の私はひとつの識でありましたが、数多の願いによって生成された意識の集合体でもあります。 後者が近しいと、 私は私を認識しております。

 ―― 意味が解らない? それでよいのです。 私の事は、 あかずの間と名付けられたこの空間に識を置く、 噺家ならぬ、 語り手とでもお呼びくださいませ。

 怪異噺あかずの異界の寄席に全ての役者が出揃うまでには、 少々時間を要する様です。
 余興と致しまして…… 何処にも記される事の無い物語をお聞かせ致しましょう。
 噺家では無い私の語りを、 どうぞ寛大なお心でお聴き頂けたらと、 思う次第です――


 *** *** ***

 ―― それは…… 泰平の世を求めた時代。 現在の「日本」と呼ばれる国が、 まだ統一されていなかった時代。 血で血を洗う過酷な戦に身を置く事でしか…… 地位を掴み取る術が無かった時代。 仏道に即する者達がその手に人命を奪う武器を持つ、 僧兵なる者が存在した矛盾の時代。 罪を犯しながらも天下泰平を夢に描いた時代。

 あらゆる想いが錯綜したこの時代を、 現世では「戦国時代」と呼びます。

 戦国には様々な物語がございますね。
 戦国武将の生き様は、 書物、 映像、 音楽…… あらゆる形で今も皆様の心を揺り動かす因となっております。
 かの過酷な戦乱の世を記憶する人々は、 途切れる事無く時代の悲惨さを語り継ぎました。 時を越えて現世で多くの人々に愛される所以は、 やはり繋がれた数珠の様に、 あらゆる形であの時代が語り継がれたからではないかと、 私は思うのです。

 ですが…… 私が語るのは、 先にも申し上げた通り、 決して何処にも記されない物語。 人々に愛される戦国の世…… 正確には戦国末期に存在したとされる古の巫女の末路のお話しでございます。

***

 とある地方の国人領主が治める小さな村には、 通り過ぎる旅の者達の心を癒す、 美しい湖が広がっていました。

 薄紅葉が山々を彩り始める秋宵、 湖の水鏡に映る四季の葉は美しく、 欠けたまんまの月の光に照らされて、 きらきらと…… 流れる風に踊る様にさらさらと、 それはそれは綺麗に水面を揺らしておりました。
 巫女は紅色の紐で装飾された金色の梓弓を手に持ち、 瞼を閉じて静かに…… 山々に囲まれた村の、 湖の畔に佇んでいます。 巫女はその瞬間が来るのを静かに待っていたのです。
 松明を手に持つ村人達は、 緊張した面持ちを浮かべ、 湖から離れた安全な森の中から巫女の背を祈る様に見つめておりました。 村人達も又、 その「瞬間」が来るのを、 息を殺して待っていました。

 上弦の月が、 雲に覆い隠されました。 ゴロゴロと、 不穏な雷の轟きが天から地上に降り注ぎます。
 紅色の稲光が雲間を走った光景は、 さながら龍が夜天を駆け抜けた様であったとか……

 夜の空を泳いでいた稲光が、 地に落ちた時、 巫女は眼をゆっくりと開き、 天を仰ぎました。 その時が来た事を巫女は悟ったのです。
 与えられた機会は一度…… その最大の好機を、 巫女は決して逃す事は無かったのです。
 巫女は雲間を走る紅色の稲光に梓弓を掲げると、 鉉を爪弾きました。
 その音は遠く…… 彼方の山々を越えて、 天上界に御霊を置かれる神々が思わずうっとりと目を細めるほど、 美しく響いたとか。
 巫女は囁きます。


『つかまえました』


 巫女が行ったのは神懸かりと呼ばれる儀。 人ならざる者をその身に憑依させる術。 降霊と同じ類のものです。
 巫女は村に祟りを齎していた「蛇神」を、 その身に降ろしたのです。 己の意思とは関係なく、 強制的に巫女の内部に引き込まれた蛇神は、 巫女の中で荒れ狂いました。


『っ…… あかず!? 何故だ、 何故!?』


 蛇神の低い叫びが周囲一帯に木霊します。 ここで巫女の名を明かしましょう。 その巫女の名は「あかず」
 あかず…… この怪異噺の世界を構築する名であり、 怪異なる四体の噺家が愛する、 孤高なる巫女の名です。
 ―― これはこれは摩訶不思議。 私が識を置く、 この空間の名を覚えていますか? この空間の名は、 あかずの間……
 話が逸れましたね…… 何処にも記されない物語に戻りましょう。

 蛇神は巫女あかずの御霊の内で荒れ狂い、 巫女あかずから離れようとしました。 巫女あかずは全力で抑え込みました。 命を削って――
 巫女あかずの覚悟を感じた蛇神…… 蛟蛇(こうじゃ)は、 ここでようやく我に返ったのです。 返った…… なれば蛟蛇は、 何らかの理由で自我を失っていたのでしょうか? 謎は深まりますが…… 私が語るのは、 あくまでも怪異噺の余興…… 何処にも記されない物語。
 蛟蛇は、 巫女あかずに問いました。


『あかず…… まさかその身を代償として我が命を』


 蛟蛇を抑えていた巫女あかずは、 とうとう膝から崩れ落ちました。 霞む視界、 巫女あかずの思考にあかず以外の意識が流れ込んできます。 例えば神であったり、 若しくは《ツキネガウカミ》の声が巫女あかずの脳内で木霊します。
 巫女あかずは乱れる呼吸を整え、 幾千の神の声を聴き…… 幾億のツキネガウカミの思念から己を保ちました。
 巫女あかずは役割を全うするまで、 己の意識を奪われてはならなかったのです。

 村人達は巫女が絶命する瞬間を待ち望んでいました。 たった一人の巫女の死で、 村人達は苦から解放される事を知っていたからです。 巫女の死を深く望むしか、 平穏な未来を見出せなかったのでしょう。

 巫女は深く息を吸い込んで、 一天四海に響くほど大きく、 気高く…… 最期の言の葉を叫びました。


『わたくしと共に地獄へ堕ちなさい、 今此処で。 この湖の底へ』


 巫女あかずは蛟蛇を取り込んだその身を、 深い湖へ投げました。 同時に稲妻が湖に落ちました。 やはり紅色の閃光でした。
 巫女の身が湖に沈むと…… 落雷を宿していた暗雲は次第に晴れ、 欠けた月が光る夜空から、 ぽつぽつと雨が降り注ぎました。
 それは深い哀しみを現した、 涙の雨であったと。 そう表現しても…… よいのかもしれませんね。

 涙の雨が降り注ぐ中で、 歓喜に満ちていたのは村人でした。 巫女の死は、 人心供儀の成功であり、 蛇神の祟りから救われた証であったからです。

―― ひとつの命と引き換えに、 村人の全てが救われた。
―― 人柱によって救われた村。 …… 結として、 どう実を結んだのでしょうか。 この村は未来世に…… 令和の世に、 巫女が沈んだ湖の村は存在するのでしょうか?

 …… あぁ…… そう言えばこの様な言葉を聞いた事があります。 ―― ひとつの首を撥ねれば、無数のあなたの首が飛ぶ。そういう事なのでしょうね。
 現代において、 巫女あかずが人柱となった湖の村…… その地が示すのはダムです。
 龍神ダムに沈んだ村。 獅童村(しどうそん)には、 かつて美しい湖が存在しました。 深い、 深い湖底に眠る巫女は…… 微かな陽の光さえ届かない深水の中で、 何を思っているのでしょう。

役目を全うできて喜んでいるのか
儘ならぬ何かに怒っていたのか
己の不甲斐なさを哀しんでいたのか
最期の瞬間でさえも笑い楽しんでいたのか

 元々、 人柱や生贄の儀式は日本に留まらず、 古来より様々な国、 地域に存在した神聖なる儀でした。
 今の時代の方々は、 こういった儀式をどう捉えるのでしょうか。
 もしも…… 人の手に負えない厄災が訪れた時、 それを神の怒りとして受け止めた時、 生贄を捧げる事が人々によって決められた時。
 その白羽の矢が「己」に当たった時、 世界の為という名目の元、 あなたは死ねますか?

 数多の人の単純かつ切なる願いの為に、 命を捧げられますか? 捧げた結果として、 本当に厄災は鎮まるのでしょうか?

 そうはならない、 と申されるのであれば…… 世はとても豊かになった証であり、 何かを信ずる心というものは、 失われつつあるのでしょう。

 お祭りはお好きですか?

 お祭りから何を連想しますか? 賑やかな屋台や花火を思い浮かべる方が多い事でしょう。
 楽しい印象の「お祭り」も、 起源を辿れば『災い』から生じたものが多いのです。 その時代、 その人々が祟りや流行り病を恐れて、 土地に神を祀り、 祭事が設けられた。 それが祭りなのです。 有名な祭りを挙げるとすれば、 京都の祇園祭で御座いますね。
 そういった伝承は『伝説』となり、 祭事は娯楽の一部として人は祭りを認識し、 文化として残りました。
 不吉な伝説は都市伝説と呼ばれる様に…… なって往くわけでございますが……
 
 申し訳ありません。 大きく話が逸れましたね。
 巫女あかずの話に戻りましょうか。

 何にせよ、 生贄によって己が救われた。 村人にそう思わせる事が、 巫女にとっては大切だったのです。 それが巫女の目的でもあったのです。
 巫女の死が本当は「人身御供」としての、 人柱としての「死」では無かった。 それが真実だとしても―― 信じる者は救われるのです。 たった一瞬であったとしても、 神の祟りから救われたと思いこめたのですから、 村人達は幸せだったと思います。
 序章で真理に触れてしまった気も致しますが、 まぁ今後の噺に差し障りは無いでしょう、 きっと。

 …… そうそう ―― 巫女あかずは今わの際に、 この様な言霊を遺しました。
 これこそが巫女が犯した最大の罪であり。 怪異噺が生まれる起源になりました。


『花は鳥と踊り、 風吹き、月に沈む―― 』
 
 
 湖に沈む巫女が放った言葉。
 それは、 死に逝く孤独な巫女の最期の…… 切なる願いでもありました。
 巫女は怪異なる四体の者達へ願いを託しました。 本来であれば、 己の死と共に怪異なる四体の者達を解放するつもりでした。 でも、 巫女はこの者達に願ってしまったのです。 次なるあかずを、 閉じてほしいと。

 巫女を慕った四体の怪異なる者達は、 巫女の言霊を受け入れて、 その願いを成就させる瞬間まで…… 巫女と共に深い眠りにつきました…… とさ。

 めでたしめでたし、 という言葉で、 締め括りは、 出来ませんね。 私が語ったのは…… 所詮は何処にも記されない物語。 幕が開かれるまでの暇を潰すだけの余談。
 本当の怪異噺は、 今から始まるのです。 怪異なる噺家の目覚めと、 次なるあかずの目覚めと共に。

 ―― そう言えば、 呪いと祈りも紙一重…… 表裏一体の概念でございますね。 なれば、 この呪いの物語は祈りへ裏返る可能性もございますね。
 どこに帰結するのか…… この間に身を置く私にも、 何も見えぬのです。 この世界は数多に分岐しており、 その結末は不明。

 しかし…… 全ての、 怪異噺あかずに縁を結んだ方が幸福になる。 そんな結末を望みたいのです。 これは私、 個人の願いで御座います。

 
 ―― おっと…… 時が来た様ですね。
 語り足りぬ所も御座いますが、 あかずの間へと来たあなたへの前座としては、 長すぎたくらいでしょう。 これより、 怪異噺あかずの幕開けで御座います。
 どうぞ…… ごゆるりと、 寛容なお心で…… 怪異なる噺家が紡ぐ奇異なる物語に耳を傾けてくださいませ。

 又、 怪異噺あかずには「私」以外にも、 噺家ではない「語り部」が存在致します。
 時には…… 怪異なる噺家では無い人物が、 物語を紡ぐ事もあるでしょう。


 最後になりますが

 皆様が『噺』を聴く場所は「あかずの間」では御座いません。
 異界の寄席は、 この地と異なる次元に存在致します。

 ですので…… 一度、 強制的にこの妨げるもののない虚空…… あかずの間からご退席頂くのを、 ご理解いただけますと幸いです。

 皆様と再び、 このあかずの間で再会できるか否か。
 それは、 未だ来ぬ、 先のみぞ知る…… と、 申し上げておきます。

 ―― もしも、 この間へ戻って来た方がいらっしゃったなれば、 その時は……
 私は……
 いいえ…… なんでもございません。


 では、 怪異なる者達が紡ぐ、 奇異なる世界へ。 どうぞ、 いってらっしゃいませ。
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