道を拓く者

文字数 8,930文字

 
 女子プロ野球リーグ・JWBLの女王決定戦、両チーム1勝1敗で迎えた最終戦。
 最終回の7回裏、ツーアウト満塁。
 石川雅美はブルペンでの投球練習もそこそこにマウンドに向かった。

d(>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 スコアは3-2、迎えるバッターは相手の主砲、4番バッターだ。
 味方の先発ピッチャーは6回まで無失点の好投、テンポ良くツーアウトを奪ったまでは順調だったが、先頭のトップバッターを歩かせてしまった。
 続く2番は高く弾む三遊間へのゴロ、サードに任せた方が良い打球だったが、ピッチャーは自分で素早くマウンドを駆け下りてボールを掴みファーストへ。
 タイミングは微妙だったが送球が少し高く逸れ、ファーストの脚がベースから離れてしまいセーフ、2アウトながら得点圏に走者を進められ、逆転の走者も出されてしまった。
「雅美、投球練習を始めてくれ」
 監督の指示で雅美はブルペンへ向かった。
 チームに絶対的なクローザーはいない、その都度最も調子が良い中継ぎをクローザーに起用してきた。
 この試合でも先発ピッチャーが6回に少し疲れを見せ始めたのを受けて、左右2人の中継ぎが投球練習を始めていたのだが、優勝がかかったこの大事な試合、それも一打逆転のピンチに自信を持ってマウンドに送れるリリーフピッチャーではない。
 そして自らの判断ミスに動じたのか、それとも今日2本のヒットを浴びている3番を警戒しすぎたのか、フォアボールを与えてしまった。
「雅美、行くぞ」
 そう言い残して監督はベンチを出てマウンドに向かった。
 ある程度の時間稼ぎはしてくれるだろうが、それも無制限と言うわけには行かない、雅美は投球練習に力を込め始めた。

d(>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 石川雅美。
 小学4年生の時に地元の少年野球チーム、サンダースで野球を始め、小学校を卒業すると、前年に設立されたばかりのサンダー・ガールズに進んで野球を続け、女子野球部のある高校を選んで進学、そして高校卒業と同時に女子プロ野球チームに入団して今年5年目。
 小学校時代から比較的体が大きく方も強かったのでピッチャーを希望したが、当初は遊び半分のちゃらんぽらんな練習態度だった。
 だが、人間何が幸いするかわからない。
 遊び半分で投げていたナックルボールが武器となり、5年生の時には6年生男子との二枚看板で全国大会まで進んだ。
 その頃から本気で野球に取り組み始め、高校は女子野球部のある学校を選んで硬式に転向した。
 硬式のボールはゴムで一体成形された軟球よりも縫い目と革の段差が大きく、ナックルボールはより大きく変化する、雅美はそのナックルを武器にプロ入りし、今やチームのエース、と言うよりも女子日本代表のエースとまで言われるようになった。

 しばらくマウンド上で先発ピッチャーと話していた監督だったが、審判に促されてボールを受け取った。
「ピッチャー、佐藤由美に代わって石川雅美、背番号11」
 スタジアムにアナウンスが流れると、雅美は歓声を背に受けながら小走りにマウンドに向かった。

 d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 平成元年、新日鐵堺の野茂英雄投手が、8球団の競合の末に近鉄バッファローズに入団した。
 そしてその年、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の四冠を独占し、MVPと沢村賞、そしてもちろん新人王も獲得する大活躍を見せた。
 野茂投手のフォームは一度後ろを向いてしまうほどに体をひねる独特のもの、『トルネード投法』と呼ばれ、ひねりをパワーに変えた剛速球と鋭く落ちるフォークボールが武器、反面、体を大きく使うフォームゆえにコントロールにはやや難があった。
 入団当時の監督は、そのフォームを彼の特徴であり、長所であると認めてくれて、野茂投手は思う通りのピッチングができた、だが5年目にピッチャー出身の監督に交代すると、その独特のフォームが疑問視された、コントロールに難があるのはフォームのせいだと言うのだ。
 確かにそれは否めない、しかし体をひねることでより速いボールを投げられることもまた事実、彼は自分のフォームを変えたいとは思っていなかった。
 そして、走り込みよりも遠投や筋トレを重視する調整方法も否定されてしまう。
 監督に不信感を抱いた野茂投手はトレードによる移籍を希望したが、チームはそれを認めずに、チームに残る意思がないことを知ると任意引退の扱いとした、自由契約ならば他のチームと自由に交渉できるが、任意引退だと復帰した場合の保有権はバッファローズに残る、つまり他チームへの移籍を封じてしまったのだ。
 その際、野茂投手が選んだのがアメリカ大リーグへの移籍、当時日本人大リーガーは皆無、前例がないわけではないがそれは30年前に遡る、任意引退のルールはアメリカ大リーグへの移籍を想定していなかった、彼は日本プロ野球機構のルールに縛られずに野球を続ける道を見つけたのだ。
 その後の大リーグでの活躍は良く知られる通り。
 ダイナミックでユニークなフォームから繰り出される剛速球と鋭く落ちるフォークボールは大リーガーたちをきりきり舞いさせた。
 その後12年間大リーグに在籍した彼は、122勝を挙げ、二度にわたるノーヒット・ノーランも記録した。
 アメリカではトルネード投法を否定する指導者はいなかった、それぞれの選手が最も自分に合ったフォームだと考える以上、それを直すように強制することはしない、しかもそのダイナミックで独特なフォームはファンの心をがっちりと掴んだ。
 そして、野茂投手の成功以来、大リーグに挑戦しようとするピッチャーが続々と現れ、大リーグ側も日本のピッチャーに興味を持つようになったこともあって、大リーグへの移籍が頻繁に実現するようになった。
 野茂投手は日本人選手が大リーグでプレーする道を切り拓くパイオニアとなったのだ。

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 マウンドに上って既定の投球練習を終えた雅美は、バッターボックスに4番バッターを迎えてキャッチャーのサインを覗き込んだ。
 初球からナックルボールの要求……ナックルボールは投げた当人ですらどう変化するかわからない、キャッチャーにしてみれば後逸してしまう危険が高いボールだ、3塁にランナーがいるこの状況ではなるべく避けたいと思っても不思議はない、おそらくはバッターも同じことを考えているはず。
 雅美はキャッチャーの心意気を受け止めて渾身のナックルボールを投じた。
 ボールは一度外角に外れるような変化を見せた後、逆に変化し、ストレートを予測していたバッターは手を出せずに見送った。
「ストライク!」
 球審のコールがスタジアムに響いた。

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 だが、史上初の日本人大リーガーは野茂投手ではない。
 初の日本人大リーガーになったのは、1962年に高校中退で南海ホークスに入団した村上雅則投手。
 チームはプロ1、2年目に伸び悩んだ村上投手を大リーグの下部組織、日本でならば4軍に当たる1Aのチームに野球留学させた。
 その際、上部組織のサンフランシスコ・ジャイアンツは、契約書に「大リーグに昇格する選手が出た場合、1万ドルの金銭トレードで契約できる」と言う一文を盛り込んでいたのだが、昇格する選手が出るわけはないと高をくくっていたホークスは意にも留めていなかった。
 が、ジャイアンツはサウスポーでサイドスローに近いスリークォーターで投げる村上投手をワンポイントリリーフとして重宝すると考え、彼に大リーグ昇格のオファーを出す。
 慌てたホークスは異論を唱えるが、契約書に先の一文がはっきりと記されていてはどうしようもない、村上投手はそのまま大リーグに昇格し、2年間で54試合に登板、5勝1敗9セーブ、防御率3.43と言う好成績を残す。
 村上投手の処遇についてはジャイアンツとホークスの間で紛争となり、調停の末に村上投手はホークスに連れ戻されてしまったのだが……。
 野茂投手の成功の影に隠れる形にはなってしまったが、野茂投手よりも30年も早く日本人大リーガー第1号となったのは間違いなく村上投手だった。
 もし村上投手がそのまま大リーグに残っていたら……まだ22歳だったことも考えると、彼に続く日本人大リーガーは、30年の時を待つことなくその後も誕生していたかも知れない。

 野茂投手が大リーグに移籍する際も同様だったが、選手よりもチームを優先する姿勢が見え隠れする。
 無論、野球はチームスポーツであり、チームを大切にするのは当然の姿勢と言えるかもしれない、しかし、野球は個人スポーツでもある、ピッチャーとバッターが対峙する時、それは個と個の戦いでもある、たとえ送りバントのシチュエーションだったとしても、バッターは上手く転がそうとし、ピッチャーはバントさせまいとするのが野球だ。
 現在の感覚からするとチームのために個を殺すことも止む無しとする処遇には違和感を禁じ得ない。
 現在の日本では、チームとは、言い換えれば組織とは個の集合体だと考える方向に向かっている、その感覚からすると、大リーグが必要とし、本人も大リーグでのプレーを望んでいた村上投手を無理やり帰国させた南海ホークス、自分を生かしてもらえないと感じて移籍を希望した野茂投手を、任意引退と言う扱いで縛ろうとした近鉄バッファローズは救いようのないほどに横暴だったと感じてしまう、しかし、当時の感覚からすると個を主張して組織に打撃を与えることは『わがまま』と見做されたことも否定できない。
 それが日本社会の構造であり、感覚でもあったのだ。
 村上投手は連れ戻されてしまったが、野茂投手はアメリカで選手生活を全うした。
 それは二人の資質の違いではなく、日本社会の構造の変化がそれを許したのだとも考えられる、そして野茂投手を追うようにして大リーグに挑戦する選手が続々と現れたのはそれを象徴する現象だったとも言えるかもしれない。
 平成とはそんな時代だったのだとも。
 
d(>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 二球目のサインはストレート。
 雅美にも全く異存はない、大きく頷いてセットポジションに入った。

 プロ入りした当時、雅美のストレートの最高速は110キロだった、女子としては遅くもないがそう速くもない。
 高校時代は110キロで充分だった、雅美のウイニングショットは80キロ前後のナックルボール、30キロの差があって、しかもどう変化するか予測のつかないナックルボールを生かせるストレートがあれば、それで文句なく抑えることができたのだ。
 だが、プロとなるとそうは行かなかった。
 ナックルボールは相変わらずウイニングショットとして相手バッターにとっての脅威となったが、担ぐようなフォームで投げる雅美のストレートは回転数が多くはない、同じ110キロでもスピンが効いた伸びのあるストレートなら武器となるが、雅美のストレートはむしろ打ち頃のボールになってしまうのだ。
 壁にぶつかった雅美は、その時にフォームの改造を考えたのだが、監督、コーチは違う意見だった。
 担ぐようなフォームはナックルボールには適している、ナックルボールがあるならばストレートで空振りを取る必要はない、ストレートを捉えられても遠くへ飛ばされなければ良い、必要なのは筋力アップ、重いストレートを投げられれば良い……雅美は全面的に納得して筋力アップに努めた。
 プロではトレーニング設備も充実し、信頼できるトレーナーもいる。
 そうして雅美は120キロのストレートを手に入れた、フォームは変えていないのでナックルボールも80キロから90キロにスピードを増し的ますます捉えるのが難しくなり、回転は少なくても力のあるストレートは完璧に捉えたつもりでも押されてしまう。
 その結果、雅美は押しも押されぬエースとなったのだ。

 外角低めに投じたストレートは見逃せばボールと判定されたかもしれない、しかし追い込まれればナックルがあると考えていたバッターは手を出し、ファール。
 雅美はツーストライクとバッターを追い込んだ。 

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 21世紀となった2001年、日本人野手のパイオニアが現れた。
 イチロー選手である。
 大リーガーとしては体が小さく線も細い、プレシーズンで結果の出ないイチローに対して、ファンやマスコミの目は冷たかった。
 当時日本のゲーム会社がシアトル・マリナーズの大株主だったこともあり、TV放映料目当て、ジャパンマネー目当てで入団させたのではないかと噂された。
 日本時代から付けていた背番号51も、チームのエースだったR・ジョンソン投手が付けていた番号だったこともあって『栄光の背番号を汚すな』とすら言われた。
 だが、イチロー選手は結果を出すことで心無い中傷をはねのけた。
 入団の年に首位打者、盗塁王、最多安打のタイトルに加え、新人王、MVP、シルバースラッガー賞、ダイアモンドグラブ賞などの賞を総なめにし、マリナーズも年間最多勝に迫る高勝率で地区優勝を果たした。
 パワフルなホームランバッターがもてはやされた時代にあって、アレックス・ロドリゲス選手と言う稀代のホームランバッターをFAで失ったマリナーズが目指したのは一発長打よりも脚を絡めた攻撃を旨とする『スモール・ベースボール』、マリナーズがそのジグソーパズルを完成させるにはイチロー選手は必要不可欠なピースだったのだ、そして彼は想像をはるかに超える活躍で期待に応えた。
 その後19年にわたって数々の記録を塗り替えたイチロー選手、彼は先ごろ引退を表明した。
 くしくも、近年になってヒューストン・アストロズが打ち出した『フライ・ボール』革命によって、大リーグが再びホームランバッターの時代を迎えようとしているのはいかにも象徴的、イチロー選手は明らかに大リーグに一つの時代をもたらした存在だったのだ。
 村上投手が先駆けとしてのパイオニア、野茂投手が主力ピッチャーとなったパイオニア、だったとすれば、イチロー選手は野手としてのパイオニアであり、大リーグにスピード革命をもたらしたパイオニアでもあったのだ。

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 三球目のサインもストレート、今度は内角高めへの釣り球の要求だった。
 当然次のナックルボールへの布石だが、内角へ外すとなるとデッドボールも頭に入れなければならない、ピッチャーにとっては勇気がいるボールだ。
 しかし、外角へストレートで外した場合、バッターとしては次のボールはナックルだとある程度決めてかかることができる、しかし内角への釣り球ならば、バッターは外角のストレートとナックルボールの両方を頭に入れて4球目を待たねばならなくなる。
 1球目、キャッチャーは危険を冒してナックルボールを要求し、そこからリードを組み立ててきている、自分が及び腰になるわけには行かない。
 雅美が大きく頷いて内角高めへボール球となるストレートを投じると、さほど内角ギリギリではなかったが、バッターは大きくのけ反って避けた。
 それはバッターの頭には外角への釣り球があったことを示している。
 しかし、内角高めへの釣り球だったことによって、バッターは次の配球を読みにくくなったはず、すなわち外角へのストレートとナックルボール、その両方に備えなければならなくなったはずだ。
 キャッチャーからの返球を受けると、雅美はスコアボード上の日の丸を仰ぎ見るようにして帽子を取り、アンダーシャツで汗をぬぐった。

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 平成30年、365日ある年としては平成最後の年に、新たな日本人大リーガーが誕生した。
 『二刀流』の大谷選手だ。
 ピッチャーとバッターの両方を兼ねる二刀流には日本国内ですら賛否両論、大リーグでそれが通用するはずはないと見る向きも少なくなかったが、彼は高額の契約金を提示したチームよりも二刀流を認めてくれるチームを選んだ。
 惜しくもピッチャーとしてはシーズン途中の怪我によってフルには働けなかったが、バッターとしての非凡な能力も見せつけて、ピッチャーとして4勝2敗、防御率3.31、バッターとして打率.286、ホームラン22本と言う成績を残して新人王も獲得し、『二刀流は無理』と言う声を封じ込める活躍を見せた。
 あのベーブ・ルース選手以後、歴代の大リーガーたちが挑戦すらしなかった二刀流を貫こうとする大谷選手もまた間違いなくパイオニアの一人だ。

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 四球目のサインは予想通りナックルボール、雅美もそれしかないと決めていた。
 キャッチャーのミットは内角へ、そしてワンバウンドに備えながらも横へも動けるよう、女性ならではの柔軟性を最大限に生かして、膝下を大きく開きながら地面すれすれまで膝を落とす構え、雅美はキャッチャーを信じて投げ込むだけだ。
 この1球はチームの今シーズンを最高の形で締めくくるために重要な1球、そして雅美にとっては別な意味でも大切にしたい1球だった。
 セットポジションに入り、3塁ランナーを見やると、雅美は大きく深呼吸をした。
(落ち着いて……集中するのよ……)
 雅美は自分に言い聞かせた、すると視界からすべてのものが消えて行き、キャッチャーミットだけが大きく見える。
 トレードマークのポニーテールを揺らし、雅美は渾身の力を込めてナックルボールを投げ込んだ。
 ボールは小さく揺れながらバッターの手元で鋭く沈み、バットはむなしく宙を切った。
「ストライクスリー!」主審のジェスチャーも思わず大きくなり、キャッチャーミットの中のボールを確認すると、改めて大きな声でコールした。
「バッター・アウト!」 
 真っ先にボールを高く掲げたキャッチャーが、そしてナインが、ベンチのメンバーやスタッフが、一斉にマウンドに駆け寄って来て輪を作る。
 雅美はその中心で思い切り拳を突き上げた。

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 雅美がこのチームでプレーするのはこの日が最後。
 翌年には男子のプロ野球への移籍が決まっている。
 数日前に行われたドラフト、水面下で接触してきていたチームがドラフト6位で雅美を指名したのだ。
 既に雅美の気持ちは固まっていて、チームも快く送り出してくれることになっていたのでドラフト外でも充分だったのだが、雅美を欲したチームはドラフト指名することで誠意と期待の高さを示してくれた。
 村上投手が、野茂投手が、イチロー選手が、大谷選手がパイオニアとなって大リーグに旋風を巻き起こしたのと同じように、今、雅美も史上初めての女子選手として日本のトップリーグに挑戦しようとしているのだ。
 
 自分は指導者や仲間に恵まれた……雅美はそう思う。
 小学校時代の監督は、遊び半分に投げていたナックルボールを認めてくれて、全国大会をも目指していたチームの先発投手に指名してくれた。
 体には恵まれていたものの、あまり本腰を入れることのなかった雅美はその時に変わった。
 自分の為だけではない、仲間の為にも、練習に、試合に真摯に取り組むようになった。
 高校時代、女子野球部がある学校はさほど多くなく、練習試合もままならない中で、とにかく野球が好きだと言う一心で集まった仲間たち、そして厳しくも、個性を伸ばすことを指導の指標としていた監督。
 プロ入りしてからも、壁にぶつかった雅美に的確なアドバイスをくれた監督・コーチ、そして科学的で効率の良いトレーニングを指導してくれたトレーナー。
 プロ入り当初、打たれても打たれても自分の可能性を信じて励ましてくれたチームメイト……。

 パイオニアとは、単に『第一号』である者に与えられる称号ではない。
 『道を切り拓いた』者にのみ与えられる賞賛だ。
 雅美が男子プロの世界で成功するか否か、それは雅美だけの問題ではない。
 後に続こうとする者が現れるか現れないのか、門戸が開かれるのか閉ざされてしまうのか。
 それが全て雅美の肩にかかっているというわけではない、雅美が成功しなくとも、いつか道を切り拓く者が現れるかもしれない、しかし、その時が来るのはずっと先になるだろう。
 道を切り拓くことは容易なことではない、しかしこれ以上やりがいがあることも他にない。
 雅美は今、その出発点に立ったのだ。
 そして、雅美は多くの人に支えられて出発点に立てたのだと言うことを知っている。
 今度は自分が引っ張って行く、それが支えてくれた人たちへの恩返しになるのだと言うことも。

(終)
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