第1話 再会

文字数 3,881文字

 口数少なく闇に紛れそうな服をまとって歩く人々の中から、懐かしくも心地の良い声が聞こえた。

「澤田君、お久しぶりね」

「ああ、ひさしぶりだな」
彼女と会うのは十三年ぶりだろうか。それでもごく自然にこのような挨拶が交わせるのは同期だからかもしれない。
 大学を卒業し、以前いた会社に入社した時、彼女も入社式にいた。俺が十三年前に転職する時に、同期の何人かが送別会をしてくれたが、最後に彼女に会ったのはその送別会の時だ。お互いもう五十歳か……。

「澤田君は誰から連絡が来たの?」
「同じ部署だった山下さんからだよ」
 昨日の昼、年賀状でやり取りをしているだけの山下さんから電話がかかってきた。俺の元上司だった吉田さんが心不全のため亡くなったと……。
 俺が会社を辞める時は部長だったが、五年前に定年を迎えた時は子会社の社長をやっていたようだ。俺は特に問題があって会社を辞めたわけでは無かったから、辞めた後も吉田さんと二回ほど食事をしたことがある。今夜は吉田さんのお通夜。三回目の食事はもう叶わない。
 受付の前では会社関係の人々が多く並んでいる。その列の中には懐かしい顔もたくさんあった。皆も歳をとったな……。
 若い頃は、懐かしい顔に会う機会と言うと結婚式などだったが、この歳になると、葬儀の時ぐらいしか会う機会が無い。
「渡辺さんは吉田さんとは仕事で関係していたの?」
 俺の後ろに並んでいる彼女にそう聞くと、
「澤田君が会社を辞めた後、吉田さんが私のいた部署の部長になったのよ」
 遠慮気味に小さな声で彼女が答えた。俺もそんな彼女の声につられて、声を落とした。
「そうだったんだ」
 場所が場所だけに、あまり笑顔では話せないな。そう思うと会話も弾まない。少し振り向きざまに彼女の顔を見ると、わずかな眼の表情が『なに?』と言っている。決して微笑んでいるわけでは無いが、柔らかく優しいその眼差しに、昔感じたあの心地良さを思い出した。

 顔立ちで恋愛感情が左右されていた若いころ、特に美人では無い彼女に興味を惹かれたことは無かった。俺も人の見た目をどうこう言えるルックスではないが……。
 三十歳を目前にしたある日、久々に同期で焼き肉を食べに行ったことがある。仕事の都合で遅れて店に着いた時には、黒く焦げた網の上に干からびたピーマンとカボチャがのっているだけで、だれも箸を付けることもなく落ち着いた様子で談笑をしていた。あまり目立たないように長机の端に座ると、酒が入ってすでに出来上がっている男連中が、楽しそうにグダをまいてきた。
「澤田~、遅いよ。もう肉、食っちまったぞ」
「スマン、スマン」
「適当に食いたい物を、頼め、頼め」
 向かいに座っていたのが、渡辺さんだった。彼女は残っている肉を丁寧に網の上に乗せ、トングを持ったままじっと焼きあがるのを待っている。俺もワイシャツの袖をまくりながら、煙を上げて焼きあがっていく肉を見ていた。
「お腹空いたでしょ?」
 彼女は持っていたトングをカチカチと動かしながら、微笑んだ。その優しく霞んだような眼差しに心地良さを感じた。その時、初めて彼女を意識したのだろう。
 彼女が焼きあがった肉を俺の前にある皿にのせると、腹が減っていた俺はすぐに平らげた。そして次に焼きあがった肉をトングで摘まみ、皿にのせてくれる。肉を頬張っている俺を楽しそうに見ながら、皿が空くと、トングで肉をのせた。そんな風に世話をやいてくれるのが何だか嬉しかった。
 あの時、彼女は俺に好意を抱いていたのだろうか? いやいや、同期としてのごく自然な行動だな。俺もその時は既に婚約していたし。
 彼女とは部署も、仕事内容も違っていたから、あまり接することは無かったが、時々社内で会うたびに、その眼差しに惹かれた。

 久々に昔の同僚に会ったからか、どっぷりと思い出に浸ってしまったようだ。気づけば焼香が始まっている。隣の席に座っていたご老人が少しふらつきながら立ち上がり、おぼつかない足取りで焼香に向かった。俺もポケットの数珠を取り出しご老人に続いたが、いまだに正確な焼香の仕方が分かっていない事に気づく。
 焼香台の前に来て、ようやく吉田さんに会えたような気がした。遺影の吉田さんは優しく笑っている。いつもこんな笑顔だったな。それは今でもハッキリと覚えている。
 葬儀で焼香をするたびに思う。人は死んでしまうとあっけないものだな、と。切なさと言うか、虚しさと言うか、空っぽな気持ちになる。「頑張れ」とか「大丈夫」とか声を掛けることも出来ない。もう何もしてあげられない、突然終わってしまった、と言う無力感。
 本当に、ありがとうございました……。心の中でお礼をした。

 式が終わった後、別の大広間に立食形式の食事が用意されていた。皿に寿司を三個ほど取り、隅で頂いていると、先ほどまで私語を控えていた昔の同僚が気軽に声をかけてきた。
「澤田さん、お久しぶりですね」
「そうだな、田中も風格が出て来たな」
 そんな会話をしていると、二人、三人と集まり、お互いの近況を報告しあったが、さすがにお通夜なので互いの肩をたたきながら再会を喜ぶような雰囲気ではない。自然と皆、「ではまた」と静かに会釈を交わし、その場を去っていった。
 取り皿の寿司を食べ終え、手もちぶさたになった時、コートを羽織ながら部屋を出ていく渡辺さんが目に入った。挨拶はしておこうと思い、式場を出たところで彼女に声を掛けた。
「渡辺さん、帰るの?」
「ええ。子供が待っているだろうから。また何処かで会えるといいね」
「次は誰のお通夜の時かな」
「澤田君、不謹慎だな~」
 渡辺さんは笑いながら俺を指さした。今度いつ会えるのだろう、そう思うとこのまま別れるのが惜しい。ダメでもともと、不謹慎ついでだ。
「久しぶりだから、ちょっと飲んでいかない? どうかな?」
「えっ……」
 彼女の笑顔が戸惑いの表情に変わった。こんなことを聞いて、困らせてしまったか。
「そっか、お子さんが待っているから、早く帰った方がいいよね」
 彼女が断りやすいように、そう気を使ったが、少し彼女は考えた後に、
「家に主人がいるから、子供は大丈夫だと思うけど……」
 と、自分に言い聞かせるように呟いた。
「あまり遅くなってもいけないから、ちょっとだけ飲んだら帰ろうか」
「そうね」
 快く頷いてくれて、少し気持ちが弾んだ。

 初めて来た駅だから、どんな店があるかは分からない。メイン通りから延びた狭い通りの突き当りに駅がある。その狭い通りから碁盤の目のようにさらに細い通りが延び、小さな飲食店が軒を並べていた。喪服姿でにぎわっている店に入るのもちょっと気が引ける。狭い通りの奥に日頃あまり入ったことのない小料理屋のような店があった。店内も混んでいないようだ。
「この店で良い?」
「いいよ。小料理屋さんって、初めてかな。ドラマではよく見るけど」
 彼女も興味深そうだ。のれんをくぐって戸を開けると、明るい木目調のカウンターと小さなテーブル席が三つほど並んでいる。一番奥のテーブル席に荷物を置き、彼女のコートをハンガーにかけた。
「ありがとう」
 彼女が優しい目で微笑むたびに、何故か緊張していく。
 品の良い細い筆文字でかかれたお品書きを彼女に差し出しながら、飲み物を選んだ。おしぼりで手を拭き、お品書きに顔を近づけていた彼女が、驚いたような表情で小さく囁いた。
「ワインがあるよ」
 完全に和食の雰囲気の小料理屋なのに、ワインが有ることが以外だったようだ。
「本当だ、ワインがあるな」
 言葉を合わせたものの、俺が気に取られていたのは、少女のような彼女の表情だ。
「ワイン飲もうか?」
 何だか嬉しそうだな。
「ああ」
 白ワインと、二品の魚料理を頼んだ。白ワインにこの魚料理が合うかは、よく分からない。
 注文を終え、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「お子さんは今いくつなの?」
「十一歳よ」
 彼女は俺が転職してからすぐ、ひと回りほど年上の男性と結婚した事は同期から聞いていた。
 だから今の彼女の名字は渡辺ではなく、岡島なのだが。
 その年上の男性は、彼女の見た目ではなく、魅力を見抜いていたのだろう。その時の男性と同じような歳になった今の俺にも、彼女の魅力は分かるような気がする。いや、もっと前から俺は気付いていたのかもしれない。
 若い頃は五十歳といえばオジサン、オバサンだと思っていたが、自分がオジサンになったせいか、彼女を見てもオバサンとは思えない。
「澤田君のお子さんは、もう大きいの?」
「一番上の子が、大学生だよ」
「へ~、ずいぶん大きいんだ」
「まあね。渡辺さんのお子さんはまだまだ可愛い盛りだな」
「可愛いよ。大きくなっちゃうと、可愛くなくなっちゃうの?」
「色々と問題は出て来るし、生意気になってくるけど、大きくなっても、子供は可愛いかな」
「そう、良かった」
 俺の回答に満足したように彼女は微笑んでいる。渡辺さんも幸せなのだろうか。
「吉田さんのお子さん達は、もう三十過ぎなのかな?」
 彼女は白い壁に貼ってあるお薦め料理のお品書きを何気なく見ながら、そんな話をした。
「そうだな。小さな子もいたからお孫さんかな」
「お子さん達も独り立ちしていて、お孫さんもいるんだね」
 ちょっと安心しているようだ。実のところ、俺もそうだ。吉田さんのお子さん達がもう独り立ちしている年齢で少しホッとした。もしまだ学生だったりしたら、今後の事を考えるだけでも気の毒に思えてしまう。今夜の通夜では悲しみはあるものの、そう言う悲惨な気持ちは湧いてこなかった。
 
  【最終話に続く】
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