第6話落語の某師匠

文字数 1,142文字

午後の2時、濃紺の和服姿、小ぎれいな男性が入って来た。
飛鳥が「ようこそ、お運びで」と声をかけると、クスッと笑い、カウンター席に座る。

「師匠もお元気そうで」
飛鳥は、熱いほうじ茶と、小ぶりの饅頭を、その男性の前に置く。

「師匠」と呼ばれた男性は、ほうじ茶を、ふうふう、と飲み、店内を見回す。
「この店は変わらないねえ」
「ほうじ茶と饅頭も、同じ店のもの、先々代からかな」
「そこがいい」

飛鳥は、「師匠」に頭を下げる。
「変えることもありますし、変えないこともあります」

師匠は、うん、と頷く。
「それは、そうだよな」
「いつまでも、八っつあん、熊さんだけでは」
「それがわかる人も消えたさ」
「伝統芸にアグラをかいてるだけだと」

キッチンから香苗が顔を出した。
熱燗と薄桃色の、おちょこ。
肴はあぶったエイヒレ。
「でも、私は古典が好きです」

師匠は、「ほお・・・」と興味深そうな顔。

香苗
「古典のほうが、落ち着いて聞けます」
「新作は面白いけれど、近過ぎて、落ち着かない時があります」
「別世界の古典から、何となく、今を思う、それがいいかなと」
香苗は、言い過ぎたと思ったようで、少し笑う。
「私だけかな、そんなことを言うのは」

飛鳥も、ほうじ茶を飲む。
「最近は、人情噺の名人が・・・師匠と・・・数人?」

師匠は、首を横に振る。
「名人なんて、おこがましいよ」
「なかなか・・・文楽さんとか・・・」
「志ん朝さんも、切れがあって」
「まあ、志ん生さんは別格として」
「先代の円楽さんも・・・すごい時には感心した」
「いや、でも、この熱燗・・・エイヒレ・・・美味いなあ・・・」
「生き返るってこのことかな・・・」

飛鳥は話題を変えた。
「落語は、一人での劇」
「主役、脇役、敵役、時代の風景、季節まで、全部言葉と身振り手振りで」

師匠が「うんうん」と満足そうに頷くと、飛鳥は続けた。
「でも、実は、一人ではないですよね」

師匠は、飛鳥の言葉の意味をわかった。
「そうだよな、主役、脇役、敵役・・・全てが共演俳優」
「それと相談しながら、言葉の出し方を決める」
「時代の風景と季節は、舞台装置で」
「いろいろ習っていると、助けてくれる」

そして、飛鳥にうれしそう顔。
「ありがとうね、飛鳥君」
「袋小路に顔を突っ込んで、話をしても、しょうがないよな」

飛鳥は微笑む。
「ありがとうございます」

師匠
「聴いてくれる人の顔、呼吸」
「笑い声、泣き声まであって、落語」
「袋小路の壁に話したって意味ないから」

師匠は、飛鳥に頭を下げた。
「たまには煮詰まってしまうことがあってね」
「こんなでいいのかな・・・・ってさ」

飛鳥は黙って師匠に酒を注ぐ。
「志ん生師匠は、酔って高座に出て?」

師匠は、腹を抱えて笑い出した。
「また、面白いことを言うねえ」
「俺に、志ん生さんを継いで、高座で高いびきをしろと?」
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