第1話

文字数 1,949文字

祖母が築き、母が受け継いだものを、私はこれからどうするべきか。



山の中の田舎町で母も私も育った。
昔はまだ栄えていたこの町で祖母は女手一つで母を育てた。
祖母は当時にしては珍しい、男女の役割なんて関係ないという考え方の、男性に頼らない自立した女性だった。
それだけの力をどうやってつけたのか、元々備わっていた力であったのか、祖母は一代でこの町にいくつもの自分の居場所を築いた。
一つ一つは小さいものだが、居酒屋、ホテル、レストランを経営していた。
母は祖母が引退すると同時に全てを引き継いだ。

母は私に言い聞かせた。
この町の外の世界なんて知ったってろくなもんじゃない、ここでおばあちゃんが築いてきたものを守るのが私と穂花(ほのか)の使命なんだよ、と。

私は私で幼い頃から「三代目女社長」なんて言われることに誇りを持っていた。

まだ祖母が現役の頃に母が作ってくれた、祖母と母と私三人お揃いの浴衣を着て夏祭りに出かけると、「ああ、丸屋(まるや)さんちの三代目さん」と誰もが声をかけてくれた。
私がおばあちゃんの作ったものを守るんだ、と子ども心に自分に固く誓った。
それは毎年必ず行われる儀式のようだった。

あの浴衣は愛情でありプライドだった。

祖母と母が作ってくれた、この町でのベース。
ここ以外で生きていくという選択をしようと思ったことはない。

それなのに、私に外の世界を意識させたのは他ならない母であった。

「こんな田舎町で女社長なんて言われてもねぇ、井の中の蛙ですよ」

半分は謙遜で半分は本音だ。
外の世界を知っている人の。

その言葉を聞くたびに私の中のコンプレックスはムクムクと膨れ上がっていった。

母と私で違ったのは、外の世界を知っているかどうかだった。

母は幼い頃からこの町を出たいと思っていたらしく、高校を出るとすぐに都会へ出て、私の父であった男と出会って私を身ごもると同時に捨てられ、ここへ戻ってきたのだ。

経営を学ぶために大学へ行く間という名目で、私も外の世界へ出ることになった。
4年も見れば充分だろうと思っていた外の世界は、4年でなんて経験しきることはできないくらい広いものなのだと悟った。

幸太という彼氏もできたことが私をますます田舎から遠ざけた。
幸太の、私の今までの「当たり前」を覆すような考え方が私には新鮮だった。

「え?女社長?なんでわざわざ『女』ってつけんの?男なら男社長って言わないのに?」

そんな風に言うのが幸太だ。
男性であるのに女性の立場がわかる…いや、こんなことに男とか女とか持ち出すこと自体が古くさいときっと笑われる。

幸太の物の見方に刺激を受け、私は卒業後はもう帰らないと母に告げようとしていた。

幸太からは一緒に新しい会社を立ち上げようと誘われていた。
幸太の言うことに従っていれば、それはきっと新しくて、刺激的で、注目されて、未来が見えて…楽だと思う。
寄りかかる人がいると、楽なんだろうなと思う。

けれど、「うん、一緒にやろう」と即答できない私がいる。
それは何故か。

祖母と母を見て育ったからだ。
いつも忙しそうで大変そうで、だけどそう、それでも、乗り越えたところを私は見てきたのだ。
時にボロボロになり、立っていられなくなりそうになっても、もう一度、もう少し、どうにかしてと立ち上がろうと前を向く懸命な姿を私は何度も見たのだ。
自分の人生を自分の手で築く姿を。

あんな田舎町で、あんな小さな店のために、あそこまでして、不器用だと笑う人だっているのかもしれない。

けれど、人の生き方を笑う権利など本人以外の誰にあると言うのか。



「…田舎に戻る?バカじゃないの、廃れてくだけのものを選ぶなんて」
幸太はそう言って鼻で笑った。


「廃れてくだけになるかどうか、やってみなきゃわからない。…やってみてもしダメだったとしても、私、おばあちゃんやお母さんが守ってきたものを途絶えさせたくない。ただ引き継ぐんじゃなく、私なりのやり方で」


それはそんなに馬鹿にされるようなことだろうか。
私の中には懸命に働く祖母も母も、それを支えてくれる人たちの姿も確かに存在する。
それは視覚だけでなく、あの夏の匂いや熱気、この体に染み付いたもので、この先どんな経験をしようとも消えることのないものだと言いきることができる。
それは私を作ってきたものたちだ。
あのお揃いの浴衣を着て「三代目」と呼ばれていた小さな頃から、私の中に宿っていたプライドだ。


「私の生き方は、あんたに笑われるような生き方じゃない」


ハッキリと、幸太にそう告げることができた。

私は祖母と母の築きあげてきたそのままを引き継ぎ守る、というベースを壊し、新しい道を築こうとしている。

けれどそれは何の足跡もないまっさらな道ではない。

私の中に残された祖母と母の足跡がついた道を私は補強しながら私の人生を新しく築いてゆくと決めたのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み