極黒

文字数 7,349文字

夜の帳が降りる頃、灰褐色に錆び付いた廃墟に群がる、幾数羽の鴉(カラス)の群体のように。いや、群体、と表現するのは、私にはそれが、大きな黒い、得体の知れない、ひどく不気味な、ひとつの生命体に思えてならないからであるという事を、ここで明記しておこう。それは、私の短い人生の中で、自身の心を体現するには、やはり、この鴉の群体という物言いが、些か(いささか)しっくりくるものであって、他に分かりやすく、適切な表現が、私にはどうしても見つける事が出来なかったからである。

そう、群体である。無数の黒。私を構成する全ての要素が、およそ全て、黒光りしていて、禍々しく、忌々しく、そしてその一つ一つの個体としての闇は、やがて誘引し合い、一つの群体として、大きな鉛の塊みたいに、重鈍とし、私の心を、侵食しては増殖し、徐々に蝕んでいったのである。とは言っても、私の中の伽藍洞の心は、最初から闇に支配されていたわけでは、恐らくは無かったと思われる。私が無垢なる赤子として、母親の胎内から産まれ出でたように、闇もまた、私の伽藍洞から産まれ、それこそ、無垢なる闇として、その胎動を絶えず続けていたのだ。私が歳を重ね、新陳代謝と細胞分裂に依って、この華奢で薄汚れた紙切れのような身体を構成していくように。無垢なる闇もまた、そうした分裂を、幾度となく繰り返していたのだ。そしてその無垢なる闇が、純粋な闇として、私の前に、そのひどく醜悪な様相を露(あら)わにする日は、私がこの世に産まれてから、そう遠くはない話なのであった。

私はその時、小学生だった。
それ以前の事は、正直、一切の記憶が欠落していたので、それについて語ることは難しい。故に、私は私の闇についての話を、小学生という時点から、この闇が初めて、生涯に於いて垣間見えた瞬間から、語らなければならない。
私の家庭は、世間一般で言う、所謂、普通の家庭であった。ここで述べた、普通の定義、というものが、如何せん、どういった線引きで成されているのか、ということに関しては、私はここで具体的に語ることはできないが、しかし、少しの不自由を家族全員で享受したり、少しの幸福を家族全員で咀嚼したり、それこそ、とてつもなく大きな幸不幸があるわけでもない限り、この家庭を、普通の家庭、以外の表現で、果たして定義付けられるだろうか。
答えは否である。
そして、そんな余りにも平凡な家庭に産まれた男。どこにでもいるような、可愛い赤子
。そうして産まれたのは、紛れもなく、普通の男の子だったのだ。
名を、誠。
誠という名は、私のこの生涯にとって、最も恥じらうべき名であった。私には、親から貰った名前というのは、もはや、一種の呪いであって、当人達は、恐らくは並々ならぬ願望と想望を以て、子に名を付けるものだと思うのだが、やはり、それは子にとって、極めて不躾な、押し付けがましい要求以外の何物でもなく、ただひたすらに、鬱陶しいだけのものとさえ、私は思ってしまうのだ。そして哀しいことに、私は、この世に生きとし生ける子供たち全員が、親が付けた名前に込められた、祈りや、願い、それら全てを、耳元を羽音を立てて滑空する羽虫の如く、鬱陶しい存在と思っているばかりだと、かくして思い込んでしまっていたわけである。
そんな自分の勘違いに気付いたのは、小学校高学年になって間もない頃だった。
春の暖かな陽射しと、花の、狂乱の如く乱舞が、校庭や校門、エントランス、果てには玄関口までに達していて、入学したての1年生だとかは、両親と共に、校門で、満面の笑みを呈しながら、写真を撮っていたし、私にはそんな連中らの想いなど、どこぞの桜のように散っていってしまえばいいのにだなんて、悪びれる様子もなく嘲笑していたわけだが、そんな朗らかな春の日に、私の学年で、とある宿題が出されたのである。それは、両親に、自分の名前の由来を聞いて、それをクラスで発表するという内容のものだった。その時、既に私の中では、無垢なる闇が、徐々に膨張し、悪魔の如き様相を呈していたのだが、私はその存在に、気付くことはなく、そしてそれが異常な物であるとは、全くもって、思いもよらなかったのである。そして、私は両親に、誠という名前の由来を尋ねた。両親は、優しい口調で

「どうしてそんなことを聞くの?」

と尋ね返した。私はそこで、

「宿題ですよ、母さん。」

と、満面の笑みで、目を輝かせながら、興味ありげな面持ちで、しかしそれは事実ではなく、私の中の闇を隠すための、分厚い仮面のようなもので作り上げた、仮初の顔だった。そんな私の本性を見破れず、母は、なんて可愛い子なのだろう、と言って、ひどく溺愛した様子で、私の名前について語った。しかし、今となっては、その時母が何を語ったのか、私には思い出すことが出来ない。それは私にとって、この生涯に於いて、踏み潰した蟻の数程どうでもよく、今まで食べた米粒の総数程どうでもいいことであったからだ。しかし、誠という名前の由来が、誠実にだとか、嘘をつかず、正直にだとか、そういうくだらない願いに依って名付けられたものだということを、母が話していたのは、虚ろながら覚えているし、私はその話を、おそらくは真剣に、まるで神のお告げを聞く神官のように、別段有難くも何ともない滑稽話を、一言一句、咀嚼することなく聞き流していたのだろうが、そして、そのどうしようもなく滑稽な母の話を聞き終わっては、自室に戻り

「ああ、呪い呪い。」

などと、溜息をつきながら、父に買ってもらったけったいな勉強机に腰掛け、渋々と宿題の消化に勤しんだのである。私はその宿題を数分で書きなぐって終わらせ、他のクラスメイト達は、この宿題をどんな気持ちで行っているのか、という想像を巡らせた。およそ、私と同じように、親の付けた名など、所詮くだらない呪いで、傍迷惑な話だとでも、思っているのだろうと、この時の私は、やはり、そんな見当違いな事を想像しては、にんまりとしていたのだ。

その明くる日、宿題を発表する日が訪れた。
私の姓は、五十音順では割と前の方だったので、二、三番目には、発表の順番があった。私は、その名の由来について、母が言ったことをそのまま文字に書き起こし、お世辞でも綺麗とは言えない雑然とした文字で書き殴られた用紙を両手に、その内容を発表した。そしてそれは、恐らくは全員が全員、半ば倦厭(けんえん)といった様子で聞いているものだとばかり、私は思っていた。しかし、私が言い終え、着席をした時、クラスメイトの反応は、私の想像を遥かに凌駕し、余りにも乖離(かいり)したリアクションを見せたのである。
突如、阿鼻叫喚の拍手、雨あられ。
私は吃驚仰天した。それはもう、ビリヤードの玉みたいに目を瞠(みは)り、辺りを見回すと、そこには拍手喝采が、まるでポップコーンの弾ける音みたいに、ぱちぱちと、鳴り止まぬ爆ぜる音として、紛れもなく、私に向けられていたのである。何故こんなにも、彼らは感嘆とし、悦喜しているのだろうと、その時ほど、クラスメイトに対して、不信感を覚えた日は無かった。そして、きっとこれは、彼らの道化によるものではないのかと、勘繰った程だった。しかし、それは道化ではなく、衷心(ちゅうしん)より来たるものであるという事実を、その後の彼らの発表により、瞭然としてしまうのである。

それは、極めてくだらなく、綺麗事のように、私には聞こえた。
例えば、正義という名の男は、読んで字の如く、己の正義を貫き、善き人間として生きて欲しいという願い。
例えば、翔という名の男は、風のように、この悪風に塗れた世界を、奔放に翔け回って欲しいという願い。
例えば、凛という名の女は、たとえ女性であろうと、世の中に卑下されることなく、強く逞しく、生きて欲しいという願い。

各々、そんな話を、まるで新興宗教の教祖の教えを、かくもありがたいものとして語り継ぐ教団の人間みたいに、または奇跡を語るように、活き活きとした様で熱弁していて、私は、その様子が、まるで理解出来なかった。そして、そんな彼らの明朗とした表情は、私にとって、ひどくおぞましく、それはもう、呪いをかけられても尚、平気な顔をして、むしろ余裕でありますといった、妖怪や悪魔が、人間に化けて、その口角を、不自然に釣り上げ、不気味なほどの笑みを零しているようにしか、どうしても見えなかった。私は眼前に広がる、余りに不可解な光景に、身震いし、戦慄し、畏怖した。そして、その刹那にて、初めて、私の思考や感覚と、私の周囲の人間全員とには、途轍(とてつ)もない差異があるという事に、ようやく気付いたのである。

しかし、それだけでは、私の中の無垢なる闇の存在に、気付く為の要因にはなり得なかった。

私は、あの発表の日以来、周囲の人間と、疎遠になってしまった。しかしそれは、周囲の人間に嫌われただとか、そういうものではなく。私自らが、彼らとは一線引いて、距離を置くようになったからである。些細なきっかけにより、自明してしまった、己の異常さ。しかし、その事実を、潔く容認出来るほど、私の精神は頑健なものではなかった。逆に、周囲の人間こそ、異常なのだと、そう自分に言い聞かせ、私はその異常な人間達と関わりを絶ち、唯一、この世で正常な人間として生きていかねばという、慰めともいえないようなことを思っては、その孤高気取りで無様な格好を、余すことなく周囲に晒していたのである。しかし、学校という場所は、どうしても、他者と関わらねばならない状況というのが、自ずと出てくるもので、その度に、私は素っ気ない態度で他者と接し、挙句、周囲からは、嫌な奴、という認識を、とうとう植え付けてしまったのだ。そして、私の周りに、いよいよ誰もいなくなり、遂に、私は孤高から、孤独へと転向したわけで、別に、その孤独が辛いだとか、寂しいだとか、そんな侘しい事は一切無かったので、不自由などとも思った事は、一度たりともありはしなかった。逆に、異常な連中が、自分から距離を置かずとも、離れていってくれることに、些か清々とした気分であった程だ。
そして、その同年、ある日のことだった。
その日、遂に私は、己が内に秘めたる、無垢なる闇の存在について、知覚することになる。その時の私の感情は、正直、これまでにないくらい、衝撃的な瞬間を迎えたのだ。その感情というのは、絶望や、失望、絶念、失意、悲観、そのどれも、やはり当て嵌らず、形容し難い、それこそ、異常な感情であったのを、今でも、克明に、鮮明に、この脳裏に、古傷の如く刻まれている。

冬の寒い日だったのを覚えている。焼け付くような冷気が、露出している肌の部分を刺激し、道行く人々は皆、肌をすり合わせたり、ポケットに手を入れたり、或いは口を、母音の"あ"の形にして、息を吹きかけたりして、もはや気休め程度の、些細な冬への抵抗を続けていた。斯く言う私も、寒さに打ち震えながら、そうした俗物的なことをやっていたわけだが、その日、お昼休みの時間帯に、事件が起きた。とある6年生の女の子の生徒が、自殺を図ったのである。理由は、いじめを苦にした自殺であった。しかし、彼女が虐められているという事実を知るものは、学校の中でも、いじめをしていた当人と、普段人間を絶えず観察していた僕くらいしか、知るものはいなかった。そして、その女の子というのが、これはまた、内向的で、笑みの片鱗さえ見せないような、まるで、この世の全てを敵視しているような目付きをして、極めて無愛想な子であったのだが、彼女は、体育の若い先生(これがまた、私が理解できない人間の中でも、最も難解な部類の、所謂、善人と呼ばれている人で、私はそれが、気に食わなかった。)とだけは、非常に気さくに、その内に秘めた純真無垢な心を、露わにしていたし、時折、その先生と彼女が、二人きりで話しているというのを、校内ではしばしば噂されては、二人の仲を、疑問視する者も、決して少なくはなかった。事実、下校でさえも、二人でいた事があった。小学校六年生の児童と、二人きりになる大人というだけでも、それだけで聞こえは充分悪く、怪しまれても当然だろうということは、恐らくは本人も分かっていたことだろうが、それでも、彼は、その女子に寄り添った、それは、疚(やま)しい理由からではなく、純然たる教師としての正義、役目を果たすための、善行であったことを、私は知っていた。何故なら、その先生は、彼女が虐められている事実に、気付いていたからだ。内向的で、寡黙(かもく)な彼女は、それを周囲に告白出来なかったのだ。そして、それに気付き、積極的に寄り添っていたのが、彼だったというわけだ。私には、本当に、些か、彼の事が理解できなかった、なぜ彼は、自らを、軽蔑の目で見られるような立場に追い込んでまで、たった一人の女子を救おうと思ったのか、その行動は、余りにも偽善に思えたし、何より、彼女を助けたところで、何のメリットもないにも関わらず、なぜ助けるのか、まるで害虫の気持ちを探るような想いで、私は深く考え込み、そして、その熟考に、いよいよ私は、挫折してしまうのだが、ある日、突然その女子が、死んだのだ。死にたいという願望について、それもまた、私には理解し難い行動ではあったが、私はすぐさま、彼女の死が、例の虐めが原因であることを察した。そして同時に、あの先生の努力も、結局は泡沫と化したのだと思った。しかし、虐めの事実は、この学校のほとんどの人間が、知る由もなかった、教員側は、取り急ぎ、事実の解明に励んだ。あの体育の先生が、恐らくは虐めの事実を告白したとは思うが、教員側は、確固たる証言を得るために、生徒達に匿名のアンケートを配ったのだ。そして、我々生徒は、それを記入する羽目なったのだが、あろうことか、私は、あの先生が気に入らなかったので、事実無根の虚偽の回答を、学校に提出してしまったのである。内容はこうだ

「今回の件について、非常に残念に思います。彼女をそこまで追いやってしまったものについて、私は怒りを隠せません。故に、私の知る限りの全ての事を、この用紙の匿名性を信じ、ここに書き記します。私は見てしまいました。下校時間をだいぶ過ぎたある日、体育の若い先生が、自殺した女の子の手を引っ張り、どこかへ連れて行くのを。女の子は、泣きながら拒絶していたように見えました。それを無理やり、引っ張っていたのです。私はその光景を見て、後をつけました。そしてそこには、暗い廃倉庫で、女の子に性的暴行をくわえる、先生の姿がありました。私はそれを見て、怖くて逃げ出してしまいました。今では、その時逃げ出した事を、とても後悔しています。そんな自分が、堪らなく許せないのです。彼女のためにも、あの男に、然るべき処罰が、私には必要だと思います。」

ありったけの悪意を込めて、私はそれを書いたのだと思う。そしてそれが呼び込む結末というものを想像できないほど、私は愚かではなかった。想像出来たから、敢えてしたのである。

そして翌日以降、体育の先生は学校へは現れなかった。彼が女生徒と一緒にいた姿は度々目撃されていたし、生徒からの告発を、ほかの教員達は疑うことをしなかった。本当の自殺の理由は、虐めだというのに。そして、滑稽なことに、その虐めをしていた生徒達は、冤罪で人生を崩落させた先生の姿を見ても、知らん振りをしていたのである。私はその姿を見て、余りの滑稽さに、腹の底から溢れ出る、どす黒い塊のような、声にもならない不敵な笑いを、必死に堪えていたのだ。人の死をもってしても、連中はてんで変わりはしない。そんな人間の、ゴミ屑みたいな本性と、暗黒の心を観測しては、私はそれを脳裏に焼き付け、けたけたと笑っていた。
私がこの一連の事件とその顛末で得た感情、それは、これまでに感じたことの無い、恐ろしい程の高揚と、愉悦。初めて覚えた、他人の不幸の味。その余りの甘さに、私は悶絶し、釣り上がる口角を、どうやっても下げることが出来なかった。こんなにも、人の不幸を素晴らしいものなのだと、私はそれまで、思いもよらなかったのだ。自分が暗黒の世界の人間だということは、とうに理解していたつもりだったが、しかし、それは私の浅慮だったのだ。途方も無い深淵。その闇の深さに、私はあろうことか、感動すら覚えてしまった。

その後、その先生がどうなったとか、そんなもの、知りたくもなかったし、心底どうでもよかった。ただ、最後に見た彼の姿は、校門に止まった二台のパトカーに、叫び、抵抗しながらも、無理やりに乗せられ、この世の終わりと言った顔をしている、悲しい男の姿だった。そして彼もまた、その学校で最後に見たのは、不気味な笑みを浮かべ、にんまりとこちらを見つめている、闇の権化みたいな様相の、小さな男の子だったのだろう。

かくして、私の中の、無垢なる闇の開花が成され、こうして私は、暗黒の住人として、この世界の、正常な人間達に紛れながら過ごしていくことになるのだが、しかしその結末は、とても語り継げるような面白いものではない。私はこの人生において、他人に近づくということは、やはり、ほとんどすることはなかったが、しかし、何人かの物好きは、私の発する拒絶の波動をものともせず、私に歩み寄って来るのだが、そういう時は、愛想だけを振る舞い、いつどうやって、こいつらを陥れてやろうかだとか、そんな極悪なことを思案していた。そして、私は生涯、この身が朽ち果てるまで、永劫、無垢なる闇に支配された哀れな怪物として、その人生を過ごすことになってしまう。しかし、そんな人生に、私は後悔など、一切していないということを、やはり理解してもらいたいのだ。

私はついに、人間を理解するということを止めた。

私はついに、人間であることを放棄した。

私の闇は、深く、濃く。

それはまるで、そう。

"極黒"というのに、全く相応しいではないか。
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