私はマクベスを持っていた

文字数 2,937文字

そういうわけで、私は悲劇に直面し、己の存在や価値を、再認識しなければならなくなってしまったのだが、そこで挫折を選ぶ程、私は愚かではなかった。むしろこれらの努力の結果、自分は自分の能力と、それに対する世間の評価が、たとえどうであったとしても、喜と哀、いずれの感情も得られないということを、学ぶ事が出来たのだという、見方をひどく強引に、ポジティヴな方向に捻じ曲げ、私はそれまでの道程を、きれいさっぱり、忘却する事にした。過去は消し去れないし、記憶もまた、消し去る事は出来ないけれど、それらに足を取られてしまうくらいなら、いっそ、私はそれを、追い風に変えてしまうべきだと考えた。今思うと、この頃の私は、ある意味では、最も私の人生の中で、人間らしい思想と、感性を持っていた時期であったかもしれない。そう、私は何があろうと、無垢なる闇への反抗を、緩めてはいけなかったのだろう。私は畢生、闘うべきだったのだ。さすればきっと、あの女も、死ぬことはなかったはずなのだから。
兎にも角にも、まるで羅針盤を失った帆船のように、穏やかで緩やかな大海を彷徨っていた私は、全方位に広がる、淡き水平線を眼前に、舵を取れずに居た。私の船は、多分、かなり堅牢に造られていた船であるのだが、しかしそれ故に、私はその、無敵とも言える船に、満身創痍な調子で乗り込んでしまったのだ、そして案の定、どこへ行き、何をしたかったのか、その理由や、目的、とどのつまり、帰結すべき場所というものを、見据えていなかった私は、必然、遭難を果たしてしまったわけだ。いや、正確に言うのであれば、帰結すべき場所は、確かにあった。私は対人における不信や、他者との交流で生じる軋轢、それらの払拭を目的として、この海原に飛び込んでしまったわけだが、結果として、その地図にも載っていない、いわば未知の大陸は、泡沫のように消え去り、私の航海する理由ごと、霧散させた。夢に溺れた海賊が、存在しえない世界の果てを、無謀にも目指すのと同じだ。
途方に暮れ、日々を生きながら、私はそれでも、日々の努力をかかさなかった。最も、それが慣習化していた、というのもあるのだが、ここで堕落をしたところで、見えない物が更に見えなくなるだけだと、そう思い、私は努力を継続することとした。私はもっと、違う視点を身に付けなければならなかった。これは私の持論だが、人が得られる視点は、三つしかない。人としての生理機能が上手く稼働しているのであれば、誰であろうと逃れられない、認識する視界。そして、自らの心のままに、物体や事象について、感じ取り、想う、感覚する視界。最後に、自身を取り巻く物事などについて、主観や、自らの持つ観念を、徹底的に排除し、冷静に事を見据える、俯瞰する視界。私は最後の、この俯瞰する視界というものが、著しく欠けていたのだ。私がその結論に達するまで、存外、時間はかからなかった。
しかし、どうしたものであろうか、何とも形容しがたい事ではあるが、私は中学生活の中で、どれ程の遊戯や、勉学や、趣味、そして人間関係を築き、それらの、およそ文化的生活と呼ばれる、社会の枠組みに参画しようと、一体どうして、ここまで無感情でいられるのだろうと、私はそれこそ、自分という人間に対して、畏怖すら覚える始末であり、同時に小学生の時に味わった、あの自らが招いた最悪の事態に対して、清々しい気持ちになっていた己の邪悪さを、やはり、認める事が出来ずにいた。認められないからこそ、私はこうして、この歳で出来る、最大限の努力をしている。それが裏切られたとなると、いよいよ、私はあとが無くなるだろう。私は俯瞰する視界を、出来るだけ早急に、確実に、手に入れなければならなかった。そしてもし、私がそれを手にしたとして、それでも、無垢なる闇が祓われないのであれば、その時はもう、私という存在は崩壊する他ない。そんな予感が、脳裏を過り、そして、藁にもすがる思いで、私は中学生活を過ごすことになる。
とある日の、あれは土曜か、日曜だったか、あまり明朗と覚えてはいないが、とにかく、学校の休みの日だった。私はいつものように、父が仕事へ向かい、母が部屋の掃除と洗濯などの雑務をしたと同時に、遅めに起床をし、気だるげに居間へと向かう。健康に気を使った五穀米と、昨晩の残り物である根菜の煮付け、今朝焼いたばかりの秋鮭、それらのごく普通な朝食を摂取し、コロンビア産の深煎りした珈琲豆をミルで粉砕する。丁寧に淹れた珈琲を飲む間は、私にとって、一日の始まりの為の、いわば願掛けのようなものである。虚ろな意識を徐々に、珈琲が冷めていくのと同様の速度で、ふんわりと、そして柔らかく覚醒させる。当時の私は類まれなる努力家であったが、休日に関しては、特にやることも無かった。家にいても、母と共に時間を刻々と過ごしていくのは厭なので、一人で本を一冊携えて、ふらりと何処かへと、吸い寄せれるように消え去る。それが私という、人間の休日の在り方だった。哲学と呼んでもいい。その日、私は地元のカトリック教会へと訪れた、白を基調とし、縦に楕円形に伸びた奥行きのある天井から、今にも落下してきそうな、危ういシャンデリアがぶら下がっている。中心の通路には鮮血の如く、祭壇に向かって真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯、その両側を挟み込むようにして、黒檀色の長椅子が、何列も配置されていた。斜めに差し込む日の光は、中を暖かく、そして輝かしく、まるで神様の祝福が、そのまま降り注ぐように、或いは、慈愛に満ちた抱擁のように、私にはその光景が、確かに特別なものに見えた。ここにいる人々は、皆、各々祈りや、悔やみがあり、信仰心がある筈だが、私はというと、やはり無神論者である。神などいない。そんな思考の持ち主である私が、なぜこの場を訪れているのか、それは単純で、且つ明快な訳柄な話であるが、私は先も言った通り、無神論者であるからして、教会そのものに興味がある訳では無い、しかし、神を恭敬し、信仰する人々、さしずめ信者と呼ばれる人達に対して、多大とは言わずとも、少なからず、私は興味を抱いていたからだ。私は精神に拠り所を求める人々の心情が、全くさっぱり、理解出来なかった。それを理解する為に、私はこの教会を訪れ、祈祷する人々の姿を観察している。つまりはそういう訳である。
それがどんなに変人じみた嗜好であるのか、私は当時、考えもしなかったわけだが、今こうして、人生の大抵の物事を諦め、人である事をやめた、仙人のような面持ちで過去を振り返ってみると、何とも無様で底気味の悪い悪趣味であろうと、顔を顰めてしまうところだろう。私が生きてきた中で得た教訓というものは、数えるのが厭になる程あるわけだが、その教訓の中には、人間観察を趣味だと言う輩は、大抵の場合、サイコパスか、余程の退屈人間である。と、寺の僧が大筆で達筆に書き殴った教説のようにして、今でも頭の中に張り付いている。
そして私はいつも、西の窓から差す日の光が、丁度、前から四列目の長椅子に差し掛かる時に、教会を出るのである。もちろん、片手に本を携えてだ。確かその日、私はマクベスを持っていた。

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