私の話
文字数 2,319文字
「ミステリアスな雰囲気で今回も素敵です!」
「掴みどころのない表情が好き」
私がSNSに上げた写真にはいつもこんな感じのコメントが付く。それを見て、ふと高校生のときに出会った彼のことを思い出した。
私が彼と話していたとき、私はどんな表情をしていたんだろう。
電車の中で本を読む彼を見つけたのは、高校に入学してから数週間後。色白で細身の彼は、そのまま本に吸い込まれていくんじゃないかと心配になるほど、真剣に本を読んでいた。
「その作家さん、私も好きなんだよね」
突然目の前に立っている女子高生から話掛けられたら、いくら同じクラスでも驚いてしまうのだろうか。彼は体を小さくびくりとさせて、私を見上げる。
電車が止まって、たまたま彼の隣の座席が空いたから、そこに座る。それからのことは正直あまり覚えていない。あまり覚えていないけれど、私がただひたすらに好きな本や作家について話していたような気がする。
映画のエンドロールのように流れていく景色が止まったことにも気付かずに彼と話していて、あやうく電車を乗り過ごしそうになるほど、彼と話をしていて楽しかった。
それから私たちは週に二、三回電車の中で出会って、よく本の話をするようになった。最初は緊張からかあまり笑わなかった彼だけれど、段々と笑顔が増えていったことを覚えている。学校では全然見せない彼の笑顔を見れるのが私だけの秘密みたいで嬉しかった。
最初はお互いが読んだ本の話をするだけだったけれど、気が付いたら本以外の話もするようになった。それに、お互いに本を貸し合うことも。
彼が貸す本のジャンルは、最初は私が元々好きなものばかりだったけれど、次第に色々なジャンルになっていた。だけれど、そのどれもが面白くて、私のために選んでくれたんだなと分かって嬉しかった。
彼と話しているときは、とても気が楽で、全く自分を取り繕うことなく話せた。
もしかしたら、私は彼のことが好きだったのかもしれない。
彼はどうだったのだろう。
私たちは、電車の中では話すけれど、学校では全然話さない。
私は学校の中で彼と話したかったのだけれど、彼が避けるような空気を出すから話しかけない。そして悲しいのだけれど、避ける理由も分かるような気がする。
学校という限られた社会の中では、知らない間にお互いにランクを付けている。そして、そのランクが異なるもの同士は話してはいけないという暗黙の了解があった。
私は学校で、笑いたくなくても笑わなければいけなかった。嫌われないように、浮かないようにするため。
周りのことを気にしない彼が、嘘の表情を浮かべることのない彼がなんだかとても羨ましく思えた。
私にりょうくんという恋人が出来たのは、三年生になってからのこと。向こうから告白をしてきてくれて、気が合うと思っていた私は二つ返事で同意した。
りょうくんとは、一年生の頃からずっと同じクラスだった。私がお勧めする本を素直に読んでくれて、その本のことをいつも褒めてくれた。そして、そういう本が好きな私のことも。
だけれど、りょうくんは素直な感想を言ってくれていないように感じた。私に気に入られようと、いつも良いことばかりいっているように見える。
それに比べて、電車の中で会う彼は、微妙だと思えば、少し申し訳なさそうに素直な感想を言ってくれる。少し困った顔で言ってくれる。
りょうくんと付き合い始めてからは、自然と電車の中で彼と本のことを話す時間は減っていった。
どうやら彼も大学へ進学するらしい。しかし、具体的にどこに行くのかは知らなかった。
卒業式の前日、たまたま学校帰りの電車で彼と出会った。最後に会ったのは確か夏休みの前とかだった気がする。
「これ、この前借りてた奴。面白かった」
彼から、随分前に貸した本が返って来る。
「よかった」
私は笑ってそれをスクールバッグに仕舞うと、以前借りていた本を鞄の中から取り出す。夏休みの前に借りて、いつか会ったときに返そうと決めてずっと入れていた本。
「もう卒業だね」
窓の外を流れていく景色を見ながら呟いた言葉は、車内に漂う少し気まずい空気に溶けていく。
「これ、僕のおすすめの本なんだ」
彼は鞄から本を一冊取り出して、私に渡してくれる。
「ありがと」
その本を鞄に仕舞って、その代わりに私もおすすめの本を渡す。いつか渡そうとずっと入れていた、私のおすすめの本。
流れていく景色が徐々に遅くなっていって、私が降りる駅で止まる。そして私は立ち上がって、
「またね」
といって、春が混じってきた空気の漂う駅に足を踏み出す。
最後に見た彼の表情は、随分と寂しそうなものだった。
あれから彼は何をしているのだろう。そして、どんな表情を浮かべるようになったのだろう。
今の私はもう、彼と話していたときのような表情は出来なくなっている。
じゃあ今の表情は、こうしてモデルとしてSNSに上げている表情は嘘のものなのだろうか。
それは違うはずだ。
それは嘘でも演技でもない。それは今の私が浮かべた表情で、今の私にとって「本物」だから。
君だって、最初話したときはたどたどしい表情をしていたけれど、途中からそんなことなくなったじゃない。
そんなことを、私の写真を見ているのか分からない彼に呟いて、そっとスマホを閉じる。
鞄を開けると、たまたま彼から最後に借りた本が出てきた。何度も読んでいるのだけれど、時折読みたくなる本。
あの時の、またね、あれ、本当だから。
心の中で呟いて、彼から借りた本のページを開いた。
「掴みどころのない表情が好き」
私がSNSに上げた写真にはいつもこんな感じのコメントが付く。それを見て、ふと高校生のときに出会った彼のことを思い出した。
私が彼と話していたとき、私はどんな表情をしていたんだろう。
電車の中で本を読む彼を見つけたのは、高校に入学してから数週間後。色白で細身の彼は、そのまま本に吸い込まれていくんじゃないかと心配になるほど、真剣に本を読んでいた。
「その作家さん、私も好きなんだよね」
突然目の前に立っている女子高生から話掛けられたら、いくら同じクラスでも驚いてしまうのだろうか。彼は体を小さくびくりとさせて、私を見上げる。
電車が止まって、たまたま彼の隣の座席が空いたから、そこに座る。それからのことは正直あまり覚えていない。あまり覚えていないけれど、私がただひたすらに好きな本や作家について話していたような気がする。
映画のエンドロールのように流れていく景色が止まったことにも気付かずに彼と話していて、あやうく電車を乗り過ごしそうになるほど、彼と話をしていて楽しかった。
それから私たちは週に二、三回電車の中で出会って、よく本の話をするようになった。最初は緊張からかあまり笑わなかった彼だけれど、段々と笑顔が増えていったことを覚えている。学校では全然見せない彼の笑顔を見れるのが私だけの秘密みたいで嬉しかった。
最初はお互いが読んだ本の話をするだけだったけれど、気が付いたら本以外の話もするようになった。それに、お互いに本を貸し合うことも。
彼が貸す本のジャンルは、最初は私が元々好きなものばかりだったけれど、次第に色々なジャンルになっていた。だけれど、そのどれもが面白くて、私のために選んでくれたんだなと分かって嬉しかった。
彼と話しているときは、とても気が楽で、全く自分を取り繕うことなく話せた。
もしかしたら、私は彼のことが好きだったのかもしれない。
彼はどうだったのだろう。
私たちは、電車の中では話すけれど、学校では全然話さない。
私は学校の中で彼と話したかったのだけれど、彼が避けるような空気を出すから話しかけない。そして悲しいのだけれど、避ける理由も分かるような気がする。
学校という限られた社会の中では、知らない間にお互いにランクを付けている。そして、そのランクが異なるもの同士は話してはいけないという暗黙の了解があった。
私は学校で、笑いたくなくても笑わなければいけなかった。嫌われないように、浮かないようにするため。
周りのことを気にしない彼が、嘘の表情を浮かべることのない彼がなんだかとても羨ましく思えた。
私にりょうくんという恋人が出来たのは、三年生になってからのこと。向こうから告白をしてきてくれて、気が合うと思っていた私は二つ返事で同意した。
りょうくんとは、一年生の頃からずっと同じクラスだった。私がお勧めする本を素直に読んでくれて、その本のことをいつも褒めてくれた。そして、そういう本が好きな私のことも。
だけれど、りょうくんは素直な感想を言ってくれていないように感じた。私に気に入られようと、いつも良いことばかりいっているように見える。
それに比べて、電車の中で会う彼は、微妙だと思えば、少し申し訳なさそうに素直な感想を言ってくれる。少し困った顔で言ってくれる。
りょうくんと付き合い始めてからは、自然と電車の中で彼と本のことを話す時間は減っていった。
どうやら彼も大学へ進学するらしい。しかし、具体的にどこに行くのかは知らなかった。
卒業式の前日、たまたま学校帰りの電車で彼と出会った。最後に会ったのは確か夏休みの前とかだった気がする。
「これ、この前借りてた奴。面白かった」
彼から、随分前に貸した本が返って来る。
「よかった」
私は笑ってそれをスクールバッグに仕舞うと、以前借りていた本を鞄の中から取り出す。夏休みの前に借りて、いつか会ったときに返そうと決めてずっと入れていた本。
「もう卒業だね」
窓の外を流れていく景色を見ながら呟いた言葉は、車内に漂う少し気まずい空気に溶けていく。
「これ、僕のおすすめの本なんだ」
彼は鞄から本を一冊取り出して、私に渡してくれる。
「ありがと」
その本を鞄に仕舞って、その代わりに私もおすすめの本を渡す。いつか渡そうとずっと入れていた、私のおすすめの本。
流れていく景色が徐々に遅くなっていって、私が降りる駅で止まる。そして私は立ち上がって、
「またね」
といって、春が混じってきた空気の漂う駅に足を踏み出す。
最後に見た彼の表情は、随分と寂しそうなものだった。
あれから彼は何をしているのだろう。そして、どんな表情を浮かべるようになったのだろう。
今の私はもう、彼と話していたときのような表情は出来なくなっている。
じゃあ今の表情は、こうしてモデルとしてSNSに上げている表情は嘘のものなのだろうか。
それは違うはずだ。
それは嘘でも演技でもない。それは今の私が浮かべた表情で、今の私にとって「本物」だから。
君だって、最初話したときはたどたどしい表情をしていたけれど、途中からそんなことなくなったじゃない。
そんなことを、私の写真を見ているのか分からない彼に呟いて、そっとスマホを閉じる。
鞄を開けると、たまたま彼から最後に借りた本が出てきた。何度も読んでいるのだけれど、時折読みたくなる本。
あの時の、またね、あれ、本当だから。
心の中で呟いて、彼から借りた本のページを開いた。