僕の話

文字数 2,518文字

「ミステリアスな雰囲気で今回も素敵です!」
「掴みどころのない表情が好き」
 彼女の写真には、いつもそういったコメントが付く。今日SNSにあげられた、カフェでコーヒーを飲んでいる彼女の写真にもそういったコメントが付いていた。
 画面の向こう側で彼女は、儚げな掴みどころのない表情をしている。その表情は、僕が一緒にいたときに見たことのないものだ。

「その作家さん、私も好きなんだよね」
 高校に入学して数週間後、一人で学校から帰る電車の中で彼女から話しかけられた。突然声を掛けられて、僕はびくりとする。正面に立っていた彼女が、同じクラスの人だと気が付くのに時間は掛からなかった。
 なぜなら、彼女は入学早々目立っていたからだ。足が長くて顔が小さくて、すらっと筋の通った綺麗な鼻をしている。何よりも目立つのは、切れ長で美しい二重の大きな目だ。
 そんな綺麗な目で見られて、僕は酷く怯えてしまう。
「同じクラスだよね」
 駅について扉が開くと、僕の横に座っていた人が立ち上がり降りていった。彼女はそこに当然のように座る。
「私その作家さんなら、他のほうが好きなんだよね」
 ああうん、と、何を話していいのか分からない僕のぼやぼやとした相槌を聞きながら、彼女は僕にスマホの画面を見せてくる。
「これ、一番好きなやつ。読んだことある?」
 そこに映っていたのは、その作家が書いたものの中では比較的有名ではないタイトルのものだった。
「最後の畳み掛けるような伏線回収がすごいよね」
 僕の答えに、彼女はふわりと優しい笑顔を浮かべる。それから数分間、彼女は好きな本や作家について落ち着いた様子ながらも色々と一方的に語った。僕がまともに話せなかったからもあるだろうけど。
「あ、私ここで降りるから。それじゃ」
 映画のエンドロールのように流れる景色が徐々に遅くなっていく。流れが止まると彼女は立ち上がって、またね、というと電車を降りていった。

 それから僕らは時折電車の中で出会ってよく話した。最初はたどたどしく話していた僕だったが、本という共通の話題があるからか、段々と普通に話せるようになった気がする。そして話す内容は本のことから普段のことに変わって、時にはお互い本を貸しあうようになった。
 その関係は高校二年生になって、クラスが別々になってからも続いた。
「これ、この前借りてた奴。面白かった」
 また電車の中で会ったとき、僕は彼女から借りていた本を返す。
 面白かったという感想を言えば彼女はふわりと笑って喜ぶし、あんまりだよねというと首を傾げて、そうかなーと不満げに話した。
 本の話をするとき、僕も彼女も全く嘘を付かない。だからこそ、感想が合えば喜び合って、感想が合わなければ首を傾げ合う。その感情の表し方は本物だ。
「よかった」
 彼女はふわりと優しく笑って本をスクールバッグにしまう。その代わりに別の本を取り出して、僕に貸してくれた。
 そして僕はそれを受取ってリュックにしまい、その代わりに新しい本を取り出して彼女に貸す。
 普段は全く関わり合わない僕たちだが、本を貸しあうことで、また会うことが出来るような気がした。最初は本当に彼女が好きそうだからと本を貸していたが、今では、またいつか会えるようにという理由で貸しているような気がする。おすすめしたい本があるんだよねという嘘の理由で、いつも本を貸している。
 多分僕はすっかりと恋に落ちていたみたいだ。
 彼女はどうなのだろう。

 僕たちの関係は、決して学校の中には持ち込まない。そうルールを決めたわけではないのだけれど、そうなっていた。
 見た目麗しい彼女は、当然のように学校の中では人気ものだった。見た目が良いだけではなくて性格も良いからだろう、その人気は男女双方からのものだ。
 学校の中で出会う彼女はいつも誰かと一緒にいて、僕には見せない、明るい太陽のような笑い方をする。それを見るたび、どっちの表情が彼女の本物なのだろうかと不思議になる。

 彼女に恋人が出来たという噂を聞いたのは、高校三年生の一学期のこと。それから僕らは徐々に電車の中で会うことが減っていき、一週間に一回、月に一回となっていって、気が付いたら三学期になっていた。僕も彼女も大学に進学すると決まって、でも具体的にどこにいくのかはお互い知らない。そんな関係になっていた。
 卒業式の前日、久しぶりに彼女と電車の中で会った。
「これ、この前借りてた奴。面白かった」
 最後にあったのは夏休みの前とかだったろうか。そのときにも本を貸し合っていた。
「よかった」
 以前と何も変わらない、ふわりとした笑顔を浮かべて本をスクールバッグにしまった。そしてその代わりの本を取り出して、僕に渡してくれる。
「もう卒業だね」
「そうだね」
 少しだけ沈黙が生まれて、車内の空気に僕の相槌が溶けていく。
「これ、僕のおすすめの本なんだ」
 この時だけは、本当におすすめの本を渡した。いつか渡そうとずっと考えていた本。
「ありがと」
 ふわりとした優しい笑顔。学校で他の人に見せる快活とした明るいものとは違うその笑顔。
「それじゃ」
 映画のエンドロールのように流れる景色が徐々に遅くなっていく。景色の流れが止まると彼女は立ち上がって、またね、といって電車を降りていった。

 またね、といって別れて、僕らはそれ以降会うことは無かった。
 あのまたねっていう言葉は嘘だったのだろうか。
 スマホの画面越しにある、君の儚げで掴みどころのない表情。その表情は嘘なのだろうか、それとも本物なのだろうか。
 電車の中で本の話をしていたときに見せたふわりとした笑顔や、納得がいかないときに見せた首を傾げる癖。それは嘘だったのだろうか、それとも本物だったのだろうか。
 僕にとって、映画のエンドロールのように流れていた景色は止まったまま。現実に戻ることも出来なくて、次の映画を見ることも出来ないままでいる。
 君が最後に渡してくれた本は、今でも大事に本棚にしまってある。君がくれた、またね、という言葉と一緒に、大事にしまってある。
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