第3話 五月興行

文字数 3,806文字

 旧暦の初夏になった。
 木々が青々として、さわやかな風の吹く五月である。

 江戸三座の一つ、都座の前に、蔦屋と十郎兵衛の姿があった。
 演目は『花菖蒲文禄曽我(はなあやめぶんろくそが)』。伊勢の国・亀山で実際にあった敵討ちを元にした狂言である。元禄曽我の敵討ちとして評判になり、その後、歌舞伎にも数多く脚色されている。

 大入り満員の中、平土間の前方に陣取って、二人は舞台を注視していた。予想以上の観客の多さに、蔦屋は内心ほくそえんでいた。

(このむせかえるような熱気は、ここ数年なかったもんだ。この商機を逃す手はねぇ。そのためには、十兵衛さんに気合を入れて描いてもらわねぇと)

 だが、それは蔦屋の杞憂(きゆう)にすぎなかった。

 舞台が始まると、十郎兵衛の目つきは尋常ではなくなった。役者たちの台詞や演技より、その裏側に潜んだ本心や真の姿を覗き込むような、そんな鋭い眼光を放っていた。

「どうだい、十兵衛さん、いい絵が描けそうかい?」
「いいねぇ、この役者、一皮むけたんじゃねぇかな」
「この場面は見せ場だ。ぜひ描いておくんなさいよ」

 いくら蔦屋が話しかけても、十郎兵衛は見向きもせず、まったくの無言だった。ただ、一心不乱に画帳に筆を振るっている。

 座頭でもある、三代目沢村宗十郎演じるところの、大岸蔵人。三代目坂田半五郎演じる、藤川水右衛門。二代目坂東三津五郎演じる、石井源蔵。

 十郎兵衛の筆は止まらない。

 その姿を目の当たりにして、蔦屋は声をかけるのをやめた。余計なことを言って、集中が途切れちゃいけねぇ。そう思って、十郎兵衛の好きなようにさせておいた。

 そういえば数日前、蔦屋は十郎兵衛から、こんなことを言われた。
「すべて大首絵(おおくびえ)でいきたいと思います」彼が初めて見せた、絵師らしい自己主張だった。

 大首絵とは、役者の顔を大きく描く構図の絵である。胸から上を描くため、役者の表情を細かく描くことができる。

 蔦屋はニヤリと笑って、力強く頷いた。江戸っ子をあっと言わせるには大首絵だろう、と蔦屋自身も踏んでいたのだ。
(どうせ、のりかかった舟だ。じたばたしねぇで、十兵衛さんの好きなようにやらせてみるさ)

 そんな蔦屋の想いも知らず、十郎兵衛の中では、一つの葛藤が渦巻いていた。

 三代目沢村宗十郎、三代目坂田半五郎、二代目坂東三津五郎、主役と準主役を務める彼らの内面をとらえようとしたのだが、どうにもとらえどころがない。

 もちろん、外面と表情を描きうつすことはできる。できるのだが、そこから真の姿を浮かび上がらせるのは、途方もない難作業だった。

 手探りでどうにかなるようなものではない。これは相当な難物だぞ、と十郎兵衛は思い知らされた。

 十郎兵衛は屋敷に帰ると、早速、画帳を元に、版下絵を描き始めた。
 舞台を観て味わった興奮をしずめて、できるだけ大胆に筆を振るう。
 大首絵の肝は、とにかく表情である。ただ、写しとるだけではない。

 例えば、この役者は、何を表現しようとしているのか?
 怒り? 悲しみ? 戸惑い? それとも、一切合切を混ぜこんだ感情なのか?
 さらに、役者の内面をいかに切り取るか、その部分に十郎兵衛は心を砕いた。

 三代目沢村宗十郎、三代目坂田半五郎、二代目坂東三津五郎……。
 描いているうちに、ふと気がついた。どうも、内面をとらえた手ごたえがない。書き上げた版下絵は、体裁を整えただけの代物に思えた。要は、中身が空っぽなのだ。少なくとも十郎兵衛には、そう思える。

 これは一体なぜなのか?

 だが、突き放して考えてみると、ああ、そうか、これは演技なのだ、と思い至る。舞台上で展開しているのは、演目に合わせてつくりあげた感情。言ってみれば、作り物である。それは役者当人の感情ではありえない。

 やはり、役者の本質をとらえるのは、無理なのか。それに気づいた時、十郎兵衛の筆は止まった。

 翌日、桐座に一人で出向いた時も、その想いにとらわれていた。

 桐座の演目は狂言『敵討乗合話(からきうちのりあいばなし)』と常磐津『花菖蒲思便簪(はなしょうぶおもいのかんざし)』。

 松本米三郎、四代目松本幸四郎、尾上松助は描きうつすだけにとどめたが、脇役の中島和田衛門、中村此蔵はなぜか描きやすく感じた。その勢いを借りて描いた中山富三郎の宮城野には手ごたえがあった。

 それは富三郎の内面を描いたというより、富三郎の中に十郎兵衛自身を投影したという方が近い。これなら描けそうだ。十郎兵衛の中の獣が目覚めようとしていた。

 獣が完全に覚醒したのは、河原崎座に出向いた時である。

 河原崎座の演目は狂言『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』と狂言『義経千本桜(せんぼんざくら)』。

 市川蝦蔵(えびぞう)の表情にも触発されたが、何と言っても、三代目大谷鬼二と市川男女蔵(おめぞう)だった。二人の演じる奴江戸兵衛(やっこえどべえ)奴一平(やっこいっぺい)が対峙する場面では、なぜか強い衝撃を受けた。彼らは脇役にすぎないのに。
 
 まるで、雷に打たれたように、その一瞬の情景が十郎兵衛の脳裏に焼き付いたのだ。右手の筆が電光のごとく閃く。ためらいなく、一気に描き切った。その一瞬を見事につかまえて画帳の中に閉じ込めることを成し遂げた。

 描けた。自分だけの役者絵が描けた。十郎兵衛は会心の笑みを浮かべていた。このまま、行けるところまで行ってやる。

 内なる獣が今、咆哮(ほうこう)を上げて、天に駆け上がっていく。


 蔦屋耕書堂は日本橋通油町(とおりあぶらちょう)にあった。

 誰よりも早く目を覚まし、静かな通りを散歩するのが、蔦屋重三郎の密かな健康法である。40を超えた頃から身体のあちこちにガタが来ているが、今日も多くの仕事をこなさねばならない。

 店の前に戻ってくると、薄汚れた男が顔を伏せてうずくまっていた。
 酔っぱらいか? 立ち退かせようと歩み寄っていくと、そいつが顔を上げた。

「蔦屋殿、できましたよ。版下絵、28枚だ」

 十郎兵衛だった。頬がこけて無精ひげを伸ばしているが、その眼は光り輝いていた。

                    *

 蔦屋は腕組みをしたまま、微動だにしなかった。
 大広間の畳の上に広げられた、28枚の版下絵の迫力に圧倒されていたのだ。

 こんな役者絵は見たことがなかった。たどたどしさが残る線は相変わらずだが、大胆に誇張された役者たちの個性は、他の絵師にはなかったものだ。

「個性」は「毒」と言い換えてもいい。

 人気女形の「ぐにゃ富」こと中山富三郎の表情は不気味だったし、三代目大谷鬼二と市川男女蔵の感情もむきだしである。舞台上で見せた演技そのままの臨場感だった。

(この素人絵師に賭けた俺の眼に狂いはなかった)

 目の前の28枚は間違いなく、十郎兵衛にしか描けない役者絵だった。

「蔦屋殿、いかがですか?」

 十郎兵衛から声をかけられて、蔦屋は我に返った。

「……いける。これなら、いけるぜ」

 喉の奥から絞り出すようにそう言うと、十郎兵衛に向き直った。

「間違いなく、今まで見たことのない役者絵だ。よくぞ、描いてくれた。俺は一目で惚れこんじまったぜ。こういう絵が欲しかったんだ」

 蔦屋は十郎兵衛に向かって、両手をついた。

「斎藤十郎兵衛殿、まさに型破りの役者絵だ。これなら江戸じゅうをあっと驚かせることができる」

 この時、蔦屋は初めて「十郎兵衛」と正しい名前を口にした。

 少し間をおいてから、十郎兵衛はそのことに気づいた。ようやく、絵師をして認められたということだろう。それは同時に、東洲斎写楽誕生の瞬間でもあった。

「ん、どうしたい、斎藤殿」

 蔦屋が怪訝そうな顔で訊ねたのは、十郎兵衛の眼に涙が浮かんでいたからだ。

「いや、何でもない」そう言って、指先で目元をぬぐった。「蔦屋殿、次は何を描けばいいですか?」

「そう急かさんでくれ。まずは、この版下絵から版木をつくる。彫師を待たせてあるんだが、この絵を見たら度肝を抜くだろうな」

 浮世絵版画は分業によって作られる。彫師は版下絵をもとに版木を作り上げ、摺師(すりし)が版木を使って版画を摺り上げるのだ。絵師が担当するのは、版下絵の作成と色の選定だった。

「斎藤殿、この28枚には蔦屋耕書堂の命運がかかっているんだ。ドカンと勝負をかけてやるぜ。背景はすべて、雲母摺(きらずり)でいこう」

 雲母摺とは、ニカワ液に雲母粉(きらこ)や貝の粉末を溶かしたものを刷毛で塗り付けること。豪華な雰囲気を出すために考案された手法である。

「その他の色に関しては、絵師である斎藤殿の受け持ちだ。想を練っておいてくれ」
「承知しました。早速とりかかりましょう」

 そう言った時、十郎兵衛の腹が鳴った。

朝餉(あさげ)をつきあってくれ。昨夜から何も食ってねぇんだろ?」

 蔦屋が大きな笑い声をあげたので、十郎兵衛もつられて笑った。
 二人の仕掛ける浮世絵は、はたして、世間をあっと言わせることができるのか?
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