文字数 2,373文字

  

「座った形のまま失神するなんて、随分器用なのね、フウヤのカノジョ」

 女性のよく通る声がする。
 清潔なシーツ、ベッドの上。
 そう、臓物の脂を見て気が遠くなったんだ……

「でも大丈夫なの? 臓物の臭いだけで気絶しちゃうなんて、どれだけお姫様なのよ?」

 声は隣の部屋からで、カーリはベッドで身を固くした。

「いいんだよ、カーリはお姫様で」
 フウヤの声。少しホッとする。

「臓物どころか、赤ん坊の頃から修道院育ちで、制約された物しか口に入れられなかった。今でも血肉の類は苦手だよ」
「あ、あら、そうなの? ごめんなさい」
「謝る所じゃないよ。修道院育ちは素敵な事なんだよ。何たってカーリは天使なんだ」
「あらあら」

 最後の意味が分からなかった。天使……?

「僕、至急自宅に戻らなきゃならないんだ。族長が使っていないベッドを譲ってくれるって。置き場所を作らなきゃ」
「お父さんが? あ、じゃあ、私が子供の頃に使っていた白いベッドかしら。そうね、あの子の背丈ならあれで丁度かも」
「その間、悪い、カーリを頼む」
「だから普段から掃除をして置きなさいって言っていたでしょ。ついでに天使に見られたら困る物も、キチンと処分しておくのよぉ」

 女性の言葉の語尾は尻上がりで、気の置けない親しい者がじゃれついている感じだった。

 扉が開いて、黒檀みたいな真っ黒な髪の女性が入って来た。
「あら、起きたのね、大丈夫?」
 さっき獲物に祈りを捧げていた、白い羽根飾りの女性。

「大丈夫……」
 カーリは起き上がってベッドから降りようとした。

「まだ休んでいなさいな。疲れてもいたのよ、きっと。フウヤってマイペースだから、着いて来るの大変だったでしょう」
「そんな事ない、フウヤは優しい」

 飴色の肌の娘の頑なな言いように、女性はちょっと止まったが、すぐ平常な顔をして、持参した水差しからコップに水を注いだ。

「あのね、私シータ。フウヤとは子供の頃からの友達なの。普通にト・モ・ダ・チ」

 水を渡しながら微笑み掛けられて、カーリは頬が熱くなった。
 小さな村の中なんだから、軽口を叩き合う女性の友達くらい居たって当たり前なのに。

 シータは、彫像のようなシルエットに絹の薄衣が映える、美の見本市のような女性だった。
 象牙の肌に黒曜石みたいな瞳。きりりと結い上げられた黒髪は、墨で線を引いたみたいに真っ直ぐだ。
 カーリはそれまで気にも止めなかった頑固に広がる自分の癖っ毛が、急に恥ずかしくなった。

 扉がノックされて、先程会った鷲羽の族長が入って来た。ここは族長の自宅で、シータは族長娘だった。
 立ち上がろうとするカーリを族長は優しく留め、部族の慣習に馴染もうと努力した彼女を誉めてくれた。

 しかし誉められる程に居心地が悪くなり、送ってくれるというのも断って、逃れるように(いとま)した。
 外の眩しさに、まだクラクラする。
 道々、皆が振り返る。
 当たり前だと分かっていても、何だか苛ついた。


 族長に教わったフウヤの住居兼アトリエは、桑畑を通り過ぎた土地の端……垂直に落ち込んだ崖の側にあった。
 昔の養蚕小屋を改装したもので、売れっ子芸術家の自宅とは思えない質素さだ。

 中を覗くとフウヤはいなかった。
 掃除がやりかけな感じで、掃除道具がそこここに置きっぱなし。
 足を踏み入れて、立て掛けられていた箒を手に取った。

 ガランとした部屋の壁には、様々な土地の地図が上から下までびっしりと貼り付けられている。
 この土地全部に行ったのだろうか? 自分の知らない色んな土地を見て、自分の知らない沢山の友達がいるんだろうな……

 隅に小さな厨房、奥に背の高い書棚とベッド。
 家具と言える物はそれだけで、あとは幾つかの木箱に沢山の巻紙が刺さっている。

「今日からここで暮らすんだ」

 奥の大きめの窓からは、残雪のある谷の斜面が見える。
 フウヤの好きそうな景色だ。自分も好きになれるだろうか。
 やっと心が落ち着いて、明日からの生活への実感が湧いて来た。


 ・・??・・
 気配を感じた。

 カーリの足は、引き寄せられるように部屋の奥へ動く。
 開けられた窓から埃っぽい空間に陽光が伸び、壁際の書棚をぼんやりと照らしている。
 気配はその棚の中段からする。
 他には物がびっしり詰まっているのに、その段だけ妙にスッキリしていた。

 真ん中にひとつだけ何かが置いてあるが、布が掛けられている。
 埃が無いのは、帰宅して一番にそこだけ掃除をしたからだろう。

(勝手に家捜しなんて、ダメだ、そんな卑しい……でも……)

 好奇心の手が伸びて、その紫のしじらの布を、はいだ。

「えっ!?」

 布の下は、拳大の木彫りの人形だった。
 背を向けて置かれていたが、粗い彫りは、フウヤの手の物とは違う。
 それよりカーリの目を釘付けにしたのは、人形と向い合わせで奥に立て掛けられた鏡だった。

 最初、鏡だと思わなかった。
 だってそこには、向かい合っている人形とは別のモノが写っているのだ。
 その後ろに、覗き込む自分の顔がぼんやり映っていて、やっとそれが鏡だと気付いた。

「きれい……」

 カーリは思わず声に出した。
 荒い木彫りの人形の代わりに鏡に写っているのは、人形と同じサイズの小さな女性だった。
 魔法の人形? それにしても何て綺麗。
 さっきのシータって女性も綺麗だったけれど、全然異次元な美しさ。
 透けるように白い肌、薄紫のふぅわりとした髪、スッと切れ込んだアメジストの瞳。
 フウヤは普段から、こんなヒト離れした麗しい女性ばかり見ているのだろうか。

 その女性が動いて口を開いたので、カーリはびっくりして布を落としそうになった。

《フウヤ?》
 声も鈴を振るうようだ。
《戻ったの、フウヤ? 元気だった? 怪我はない? 貴方がいないと本当に寂しいわ》

「・・・・!」
 カーリは手にした布を、思わず人形にひっ被せた。











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登場人物紹介

カーリ

砂の国から、フウヤに付いて、三峰の山へやって来た。

フウヤ

渡りの彫刻家。三峰在住。北方出身で髪が真っ白。

シータ

三峰の族長の娘。フウヤとヤンの幼馴染。

ヤン

三峰の凄腕猟師。フウヤの親友。

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