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文字数 2,455文字
「貴女が人形と目を合わせてしまったのは仕方がないわ。フウヤが注意しておかなかったのが悪いンだもの。目を見るだけで魔法の効果が自分に移っちゃうなんて、普通知らないわよ」
カーリは人形を懐に抱いて、黙って背中を丸めた。まるでそのまま消え入ってしまいたいかのように。
「そ、そんなに落ち込む事ないわよ。普通の感情じゃない。私、フウヤにも、誰にも言わな……」
「普通なものか!」
いきなり叫んで顔を上げた娘に、それまで流暢に喋っていたシータも黙らされた。
「あんな、自分勝手で、醜い……醜い、醜い。あんな醜い心のわらわが、何で真っ白なフウヤの側に居られよう……」
声はだんだんにしぼんで、カーリはまた背中を丸めてうずくまってしまった。
(ホントにお姫様ね)
シータはそっとカーリの背中に手を置いた。
「嫉妬とかした事ないの? 誰でも当たり前に持っている感情なのに。どうしてそんなに怖がるの?」
カーリはまたダンマリになってしまったが、今度は黒髪の娘は、急いて言葉で畳み掛けず、静かに待ってあげた。
「……清宮で育った……」
「うん……」
「総領家の跡取りを産む事だけが役割と教えられていた。でも、手違いでわらわの存在が知られていなくて、清宮を出た時には、総領の一人息子殿はもう妻を娶っていて」
「……そう」
「わらわには価値が無くなった。誰も必要にしてくれなくなった。でも息子殿もその妻も、優しくしてくれた。総領殿はわらわを放り出さないで、養女にして大事にしてくれた。嬉しかった。天から差し伸べられる手みたいだった。だからわらわも真似をして、天のヒトの手みたいに、綺麗な心で他者を思いやって生きようと思った。そしたら、こんなわらわでも、皆に受け入れて貰えた」
「うん」
「だからずっとそんな風に生きたかったのに。フウヤの事だと綺麗な心になれない、抑えられない。こんなに醜い心ばかりになったら、また居場所を失くしてしまう」
「……」
「やっぱり、どうしても、わらわは醜いのだ。清宮で何かを欠いて育ってしまったのだ」
(ホントに、そうだわ……)
シータは心でそっとつぶやいた。
飴色の肌の娘を映した人形は、本当に些細なワガママを喋っただけだった。
《フウヤに、綺麗な女性を見て欲しくない》
《楽しくお喋りなんかしないで欲しい》
そんな、他愛もない、石ころみたいな、ヤキモチ。
自分の中の小さな独占欲にすらこんなにおののいてしまうなんて。
まったくこの修道女は、どれ程のモノを欠いて生きて来たのだろう?
「それで、思わず人形を谷に投げちゃったのね」
「うん……」
カーリはまた、恥じ入りながら俯いた。
「怖くて恥ずかしくて、夢中で。でもシータに、大切なお姉ちゃん人形だったって聞いて。ね、フウヤのお姉ちゃんはどこにいるんだ? 人形を元に戻して返さなきゃ」
「うーん、でも、フウヤには、人形は私が壊したって言っちゃった!」
シータはシレッと言って、紫の布包みを取り出して、中身の薪の木端をバラバラと落とした。
「ええっ!」
「いつまでもこんな幻影と同居していちゃ駄目。遠くのお姉ちゃんより、近くの彼女を大切にすべきだわ」
「で、でも……」
「いいんだってば」
シータはカーリから人形を取り上げ、布に包んで、側の胡桃の木に登ってウロに隠した。
「どうしても必要な事態が起きたら、ここに取りに来ればいいのよ。そうでなければ、こんな人形は無い方がいい。本心なんて、ヒトにだって自分にだって見せるモノじゃないわ」
「シータ……」
「着いて来て」
シータは、谷の急な踏み跡を登り始めた。
知っている者でないと分からない、微かな道だ。
慣れないカーリは所々で引っ張り上げられ、ようよう登り着くと、フウヤの家の真下だった。
夜の山の斜面に捜索の松明が点々と見える。
「いらっしゃいな」
黒髪の娘はスタスタと、暗い留守宅に踏み入った。
昼間は無かった小さなベッドが窓辺におかれている。
「ふふふん」
すべてのカンテラを灯し終わったシータが、背中を向けて背伸びして、やにわに、壁に張られた地図を引っぺがした。
「シ、シータ!?」
慌てるカーリを尻目に、黒髪の女性は壁一杯の地図を次々と引き剥がして行く。
「まったく、こんなので隠して、しらじらしいったら!」
呆気に取られたカーリだが、地図が剥がされるにつれて、そのレモン色の瞳は一杯に見開かれた。
漆喰の壁一杯に描かれていたのは、砂漠の青空を背景に、伸びやかに踊る舞姫。
まだ幼さの残る少女時代のカーリから、上に重なるにつれて女性らしい身体つきになり、何人も、何人も。
「・・!!」
「己の才能に行き詰まって苦悩する駆け出し彫刻家の前に、ある日豆菓子を持った天使が降って来て……って、そんなフワッフワな物語を、酔っ払いのリフレインみたいに何回も何回も聞かされたわ。その天使さんを何で今、私が励ましてあげなきゃならないの? 本当に馬鹿馬鹿しいったら!」
ただただ立ち尽くすカーリに、シータは鼻から息を吐きながら、隅の木箱を目で指した。
「そっちの巻き紙もみんな貴女の絵。一つ一つ開いて見る? 別にいいわよね」
「……」
「納得した? ここは貴女が来る前から『貴女の家』だったのよ。じゃあ、地図を元通りに張るのを手伝って頂戴」
「えっ?」
「ヒトの心なんて、そうそう覗き見するモノじゃないわ。そうでしょ?」
作業はカーリに任せて、シータは外に出て、谷に向かって指笛を吹いた。
ピィ――ー・・ピッピッピッ・・
『無事見つかった』の合図。
谷に散っていた松明が、安堵の様子で登り始めた。
地図を張り終わったカーリの手を引いて、二人窓辺で並んでそれを見つめる。
「三峰の女はね、こうやって、山を駆ける男達を心配しながら、待つの」
「そう……」
「ねえ、カーリ、貴女、居場所を失くすのが怖い、って言っていたじゃない。居場所を貰うんじゃなくて、これから貴女がフウヤの居場所を作るのよ」
「ん、……うん!」
「こんなダサい言い方しか出来なくてゴメン、だけど」
「ううん、シータ、ありがとう、シータ」
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