第4話 昔日の庭園
文字数 4,129文字
いや、本当になんで?
なぜか女盗賊が、腰に手を当てて偉そーにしている。まるで最初からこうなることを予期していたかのような。
何かの間違い? 不具合? 誰も気付かない間に、森の魔術が解けてしまったのか? でも、大魔術師の魔術だぞ。そんなことってある? ないかあるかで言ったら、あるんだろうけど。
信じられないあまり、何度も目を擦ってはパチパチとまばたきを繰り返す俺を見て、女盗賊はくすりと笑った。
「いつまで呆けているつもりだ? ボサッとしてると、朝になってしまうぞ」
「ああ――いや、ちょっと待って。もっとじっくり見たい。ってか、落ち着いたら感動してきた。叫んでいい?」
「子供か」
うっさいわ。まだピチピチの十六歳じゃわい。お前みたいな若作りとは違うの。口が裂けても言えねーけど。
――ってことで。
ムクムクと、期待と喜びで胸が膨らむ。その勢いのまま、俺は大口を開けた。
「うっわあああ! マジか、マジかマジかマジでかー! 大魔術師の! 塔! 遺産! ほんとにあったんだ! 俺たちが見つけたんだ! もしかしなくてもこれ、世紀の大発見なんじゃね? 歴史に残る瞬間だろ! やったー!」
「さっきまでキョドってたくせに、いきなりうるさいな」
女盗賊さんが何か言ってる。キョドってなんかねーし!
俺はここぞとばかりに無視をして、首を思いっきり上に曲げたまま、後ろへたっぷり数歩分下がった。自分でも気持ち悪いくらい顔がニマニマしている。
「うわーお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
月光を浴びた大魔術師の塔は、ぼんやりと青くテカって見えた。石造りだが、ところどころ木も使われている。見た目は塔と言うより、縦長の家って感じだ。見張り塔に住居としての用途を足したらこうなるんじゃないかなって感じ。
少々、というか結構無骨なデザイン。設計した人の頑固さとか、他者に交わらないぞという姿勢が伝わってくる。魔術師っぽくて、なんかいい! たぶんこれ、リフォワ朝を意識しているな。リフォワ王朝はベルフォード王家に王権が移る前の支配者で、魔術よりも宗教寄りだった。玄関ポーチの柱頭に刻まれているグリフォンは魔除けの象徴。その宗教は現在でも細々と続いているけど、グリフォン像を魔除けとして飾ってあるのは教会くらいだ。
もしかしてリフォワ王朝時代に建てられたのかな? と一瞬思ったけど、高い四角錐の屋根とクローバーみたいな小尖塔は三百年前に流行ったタルナー様式に似てるから、比較的新しい感じ。
いやちょっと待って!? あの破風の彫刻、副都にある古魔術歴史博物館のと似てない!? まさか建築家同じ人!? あーーーもっと明るいところで見たい!!
「……こいつ、絶対頭の中早口になってるな」
女盗賊さんがまた何か言ってるけど、気にしない気にしない。
とは言え、建物の考察にのめり込んでしまっていた自覚は多少ある。仕方ない、これくらいにしておくか。そんなことより大魔術師がここに住んでいたという事実の方が大事に違いないしね。
「何もない森のど真ん中で、たった一人かぁ。大魔術師は人嫌いだったのかな」
「かもな」
窓の位置から察するに、地上三階建て。地下は不明。俺たちがいるのは正面玄関がある方で、門はないが枯れた低木のアーチが残っている。
石壁は苔むしていて、まるで遺跡のようだった。だが、形はちゃんと崩れずに残っていたり、窓ガラスが一点の曇りもなかったりするあたり、どうやら、塔そのものにも魔術がかけられているか、魔術加工された材質が使われているようだ。
アーチ型にくり抜かれた窓に目を凝らしても、内部の様子は全く見えない。漆黒の絵の具を垂らしたような闇が広がっている。当然か。中には誰も居ないのだ。明かりが点いているはずがない。
「あ、庭があるぞ。荒れ放題だけど」
ずっと見上げていたせいで、首が痛い。その痛みを散らすため肩を回していると、俺たちから見て右手奥にある小さな庭園の存在に気が付いた。
大人の背丈ほどの生け垣が造られ、小さな蕾が点々と成っている。植物には詳しくないが、薔薇だろうか。雑草に乗っ取られてしまっているが、花壇もある。大魔術師も花を愛でていたんだな……。魔術研究の気晴らしに丁度よかったのかな?
なんとなくそちらへ歩いていくと、伸び放題の下生えに覆われて見えにくいが、白いガーデンテーブルがちょこんと置かれていた。テーブルの上には、四角い箱のような花瓶。キャンドルかな? それと、ペーパーウェイトが置かれた古びた紙の束、転がったペン。テーブル端からじゃらりと垂れ下がった鎖は、たぶん懐中時計。ここに座って、時間を確かめながら書物をしていたのだろうか。盆に載ったままのティーセット。カップは二つ。まるで二度と帰らない主人を待っているかのようで、じくじくと心が痛んだ。
「セネシオ、ロベリア、デルフィニウム、カンパニュラ」
「は?」
思わず振り向くと、女盗賊が、苦し気な眼差しをして朽ちた庭園を見つめていた。
今、なんて言った? 一つも聞き取れなかったんだけど。
それに、なんでそんなに苦しそうなんだ?
いや……違う?
淋しそう……?
「おい、お前――」
手を伸ばしたのは無意識だった。こいつを捕まえておかないと、どこか遠いところへ行って、二度と帰ってこないような気がしたのだ。
しかし結局のところ、俺の右手は宙を掴んだだけだった。
「何してる? ここまで来たんだ。鍵を探そう」
こちらに気付いた女盗賊は、何事もなかったかのように……それどころか、手を浮かせた俺を怪訝な顔で見て言った。
俺は手指をふよふよと動かし、所在無げに背中に隠した。
「ああ、うん……」
馬鹿みたいな返答だなと、自分でも思った。
女盗賊の様子はすっかり元通りだ。一瞬のあの悲哀は、錯覚だったんじゃないかとさえ思えてくる。
ったく、なんなんだよ。妙な顔しやがって。釣られて変な気分になったじゃねぇか。
……まあでも、何でもないならいっか。
「そういや、鍵探しに来たんだっけ」
「大事なことだろ。興奮して叫んだ時に吹っ飛んだか」
「いやいや、三百年間誰も辿り着けなかった場所に、初めて俺たちが踏み込んだんだぞ? わけの分からん鍵のことなんか吹っ飛ぶって!」
「私の探しものをわけ分からんとか言うな」
だってわけ分からんし。
――黒い鍵。俺たちが出会うきっかけとも言える謎アイテム。女盗賊が長年追い求めているらしいが、どうやらベルフォードの王城に存在するらしい。一体どこ情報なんだと思うと同時に、なぜ俺に在り処を聞くんだと首を捻ってしまう。落ちこぼれで居ないも同然の扱いの俺が知るわけないだろ、常識的に考えて。
…………ん?
今、なんか引っ掛かったような……。
「こら、王子。今度は何を呆けているんだ? お前だって、こんなところで時間を浪費したくないはずだろ。さっさと行くぞ」
「あっ抜け駆けずるいぞ!」
すたすたと行ってしまう女盗賊の後を追い、俺は駆け出す。向こうはあくまで歩きなのに、もう玄関ポーチまで半分といったところ。くそ、なんて早足なんだ。
足元が暗いので、雑草に隠れた飛び石に突っかからないよう、気をつけて走らなければならなかった。先行する女盗賊は明かりを持っていないにもかかわらず、何故か俺よりも足運びに余裕がある。さすが泥棒。暗闇に慣れているのだろう。
女盗賊はわざわざ振り返って俺を待っていた。その前を通り過ぎて、俺はまじまじと玄関ポーチを観察する。
ポーチの石床は、雑草の侵犯を免れていた。恐る恐る地面より一段高くなったそれに足を乗せ、何の妨害魔術も発動しないことを確かめると、ふぅっと息をつく。森の魔術を突破したからと言って、塔に踏み入る資格を得たとは思わない。用心深い者なら、二重三重の警戒をしているのではと考えたのだ。どうやら杞憂だったようだな。
「ノック……は意味ないよな」
さも当然のように、玄関にはドアノッカーが設けられていなかった。本当に来客なんて考えていなかったんだな。
重く頑丈そうな樫のドアは鉄で補強されていて、これを作った職人は監獄か拷問部屋用のつもりだったと言われても頷ける。鍵穴はなく、閂でも差してあったら諦めるしかないなと思いながら、俺は冷たいドアノブに手を掛けた。
ドアは何の抵抗もなく開いた。軋みも、重みもなく。内側から勝手に開いたんじゃないかと思うくらい。
呆気ないと感じる暇もなく、鼻先でぶわりと独特の臭いがある空気が膨れ上がった。
「うわっ」
三百年の間、積もりに積もったであろう埃が、新しい空気を吸い込んだことで一斉に舞い上がったのだった。
俺は驚いて、無意識に二三歩後退った。
結果的に、それが功を奏した。
ヒュッ。
空気を切り裂く鋭い音。
直後、俺の眼前に、丸みを帯びた棒の切っ先が突きつけられる。さらに驚いた俺は、また後ろへとたたらを踏む。
「うわあああ!?」
「チッ」
チッ!? チッて聞こえた! 今チッて! 誰かに舌打ちされたんだけど!?女盗賊 !?
慌てて隣を確かめると、彼女もまたびっくりした顔で――それでも俺よりは軽度――扉の先を凝視している。
あーよかったっ! この感じだと違うっぽい! もしこいつに舌打ちされたら、ちょっと落ち込んでしまうかもしれない。たぶんだけど。
俺は束の間胸を撫で下ろしたが、すぐに次の疑問が心臓を締め付けた。
女盗賊 じゃない。とすると、舌打ちの主は誰だ?
そこへ、隣にいる女盗賊がわずかに震える声を出す。
「お前……もしかして、リオか?」
暗がりを見つめる女盗賊の眼が、大きく見開かれていた。
その声に反応するかのように、扉の奥の暗がりで緑色の線が一瞬だけ迸る。
「……確かに、ワタシの個体名は"リオ"と登録されています。ですが、その名を知る者は現在一人もいないはず。あなたは何者か?」
続けざまに予期せぬ出来事に見舞われ、俺はその言葉の意味を深く考えることができなかった。できたのは、暗闇から進み出て徐々に顕になってくる人影に、ただただ仰天し混乱することだけ。
月光の下に進み出た人影。
それは、メイド、らしき姿をした少女だった。
なぜか女盗賊が、腰に手を当てて偉そーにしている。まるで最初からこうなることを予期していたかのような。
何かの間違い? 不具合? 誰も気付かない間に、森の魔術が解けてしまったのか? でも、大魔術師の魔術だぞ。そんなことってある? ないかあるかで言ったら、あるんだろうけど。
信じられないあまり、何度も目を擦ってはパチパチとまばたきを繰り返す俺を見て、女盗賊はくすりと笑った。
「いつまで呆けているつもりだ? ボサッとしてると、朝になってしまうぞ」
「ああ――いや、ちょっと待って。もっとじっくり見たい。ってか、落ち着いたら感動してきた。叫んでいい?」
「子供か」
うっさいわ。まだピチピチの十六歳じゃわい。お前みたいな若作りとは違うの。口が裂けても言えねーけど。
――ってことで。
ムクムクと、期待と喜びで胸が膨らむ。その勢いのまま、俺は大口を開けた。
「うっわあああ! マジか、マジかマジかマジでかー! 大魔術師の! 塔! 遺産! ほんとにあったんだ! 俺たちが見つけたんだ! もしかしなくてもこれ、世紀の大発見なんじゃね? 歴史に残る瞬間だろ! やったー!」
「さっきまでキョドってたくせに、いきなりうるさいな」
女盗賊さんが何か言ってる。キョドってなんかねーし!
俺はここぞとばかりに無視をして、首を思いっきり上に曲げたまま、後ろへたっぷり数歩分下がった。自分でも気持ち悪いくらい顔がニマニマしている。
「うわーお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
月光を浴びた大魔術師の塔は、ぼんやりと青くテカって見えた。石造りだが、ところどころ木も使われている。見た目は塔と言うより、縦長の家って感じだ。見張り塔に住居としての用途を足したらこうなるんじゃないかなって感じ。
少々、というか結構無骨なデザイン。設計した人の頑固さとか、他者に交わらないぞという姿勢が伝わってくる。魔術師っぽくて、なんかいい! たぶんこれ、リフォワ朝を意識しているな。リフォワ王朝はベルフォード王家に王権が移る前の支配者で、魔術よりも宗教寄りだった。玄関ポーチの柱頭に刻まれているグリフォンは魔除けの象徴。その宗教は現在でも細々と続いているけど、グリフォン像を魔除けとして飾ってあるのは教会くらいだ。
もしかしてリフォワ王朝時代に建てられたのかな? と一瞬思ったけど、高い四角錐の屋根とクローバーみたいな小尖塔は三百年前に流行ったタルナー様式に似てるから、比較的新しい感じ。
いやちょっと待って!? あの破風の彫刻、副都にある古魔術歴史博物館のと似てない!? まさか建築家同じ人!? あーーーもっと明るいところで見たい!!
「……こいつ、絶対頭の中早口になってるな」
女盗賊さんがまた何か言ってるけど、気にしない気にしない。
とは言え、建物の考察にのめり込んでしまっていた自覚は多少ある。仕方ない、これくらいにしておくか。そんなことより大魔術師がここに住んでいたという事実の方が大事に違いないしね。
「何もない森のど真ん中で、たった一人かぁ。大魔術師は人嫌いだったのかな」
「かもな」
窓の位置から察するに、地上三階建て。地下は不明。俺たちがいるのは正面玄関がある方で、門はないが枯れた低木のアーチが残っている。
石壁は苔むしていて、まるで遺跡のようだった。だが、形はちゃんと崩れずに残っていたり、窓ガラスが一点の曇りもなかったりするあたり、どうやら、塔そのものにも魔術がかけられているか、魔術加工された材質が使われているようだ。
アーチ型にくり抜かれた窓に目を凝らしても、内部の様子は全く見えない。漆黒の絵の具を垂らしたような闇が広がっている。当然か。中には誰も居ないのだ。明かりが点いているはずがない。
「あ、庭があるぞ。荒れ放題だけど」
ずっと見上げていたせいで、首が痛い。その痛みを散らすため肩を回していると、俺たちから見て右手奥にある小さな庭園の存在に気が付いた。
大人の背丈ほどの生け垣が造られ、小さな蕾が点々と成っている。植物には詳しくないが、薔薇だろうか。雑草に乗っ取られてしまっているが、花壇もある。大魔術師も花を愛でていたんだな……。魔術研究の気晴らしに丁度よかったのかな?
なんとなくそちらへ歩いていくと、伸び放題の下生えに覆われて見えにくいが、白いガーデンテーブルがちょこんと置かれていた。テーブルの上には、四角い箱のような花瓶。キャンドルかな? それと、ペーパーウェイトが置かれた古びた紙の束、転がったペン。テーブル端からじゃらりと垂れ下がった鎖は、たぶん懐中時計。ここに座って、時間を確かめながら書物をしていたのだろうか。盆に載ったままのティーセット。カップは二つ。まるで二度と帰らない主人を待っているかのようで、じくじくと心が痛んだ。
「セネシオ、ロベリア、デルフィニウム、カンパニュラ」
「は?」
思わず振り向くと、女盗賊が、苦し気な眼差しをして朽ちた庭園を見つめていた。
今、なんて言った? 一つも聞き取れなかったんだけど。
それに、なんでそんなに苦しそうなんだ?
いや……違う?
淋しそう……?
「おい、お前――」
手を伸ばしたのは無意識だった。こいつを捕まえておかないと、どこか遠いところへ行って、二度と帰ってこないような気がしたのだ。
しかし結局のところ、俺の右手は宙を掴んだだけだった。
「何してる? ここまで来たんだ。鍵を探そう」
こちらに気付いた女盗賊は、何事もなかったかのように……それどころか、手を浮かせた俺を怪訝な顔で見て言った。
俺は手指をふよふよと動かし、所在無げに背中に隠した。
「ああ、うん……」
馬鹿みたいな返答だなと、自分でも思った。
女盗賊の様子はすっかり元通りだ。一瞬のあの悲哀は、錯覚だったんじゃないかとさえ思えてくる。
ったく、なんなんだよ。妙な顔しやがって。釣られて変な気分になったじゃねぇか。
……まあでも、何でもないならいっか。
「そういや、鍵探しに来たんだっけ」
「大事なことだろ。興奮して叫んだ時に吹っ飛んだか」
「いやいや、三百年間誰も辿り着けなかった場所に、初めて俺たちが踏み込んだんだぞ? わけの分からん鍵のことなんか吹っ飛ぶって!」
「私の探しものをわけ分からんとか言うな」
だってわけ分からんし。
――黒い鍵。俺たちが出会うきっかけとも言える謎アイテム。女盗賊が長年追い求めているらしいが、どうやらベルフォードの王城に存在するらしい。一体どこ情報なんだと思うと同時に、なぜ俺に在り処を聞くんだと首を捻ってしまう。落ちこぼれで居ないも同然の扱いの俺が知るわけないだろ、常識的に考えて。
…………ん?
今、なんか引っ掛かったような……。
「こら、王子。今度は何を呆けているんだ? お前だって、こんなところで時間を浪費したくないはずだろ。さっさと行くぞ」
「あっ抜け駆けずるいぞ!」
すたすたと行ってしまう女盗賊の後を追い、俺は駆け出す。向こうはあくまで歩きなのに、もう玄関ポーチまで半分といったところ。くそ、なんて早足なんだ。
足元が暗いので、雑草に隠れた飛び石に突っかからないよう、気をつけて走らなければならなかった。先行する女盗賊は明かりを持っていないにもかかわらず、何故か俺よりも足運びに余裕がある。さすが泥棒。暗闇に慣れているのだろう。
女盗賊はわざわざ振り返って俺を待っていた。その前を通り過ぎて、俺はまじまじと玄関ポーチを観察する。
ポーチの石床は、雑草の侵犯を免れていた。恐る恐る地面より一段高くなったそれに足を乗せ、何の妨害魔術も発動しないことを確かめると、ふぅっと息をつく。森の魔術を突破したからと言って、塔に踏み入る資格を得たとは思わない。用心深い者なら、二重三重の警戒をしているのではと考えたのだ。どうやら杞憂だったようだな。
「ノック……は意味ないよな」
さも当然のように、玄関にはドアノッカーが設けられていなかった。本当に来客なんて考えていなかったんだな。
重く頑丈そうな樫のドアは鉄で補強されていて、これを作った職人は監獄か拷問部屋用のつもりだったと言われても頷ける。鍵穴はなく、閂でも差してあったら諦めるしかないなと思いながら、俺は冷たいドアノブに手を掛けた。
ドアは何の抵抗もなく開いた。軋みも、重みもなく。内側から勝手に開いたんじゃないかと思うくらい。
呆気ないと感じる暇もなく、鼻先でぶわりと独特の臭いがある空気が膨れ上がった。
「うわっ」
三百年の間、積もりに積もったであろう埃が、新しい空気を吸い込んだことで一斉に舞い上がったのだった。
俺は驚いて、無意識に二三歩後退った。
結果的に、それが功を奏した。
ヒュッ。
空気を切り裂く鋭い音。
直後、俺の眼前に、丸みを帯びた棒の切っ先が突きつけられる。さらに驚いた俺は、また後ろへとたたらを踏む。
「うわあああ!?」
「チッ」
チッ!? チッて聞こえた! 今チッて! 誰かに舌打ちされたんだけど!?
慌てて隣を確かめると、彼女もまたびっくりした顔で――それでも俺よりは軽度――扉の先を凝視している。
あーよかったっ! この感じだと違うっぽい! もしこいつに舌打ちされたら、ちょっと落ち込んでしまうかもしれない。たぶんだけど。
俺は束の間胸を撫で下ろしたが、すぐに次の疑問が心臓を締め付けた。
そこへ、隣にいる女盗賊がわずかに震える声を出す。
「お前……もしかして、リオか?」
暗がりを見つめる女盗賊の眼が、大きく見開かれていた。
その声に反応するかのように、扉の奥の暗がりで緑色の線が一瞬だけ迸る。
「……確かに、ワタシの個体名は"リオ"と登録されています。ですが、その名を知る者は現在一人もいないはず。あなたは何者か?」
続けざまに予期せぬ出来事に見舞われ、俺はその言葉の意味を深く考えることができなかった。できたのは、暗闇から進み出て徐々に顕になってくる人影に、ただただ仰天し混乱することだけ。
月光の下に進み出た人影。
それは、メイド、らしき姿をした少女だった。