詩 祖母の手紙

文字数 768文字

ことさら暑き夏を向かへました
やすくににひとりでまゐらねばなりません
あなたさまが居られなくとも
なにかのたしになるのでせうか

今の頃の海の底はいかがでせうか
きれいな小魚もあなたをおとなうのでせうか
潮に身をまかせてたゆたうのも
きもちのよろしいことでせうか

娘があなたさまが夜おこしになられた
というて泣いておりました
わたしはといふと日の忙しさに疲れて
いびきをかいておりましたやうです

でもたしかにお越しになられたのですね
寝室の隅の畳がすこしぬれておりました
娘には笑っていただけたのでせうか
娘はわけが分からずじつとみてゐたようです

主砲をつかさどるあなたさまは
飛ぶ鳥をお打ちになったのでせうか
ただひとつも打たずに
お沈みになったのでせうか

水にはいるときはご立派だったのでせうか
残るわたしたちのためにお泣きになりましたでせうか
軍人さんですのでそんなことはありますまい
部下の方たちの行末をお案じになったのでせう

あとから聞けば先に藻屑となった
むさしから生き残った方たちは
また南方へと送られたそうです
そんなことをあなたは許すはずはありませぬ

静かな境内にたたずみおりますと
せわしく五月蝿い蝉の鳴き声のなかに
あなたさまに逆らって
娘と家出をしたことが思ひ出されます

あなたはびつくりなさつたはずなのに
怒ったふりを続けなさいました
私達が町内をぐるつとまわって
帰りますとあなたの背が丸く安堵しました

わたしもすでにはかなくなり
あわいの世界であなたさまを探しております
それでもあなたさまが命を大和とともにしたときから
何十年も娘夫婦の家で生きたのです

お陰で孫たちが平和に暮らしているところを
見ながら目をとじることができました
娘もすでにあなたさまといっしょにゐて
迷子のわたしをさがしてゐると思ひます

もうすこしでお会いできますとも
お体がまだ深い海にありますとも
魂は自由です
そして平和です
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