第1話

文字数 2,106文字

 幼少のころ東北地方のN市に住んでいた。人口五万人ほど、近隣の町村も商圏とする小都市だ。私が住んでいた家は商店街から少し離れた住宅地にあった。さほど永くそこに住んだわけでない。中学の時その地を離れた。
 離れてから半世紀以上経つが、N市には仕事で二度行ったきりだ。しかも日帰りだったこともあり、住まいのあった地には寄っていない。
 退職後の三年前、遠縁の仏事がN市の近くであった。もう時間に追われることもない旅だったのでN市へも行き、住いのあった地に足を延ばしてみた。昔とはすっかり町並みが変わっていたが、住いだった場所はすぐ判った。三軒隔てた十字路角の神社が残っていたからだ。
 走り回って遊んだ境内の広場は端から端まで長く、とても広いと思っていたが、五十坪もないのには驚いた。体が小さいので広く感じていたのだろう。その境内には紙芝居屋が定期的にやって来た。自転車を境内の隅に停め、まず町内を太鼓を鳴らしながら歩く。聞きつけた子供たちが境内に集まってくる。町内を巡ってきた紙芝居屋から水飴を買う。割り箸一本を二つ折りした先に一口分巻き付けたものだ。それを手に、荷台に据えられた紙芝居の前にめいめい立つ。子供たちは水飴をすぐには食べない。箸で()ねりながら物語に見入る。物語は二つか三つ演じられる。たぶん一回で終わらず、続きになっていたと思う。物語は、紙芝居屋の巧みな話術と太鼓の効果音でとても面白い。水飴を買わない子供たちは、少し離れた石碑などに上って見ている。それを紙芝居屋は(とが)めない。水飴は捏ねっているうちに透明から白色に変化していく。終わったあと、より白濁した子供はオマケがもらえた。
 神社の鳥居に面した道路は途中から坂道になっている。子供の頃は長く高い坂だと思っていた。今見ると何のことはない。数メートル、高さも七、八十センチくらいの坂だ。その坂を上り切った左角に駄菓子屋があった。十円玉を握って入る。店の奥の小上がりにお婆ちゃんが座って店番をしている。買うものを選んでいる間は座ったままだ。決めるとゆっくり出てくる。菓子はクジ式のものが多くある。餡玉(あんだま)は人気だ。小さいピンポン玉くらいの餡を割る。中にある色によって、大中小の餅菓子だか練り菓子が貰える。が、なかなか当たらない。餡玉が少なく、そのわりに練り菓子が多く残っている時でも外れるので、何か仕掛けがあるのではと、子供心に思ったこともある。私は小豆入り砂糖菓子に紐が繋がっているものが好きだった。紐の束から一本選んで引く。運よく選ぶと大きな砂糖菓子が、ずずっと小さな菓子を除けて上がってくる。
 駄菓子だけでなく玩具類も売っている。ビー玉、メンコ。冬は竹スケートもある。太い竹を幅四、五センチに縦割りにした、三十センチくらいの長さのものだ。前の部分が半円に曲げられている。ちょうどアルファベットの「J」を横にした形だ。靴を固定するベルトはない。竹スケートには直に長靴で上がる。店の前から神社側へ下る坂道を滑ったり、他の子に手を引いてもらったりする。雪がある程度固くなければ滑りにくいので、時折車も通る、道路での遊びだ。

 小学校も高学年になると、さすがに駄菓子屋へは行かなくなった。神社の反対側へ百メートルほどにある貸本屋へ行くようになった。ここでも畳敷きの帳場があって店主のおばさんが座っている。漫画の単行本が沢山揃っていて、いつも混んでいた。借り賃は五円。新しいものは十円だ。私は「少年画報」という月刊誌は購読していたが、ここの単行本もよく借りた。白戸三平の忍者シリーズが思い出される。一冊か二冊借りるのだが、その前に五、六冊は立ち読みする。店主は何も言わなかったが、手伝いの中学生らしい人は邪魔そうに本を整理してくる。タダ読みしている身なので横に()ける。そこは貸本の他、串刺しおでんやのしイカなど大人向け? の食べ物も置いていた。これらは買った記憶が無い。その分本を借りた方がいいと思ったのだろう。
 この店の前の通りをさらに数百メートル進むと学校だ。小学校と中学校が隣り合っている。中学校の校舎は、戦前は練兵所だったそうだ。向かいに文房具店があった。鉛筆や消しゴム、ノートが十円で買えた。パンや牛乳なども置いている。店先に縁台型のベンチが置いてある。中学生がそこに座ってパンと牛乳を食べ、飲んでいるのをよく見た。コーヒー牛乳もあった。
 その頃の牛乳容器は紙パックでなく、ガラス瓶だ。瓶の蓋は紙だ。大き目の瓶の口を円形の厚紙が落し蓋のように塞いでいる。ふつうに傾げるくらいではこぼれない。この蓋を開けるには錐のような金属を刺して引っ掛け上げる。危なくない、専用の器具があった。お店や、牛乳を定期配達してもらっている家にはあった。
 店先での飲食を、僕もやってみたかったが中学生が怖くて出来なかった。でも結局、中学生になってもしなかった、と思う。

 十円――。小学低学年から高学年、中学生へと、成長とともに使い道も変わっていった懐かしい「記憶の旅」です。
 皆さんが十円玉を握った時、どんな旅が待っていますか?

【了】

この作品は「ハンフィクション」です。……ハン:半
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