【1話】クリムゾン・ウォルフ

文字数 3,309文字

「てめぇ、待ちやがれぇっ――!」

 雲一つない晴天の日。とある町を走るのは、黒いジャケットを身にまとう一人の青年。
 ――そして、その青年を追いかける数人の男たち。

 男の一人は怒号を上げながら、町を行き交う人々の合間を器用にすり抜けていく青年を追う。

 青年は身軽そうに走っており、時々こちらを振り向く様子からしてまだ余裕があるらしい。

 男たちがしばらく追いかけた時、青年が町外れの住宅地にある路地裏へと曲がっていくのを目撃する。
 その様子を見て男たちも後を追い角を曲がると、青年はそこで立ち止まっていた。


 影になって日差しの入らない路地裏では、男たちが追いかけていた一人の青年の道を両側から塞ぐように十数人程の男たちが立っていた。
 そう。他の仲間と連絡を取って逃げる道を無くしたのだ。
 
 男たちは上着の裏から拳銃を取り出すと、中央で立つ青年に向けて構える。

 その場にいる全員に照準を合わせられた青年。
 下手に身動きできないその様子を見ると、男たちのリーダー格の男が余裕そうに笑みを浮かべた。

「お前に勝ち目はない。さぁ、銃を捨てて手帳を返してもらおうか」

 リーダー格の男がそう言うと、青年はジャケットの裏にしまっていたハンドガンを取り出し、手を離して足元へと落とす。

 すると、ハンドガンは重力に従って地面に落ちて無機質な音を奏でた。
 青年はそのまま続けてポケットから一冊の手帳を取り出して男たちの様子を伺う。

 リーダー格の男は首を軽く振って隣にいた下っ端に合図を出すと、下っ端の男は銃を構えたまま青年の元へ近づく。

「聞き分けがいいじゃねぇか」

 そう呟いて、下っ端の男はクククッと気味の悪い笑みを浮かべた。
 下っ端の男は手帳を取り上げると、上着の裏から縄を取り出し器用に銃を持っている反対の手で青年の手を縛ろうとした。その瞬間――

「がッ――?!」

 突然、下っ端の男が詰まるような声をあげて勢いよく後ろへ倒れる。

 下っ端の男が倒れたことによって、重なって見えなくなっていた青年の姿を再び捉えた。
 足を下ろしてニヤリと笑みを浮かべる青年。
 その様子からして、下っ端の男の顎を勢いよく蹴りあげたのだろうか。

 目の前で仰向けになって白目をむく下っ端の男を見て、リーダー格の男は舌打ちする。

「殺れッ――!」

 リーダー格の男がそう短く呟くと、容赦なくハンドガンの引き金を引く。
 男たちが続くように引き金を引いて青年に向かって発砲した。

 ――だが、青年は銃弾を軽々とかわして壁を蹴りあげると、左手をジャケットの中に入れて隠し持っていたハンドガンを取り出し、躊躇なく発砲する。

 軽々と二人の心臓を撃ち抜くと、青年は近くの数人を足で蹴り飛ばしてはハンドガンで頭を殴った。
 そして、タイミングを見計らい自分が落としたハンドガンを拾い上げると、地面を大きく蹴って飛び上がり宙を舞いながら綺麗に照準を合わせ、二丁のハンドガンで着々と下っ端たちを撃ち抜いていく。

 迷うことのない、青年の華麗で俊敏な動き。

 あちこちで呻きと血が飛び散る中、気づけば青年とリーダー格の男は正面で向かい合っていた。
 互いに銃口を向けたまま、どちらから攻撃することもなく沈黙の間が流れる。

 瞬く間に仲間を全員殺され、思わぬ危機に男は眉を寄せて頬から緊張の雫を静かに落としていた。

「お前は一体……?」

 たった一人で大人数を相手する青年の圧倒的な実力に、男は違和感を覚える。

 その時、男が務める組織の中で噂されていたある人物が脳裏に浮かんだ。

「……まさか、お前が組織を狙っているクリムゾンこと、クリムゾン・ウォルフなのか?!」

「ん、そうだけど?」

 クリムゾン・ウォルフ――それは、組織内での“リスト”に載っている人物の一人であり、首に二億の賞金を懸けられる程のお尋ね者で組織にとってその存在は厄介極まりなかった。

 赤髪に黄色の目、黒いジャケットをまとう青年で、二丁のハンドガンを使う情のない人物だと上の者に聞かされていたのだ。
 どんな恐ろしい人物なのかと身構えていたが、帰ってきた答えは気の抜けた声そのもの。

 むしろ今更気づいたのか。とでも訴えるかのような青年の視線に、男は思わず瞬きした。

「……まぁ、組織の事狙ってるってのは確かかな」

「ってことで君たちのアジトの場所を教えてくれたら、君だけは見逃してあげるよ」

 青年は無邪気な子供のように口角を上げ、男に問いかける。
 けれど、その無邪気な笑みとは裏腹に銃口は男の額に向けられたままで僅かにも逸れることも許さない。

 男は数秒ほど答えに悩むと、大げさに笑いだす。

「ふははは! お断りだね、寝言は寝てから言えクリムゾン!」

 青年に対しての恐怖はなかったわけではない。
 ただ、リストに記載されていた九桁の賞金を想像すると行動を起こさない訳にはいかず、男は言い終えるとほぼ同時に引き金を引いた。

 だが、青年はその行動を最初から知っていたかのように避けると、的確にハンドガンを男に向け直して引き金を引く。

 次の瞬間、ハンドガンは爆発に近い音を立ててその銃弾は男の右肩を貫いた。

「あぐッ!? うああああぁっ!」
 
 刹那、想像を遥かに超える激痛が走り男は叫んだ。左手で肩の傷を抑えながら地面に倒れ、増していく痛みに身悶える。
 青年は男が痛みで落としたハンドガンを蹴り飛ばして遠ざけると、頭を軽く掻いて再び口を開く。

「あのさぁ。もう一度聞くけど、君たちのアジトはどこ? 言わないなら次はその足を撃つけど」

 地面でうずくまり静かに痛みに耐える男の前で青年は膝を曲げてしゃがむ。そして、ハンドガンの銃口を太ももに突きつけた。
 服越しに感じるハンドガンの感触に男は次の痛みを想像すると、恐怖のあまり目を見開き奥歯を震わせながらスマホを取り出す。

「こ、琴木市にあるこの建物が俺たちのアジトだ……だから、もう撃たないでくれ!」

 男が泣きながらスマホの画面を見せると、青年は場所を確認したのかスマホを放り投げることなく丁寧に地面に置く。

「ありがと。ところでこれ、まさかとは思うけど嘘じゃないよな?」

 男の示した情報を素直に信じられないのだろう。青年は男の瞳を覗き込んで、じっと見つめた。
 
「嘘なんてついていない、本当だ! 頼む、信じてくれ……」

 こちらを静かに見つめる青年の無邪気な瞳には心なしか圧が込められており、男は青年に信じてもらうために首を慌ただしく振った。
 そんな男の様子を見た青年は眉を僅かに動かす。そして手を顎に当てて少し唸ったと思えば、次の瞬間にはニッコリと笑みを浮かべる。

「分かった、君の言うことを信じるよ。じゃあな」

 青年は太ももからハンドガンを離すと、男に背中を向けて歩き出す。恐らく、これから今聞き出したアジトに向かうのだろう。

 ――行かせるものか。

 青年が歩く度にコツコツと靴の音が反響する路地裏。その音に交じって、男は近くで血を流して倒れる下っ端のハンドガンを拾い上げる。

「――まぁ、生きて帰さねぇけどなぁ!」

 そして、素早く照準を合わせると男は引き金を引いた
 大きな発砲音が鳴り響き、その場で倒れる青年を見て男は堪らず笑みを浮かべる。

 だが、次の瞬間――男は全身から力が抜けて体制を崩す。

 頭から生ぬるい液体が流れる感覚に、男は訳も分からずただ目を見開いた。

 その時――瞳に映ったのは、銃弾を回避するためにやや強引に体を捩って体制を崩す青年の姿。
 こちらがハンドガンを構える際の僅かな音を、青年は聞き取ったのだろうか。

 男の放った銃弾が青年の頬付近を通り、その際に切り落とした髪がヒラヒラと宙を待う。
 ほんの一瞬の出来事だった。


 青年が転げそうになりながらもなんとか踏みとどまった頃には、つい先程まで勝利を確信して笑っていた男はただの動かぬ肉の塊となっていた。

「……アジトの場所を教えた後に殺そうって作戦か。まぁ分かってたけどさ」

「あと、手帳はいただいていくよ」

 ふわぁ。と大きなあくびをして、何事も無かったかのようにアジトへと歩みを進める青年。
 彼を囲っていたはずの男たちは、青年が去るころには誰一人として息をしていなかった。
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