2.森野さんとの出会い

文字数 2,087文字

 森野さんとは出会いから最悪だった。
私が小学校に上がる頃に両親は離婚し、私は母親に引き取られた。母の仕事に合わせて、あの日もらったCDを持ってあちこち転居を繰り返す。
でも、どんな状況になっても、CDの歌を聴いていれば乗り越えられた。
母親の再婚を機に私は一人暮らしを始め、短大卒業後には関西に本社のある赤ちゃん用品を扱う量販店に入店した。全国に店舗がある中、私は従妹のお姉ちゃんの家がある地域へ配属された。
伯母さんやお姉ちゃんは下宿て良いとは言ってくれたけれど、お店の近くにアパートを借りて一人暮らしを継続している。
研修期間中は配属された店舗の売り場を全部回り、店長が適正を見極めて配属が決められる。
最初はサービスセンターからだった。
ラッピングをした事が無かった私は、ラッピングやらレジ打ちを必死に覚え、やっと覚えたかと思ったら新生児用品売り場。ベビー雑貨、マタニティー売り場、ギフト売り場から催事へと渡り、最後に玩具売り場へと研修になった。
「今日からうちの売り場で一週間研修する、柊 明日海さんです」
杉野チーフから紹介され挨拶をしていた時だった。
「じゃあ、一人一人自己紹介していって。
まずは森野君から」
杉野チーフが指名したその人を見た時、ドキっとした。
スラリとした長身に、短く切りそろえた髪の毛が顔立ちの美しさを際立たせていた。
卵形の輪郭に切れ長の涼し気な瞳と凛々しい眉。
スーと通った鼻筋と、引き締まった薄い唇。
芸能人かと思う程、綺麗な顔をしていたその人に思わず見とれていると
「森野です」
と発した声に息を呑んだ。
CDをもらった時の声よりも大人びていたけど…聞き間違える筈が無い!
「その声…カケルさん?
森野さん!歌、歌っていませんでしたか!」
思わず叫んでしまっていた。
すると森野さんはムっとした顔をして
「それ…嫌味?」
そう返したのだ。
「あ!こら!森野君、すぐ喧嘩売らない!
 ごめんね、森野君は酷い音痴なの。
だから、歌は絶対に歌わないのよ」
困った顔をして言う杉野チーフに
「でも…」
思わず反論しそうになった私に
「誰と間違えてるんだか知らないけど…、俺と声が似てるなんて致命的な下手くそなんだろうな」
って、鼻で笑われたのにはカチンと来た。
「何も知らない癖に、馬鹿にしないで下さい!」
「馬鹿にするも何も、お前が勝手に間違えたんだろうが!」
大好きな「カケル」さんと同じ声が私を馬鹿にする。
「大体、その何だ?お前の好きな奴。
カケルとかいう奴?名前も聞いた事無いわ」
森野さんの言葉に、私はグっと息を飲む。
「もう解散したアマチュアバンドのボーカルです。
間違えてすみませんでした。
私、顔もちゃんとした名前も知らなくて……。
バンドの方々が「カケル」って呼んでいた名前しか知らないんです。でも…今まで誰も間違えなかったのに…」
そう呟いた私に、森野さんは鼻で笑うと
「アマチュア?
結局プロにもなれない下手くそなんだろう?
くっだらねぇ!」
そう吐き捨てるように言い放ったのだ。
その言葉に、私の中の堪忍袋の緒が切れる音がした。
「何も知らない癖に馬鹿にしないで下さい!
そりゃ~、私が出会ったのは10年前ですし、それ以降にライブさえも行ったことないですよ。
でも…カケルさんの声が…歌が私を救ってくれたんです。
だから、馬鹿にしないで下さい!」
森野さんを真っ直ぐ見て言い切った私に、杉野チーフが慌てて
「そんなに大切な人と声が似てるなんて凄い偶然よね。
もしかしたら、森野君の親戚とかじゃないの?」
とフォローに入った。
すると森野さんは冷めた目で私を見たまま
「アマチュアアバンドの歌が心を救う?
馬鹿じゃね~の?
そんな素晴らしいお方が、俺と同じ声?
たかが知れてるな」
って、再び鼻で笑って馬鹿にしたのだ。
私は完全に頭に血が上り
「なんであんたみたいな嫌な奴が同じ声してる訳?
本当にムカつく!」
「悪かったな!
俺は生まれてこの方、この声で生きて来てるんだよ!」
「あ~嫌~!
カケルさんと似た声で、汚い言葉使わないでよ!」
「はぁ?知らねえよ!お前の都合を押し付けんな!」
とまぁ…私と森野さんは、出会い頭で言い争いをしてしまったのだ。
…たしかに私も悪かったとは思う。
思うけどさ…、ずっと大切にしていた人を馬鹿にされたら、誰だって怒ると思う。
お蔭で、研修期間中に私と森野さんが口をきく事は一切なかった。
で、私は絶対に玩具売り場には配属されないだろうと思っていた。
…思っていたのだが。
「柊さんは、玩具売り場ね。で、教育係は森野君だから」
店長が笑顔で辞令を手渡した。
「う…そ…」
目の前が真っ暗になる私に
「いや~聞いたで~。出会い頭に喧嘩したんやって?」
店長が楽しそうに笑うと、私の肩をポンっと叩いた。
「店長…せめて教育係を杉野チーフに…」
「ダメ!森野君と仲良くなってな~」
そう言い残し、店長が笑いながら去って行った。
それから…鬼…もとい、森野さんの教育が始まった。
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登場人物紹介

柊 明日海 22歳

赤ちゃん用品を扱う量販店の玩具売り場勤務の新人販売員。

負けず嫌いで責任感が強い。


森野翔太 32歳

明日海の教育係をしている玩具売場の先輩。明日海の好きなアーティストに似た声を持つ。

口が悪くぶっきらぼう。

だが、仕事熱心で商品知識が売り場1番。

杉野チーフ

明日海が勤める玩具売場の責任者。

いつでも優しく、明日海を応援してくれる優しい上司。

和田店長

明日海の勤める店舗の店長。

社員の特性を見抜き、職場配属している。おおらかで優しいが、本気で怒ると怖い。実はエリート店長。

和田店長の奥様

和田由美(旧姓:園田)


明日海の勤める店舗の元契約社員。

ディスプレイの腕は抜群で、全国の店舗で行なわれたディスプレイ大会で優勝する程の実力の持ち主。

現在、妊娠8ヶ月。

木月さん

明日海の働く玩具売場のパートさん。

みんなのお母さん的存在。

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