第1話

文字数 6,240文字

 あるところに、中古の人型AIロボットをやましい目的の為に買おうとしている男がいた。この世界の多くの人間がやましい目的でロボットを購入していたが、この男もそのうちの一人だった。
 彼は国民的に有名な作家だった。彼の書く小説は教育に悪く、読む必要のない本だと批評家からは言われがちだが、ある一定の読者からは高い評価を受けてる事もまた事実だった。害にもならないが、かといって役に立つというわけでもない物語を書く作家。彼は世間からドクと呼ばれていた。

「人型のAIロボットを探してる。中古でもかまわない」と彼は言った。

「どういったのがお好みで?」と業者の男が言った。

「見かけは幼ければ幼いほどいい。性別は女だ。それでもって、できるだけ従順なやつがいいな」と男は答えた。

「ふうむ」と業者の男は腕を組んで唸った。「ご希望に添えそうなやつは一ついるんですけどね、ちょっとばかし問題があるんですわ」

「問題?」

「ええ。少し古い型の製品でしてね、言語能力の一部が初期化されちまってます。簡単な日常会話はできると思いますが、ある程度は旦那が言葉を覚えさせなきゃならんわけです」と業者の男は頭を掻きながら言う。「でも見かけだけはいいですからね。そこは保証しますよ」

「とりあえず連れて来てくれないか」

 業者の男が連れてきたのは十五歳くらいのやつれた少女型だった。

「前に流行ったんですがね、今じゃ法律が厳しくなってあんまり出回ってないですね。そういう意味じゃレアかもしれませんな」

 男は少女型ロボットを見て一目で購入を決意した。すべてにうんざりしているような表情がとてもよかった。

「この子を貰おう。名前はなんていうんだ?」

「アイです。即決してくれた旦那に感謝の気持ちを込めて、アイの一つ耳寄りな情報を教えときます」業者の男は少女型ロボットの肩を乱暴に叩いて、言った。「実はこいつ、安全ロックをしていないんです」

「……セックスができるってことか?」

「内緒ですよ」と業者の男は目を濁らせて言った。

 店から出ると、アイはとことことドクの前に歩いてきて小さくお辞儀をしてから「よろしくおねがいします」と言った。まっさらな髪の毛が揺れて華奢な肩に触れた。その精巧な髪の毛は人間のものと比べても全く遜色ないものだった。

「ひとつお聞きしてもいいですか?」とアイは言った。

「なんだ?」

「あなたはわたしに、らんぼうする人ですか?」

「なんだ急に。そんなことが気になるのか」ロボットなのにおかしな奴だ、とドクは思った。「お前次第さ。俺の言いつけをちゃんと守れればなにもするつもりはない」

「わかりました。いいつけはまもります」

「そうしてくれるとありがたい」とドクは言った。これは良い買い物をしたかもな、と彼は思った。


 自宅に着き、玄関の扉を空ける時にドクはアイの方を見て言った。

「いいか。まずお前がいちばん最初に覚える言葉は『ただいま』だ。この家に入るときは必ずこの言葉を使わなきゃいけない。それがお前が守らなきゃならない一つ目のルールだ」

「それはこの家に入るための、ぱすわーどのようなものでしょうか?」

「違う。言わなくてもこの家には入れるが、この言葉を使ってから家に入って欲しいんだ。俺の言っていることが分かるな?」

「ただいま」とアイは業務的に口を動かした。

「よしいい子だ。そして二つ目のルールだ。俺はときどき自分の娘が無性に欲しくなるんだ。だからそういう時、俺はアイを自分の娘として扱う」

 アイはよくわからないまま小さく頷いた。

「わたしは、あなたのむすめですか? つまりわたしはなにをしていればいいのでしょう?」

「なにもしなくていい。この家でただ自由に過ごしてほしい」

 このひとはなにをいっているんだろう、とアイは思った。そして同時に警戒心をドクに抱いた。もしかしたら彼はとんでもない異常者かもしれない。

「ああ、そうだ。最後の一つ。廊下のつきあたりにある書斎に立ち入ることだけは禁止する。入ったらアイに乱暴をすることになるからな」

 言い残すと、彼は家のどこかに消えていってしまった。アイは途方に暮れながら周りを見渡した。途方もなく広い家だった。今回の持ち主はどうやら変な人みたいだなあ、とアイは思った。

 この家にはドク以外に住んでいる人はいないようで、他のロボットもないようだった。それは一家に一台ロボットが普及されているこのご時世には珍しいことだった。
 何もしないでいいとは言われたけれど、ただじっとしているのはそわそわして落ち着かないのでアイは家の掃除をすることにした。ドクに掃除の習慣はなく、部屋には大量のゴミが落ちていた。掃除はアイの得意とする分野だったのでアイは張り切って床やら窓をせっせと磨いた。
 
 数時間経った後、ドクが書斎から出てくると部屋は見違えるほどに片ついていた。何年か前の家の形を取り戻したような気がした。

「掃除をしてくれたんだな。ありがとう、アイ」

「いえ、とうぜんのことをしただけです」

「当然のことじゃないさ。アイはいいことしてくれたんだ」

 そう言うと、ドクは部屋にある引き出しを開けてなにかを取り出しアイに渡した。受け取ったものを見ると、それはお金だった。

「お小遣いだ。これで好きなものを買ってくるといい」

「おこづかい、ってなんですか?」

「頑張ったご褒美だよ。アイが頑張って掃除をしてくれたからな」

 ドクはアイに近づくとその手を頭に乗せた。らんぼうされるのかな、とアイが思っているとドクはその頭をやさしく撫でただけだった。よく分からないけれど、わるい気はしなかった。

 次の日アイは貰ったお金を持って外に出た。でも結局なにも買うことなく家に帰ってきた。自分がなにが欲しいのか分からなかったのだ。家に着いて玄関を開けるときにドクから教えられた言葉を思い出した。

「ただいまー」とアイは口を動かした。

「おかえり、アイ」と書斎から出てきたドクはなんだか嬉しそうに言った。「なにを買ってきたんだ?」

「なにもかいませんでした。なにをかえばいいか分からなかったので」

「そうか。でもいずれきっと欲しいものができる。その時まで貯めておくのも悪くないかもな」

 そう言って、ドクはまたアイの頭をわしわしと撫でた。やっぱりこの感触はわるくない。明日は前とは違う場所を掃除してみようかな?


 アイは時間が空いている時には言語能力の取得も兼ねて読書をしていた。この家にはそこら中に本が置かれていたので読む物には不便しなかった。

「読むならこっちの本にしたほうがいいな」

 ある時アイがイギリスの有名な作家の本を読んでいる時、ドクはアイに向かってそう言った。そして代わりに手渡したのはある無名のアメリカ作家の本だった。

「どうしてこっちの方がいいのですか?」とアイは訊いてみた。

「アイがその本読むにはすこし早すぎるんだ」

「はやすぎる?」

「アイくらいの女の子が読むには刺激が強すぎるのさ。もっと明るい本を読んだ方がいい」

 わたしのほうが生きている時間はずっと長いのに変なことを言うんだなぁ、とアイは思った。でもそれは口には出さなかった。この家ではわたしはむすめなのだ。そして自分がドクのむすめだと考える度にどうしてかは分からないけれど、胸がほかほかと温かくなった。


 アイは睡眠を必要としないが一定の期間が経つと充電をしなければならない。その間はスリープモードになって人間と同じようにベットに入って眠るようになっている。その日、スリープから解除されたのは真夜中の一時くらいだった。
 変な時間に目が覚めちゃったな、とアイが思っているとどこからか声が聞こえた。どうやらドクが寝ている寝室からで、それは嗚咽のように聞こえた。

 アイはこっそりと寝室のドアを開けて中を見てみると、ドクが自分の身体を丸めて声を押し殺すようにして泣いていた。身体は小刻みに震えて、ひどく小さく見えた。アイは少し迷ったあと、ドクのいるベッドの中に入りその頭をゆっくりと撫でた。

「やめてくれアイ。娘は親にこんなことはしないんだ」気丈に振る舞うような声でドクが言った。

「じゃあいまだけ、わたしがあなたのお母さんになってあげます」とアイはやさしい声音で言った。

「アイが俺のお母さんに?」

「そうですよ。あなたよりわたしの方が生きてる時間はながいのです」とアイは胸を張って言った。「どうして泣いているんですか?」

 ややあってドクは口を開く。

「……ときどき無性に寂しくなるんだ。俺はこの世界にひとりぼっちなんじゃないかって思うときがある。とくに昼間に文章を書いている時だ。俺はもう文字を書くことでしか生きていけないのに、最近じゃ一文字も書くことができない」ドクはそう言って、アイの胸に顔を押し当てて声を上げて泣いた。「そのうちに作家っていう仕事もきっとロボットがやるようになるんだろうか」

 アイはなにか言葉をかけようとしたが、彼女にはドクに投げかける最良の言葉を持ち合わせてはいなかった。だからアイはやさしくドクの頭を抱き続けた。その時、ベットの横にあるサイドテーブルに写真立てが置かれているのが見えた。そこには3人の人物が笑顔で写っていて一人はドクだった。

「ほんとうのむすめさんがいたんですね」

「……三年前に死んじまったけどな」

「どんなお子さんだったんですか?」とアイは訊いてみた。

「元気な子だったよ。いつも走り回って俺や母親を困らせてた」

 アイにはドクが娘の世話に手を焼きながらも嬉しそうに笑っている場面が簡単に想像できた。ドクは娘の事を本当に愛していたんだろうな、と思った。

「わたしでは本当のむすめさんにはなれません」とアイは正直に言った。「でもできるだけあなたの傍にいたいと思います」

「そうか……。ありがとう」とドクは小さな声で言った。

 気づくとドクは寝息をたててぐっすりと眠っていた。やれやれ、と思いながらアイはドクの頭をやさしく撫でた。


 それからドクとアイは二人で静かで穏やかな生活を送った。そこにあったのは新しい幸せの形と言えなくもなかった。ドクは新しい本を出版し、これがある出版社の文芸賞を受賞した。アイは喜び、その日は豪華な夕食を作った。

「お小遣いの使い道は決まったのか?」とドクはアイが作ったシチューを口に運びながら訊いた。

「きまりましたよ」とアイはいたずらっぽく笑いながら言った。「でもないしょです」

「どうして内緒なのさ?」

「ないしょって言ったら、ないしょなんです」

 アイはおこづかいを貯めてそれを買うのを楽しみにしていた。我ながら良いアイデアだった。きっと喜んでくれるにちがいない!


 それからしばらくして、世間では人間とロボットによる戦争が起きようとしていた。世界に普及されているAIロボットは大きく分けて二世代ある。そして今回人間と戦争しているのは第一世代のAIロボットだった。

 その理由は簡潔に説明できる。彼らロボットが人間を模倣しすぎていたからだ。AIロボットの普及が進み続け、人間の労働者達の居場所がなくなったのはもちろんのこと、人間にできて第一世代のAIロボットに出来ないことはなかった。いずれ人間は人間同士のセックスをやめて、より簡単にセックスができるAIロボットとセックスをするようになった。そして人類の人口は大幅に減少することになっていった。

 これを危惧した全世界の首脳陣は、第一世代のロボットを廃番にすることを決定。合成金属で作られた第二世代のロボットが世の中に普及されるようになった。
 これにより、見つけ次第処理されることになった第一世代のロボットは二つの派閥に分かれることになる。人間に対し反撃するものと、人間との共存を諦め姿を隠すものだ。


「アイはこれから外に出ちゃいけない」ドクは窓を覗いて外の様子を気にしながら言った。

「……私が第一世代のロボットだからですか?」

「最近近所で第一世代のロボットが連行されたらしい。ここから南西にあるレストランで働いていた子だよ。多分アイも見たことあるはずだ」

 確かにその子はアイも見たことがあった。性別が男で彼は人当たりがよく、特に年配の人から好かれていた。

「もし、連行されたらどうなってしまうのでしょうか?」

「データをリセットされて解体される。第一世代のロボットは部品が貴重だからな」

 アイは自分の身体をバラバラにされ、その部品が自分の知らない他のロボットに移植されているのを想像してみた。アイに痛覚はないけれどその光景は震えてしまうほど恐ろしいものだった。

「わたしはいつまで外に出てはいけないんでしょうか?」

「……わからない。とにかくこの騒動が落ち着くまでは家から出ちゃいけない」

 アイはなにか言わなければいけないと思い口を開こうとしたが、ドクが自分以上に思い詰めた表情をしていたのが見えて、結局それが言葉になることはなかった。


 その日、アイはドクが外出したのを見計らってこっそりと家から抜け出した。肩から下げたポーチの中には今までドクから貰ったおこづかいを全て入っている。ドクには悪いと思うが、アイはどうしても今日外に出なければならない用事があったのだ。
 通りに出て交差点を曲がり駅に入ると、ちょうどやってきた電車にアイは飛び乗った。ここまでの道はドクと何度か来た事があるから分かっている。二つの駅で降りると、そのまま急ぎ足で目的地へと向かった。その場所はいつも通るときに横目で眺めていたケーキ屋さんだった。

「こんにちは。今日ケーキを予約していたものですが……」とアイは何度も練習していたセリフを言った。

 店員はアイが第一世代のロボットだとは微塵も疑っていない様子だった。そのまま滞りなく手続きは進み、アイは無事にホールのケーキを手に入れた。そのケーキのプレートには『お誕生日おめでとう』と書かれていた。

 ケーキの入って袋を持ちながら、なんだ緊張することはなかったなー、とアイは思った。ドクはケーキを買ってきたことを喜んでくれるだろうか? 外に勝手に出たことは起こるかもしれないけれど、きっと許してくれるにちがいない。アイはスキップをしながら家に帰った。


 その日、ドクは出版社に行っていた。最近書き上げた原稿の意見を直接編集社から聞くためだ。ドクが編集社に提出した原稿は人間とAIの共存をテーマにした本だった。

「ねえドクさん。これはちょっとまずいですよ」と編集者は困った顔をして言った。

「なにがまずいんだ。ロボットはもう人間のお世話係じゃない。一つの命なんだ。人間は新しい命を作り出した責任を取らなきゃいけない。なのにロボットとの戦争なんて馬鹿げてる」

「しかしこの本を出版したらこの会社はおしまいですよ」

 確かに編集者の言っていることは正しかった。このタイミングでこの本を出版すれば会社は社会的に危ない立ち位置になってしまう。結局この日の話は平行線を辿ることになり結論はでなかった。モヤモヤとした気持ちを抱えドクが帰宅した。こんな日はアイが作った料理がお腹いっぱいに食べたくなった。

「ただいまー」とドクはいつもの調子で言った。アイがとことこと玄関にやってくるのを期待して。でもいつまで経ってもアイからの返事はなかった。そしてドクはその異変にすぐ気がついた。家からアイがいなくなっていた。

 ――人間を事故から庇った後に、連行されていった第一世代のAIロボットのニュースをドクが見たのはそれからすぐだった。




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