文字数 2,318文字



 林を抜けて川岸に戻ると、姉たちが中洲のこちら側まで来ているのが見えた。
 二人の姉と、従姉や親戚の若い娘、総勢十人ほどで来ているのだが、全員が一ヶ所にかたまっている。

「おおい、おおい」

 カヤは声を張った。
 姉の一人が気付いて全員に伝え、皆がこちらを見た。疲れたような変な表情。 
 ……?

 両手を振ってこっちへ来るようにと呼ぶのだが、水音に遮られて聞こえないのか、誰もビクとも動かない。カヤは苛ついた。
 こちらへ渡らせさえすれば、あのドームへ案内出来るのに。皆を笑顔に出来るのに。

 と、中の一人、年長の従姉の女性が、大きな動きでカヤを手招きした。
「こちらへ来なさい」

 え? 声がちゃんと聞こえる?
 風向きなのかな?

「ねぇ、こっちにいっぱい……」
「早く来なさい」
「実が……」
「いいから来なさい」

 どうして? 言葉が通じない?


 行きと同じように、深いところに気を付けながら慎重に渡った。女たちはじっと見ている。
 また戻らなきゃならないのに、面倒だなあ。

 中洲に上がって皆の所へ行くと、輪の真ん中で、例の四つ上の従姉が座り込んで肩を震わせている。髪から上衣からずぶ濡れだ。

「溺れたのよ」
 小声で姉に言われ、カヤはキョンとした。

「あんた、妹が溺れたのに、無視してどんどん行っちゃったんだって?」
 手招きしていた年長の従姉が言った。彼女の姉だ。

「溺れた?」
 カヤはまだキョンとしている。こんな流れの緩い、浅い川で? いや、膝丈の所ならカヤは少し危なかったけれど、この子はずっと背があるのに? 溺れるってどうやって? だいいち、
「後ろなんか見ないから、付いて来たなんて知らないし……」

「ひどい!」
 ずぶ濡れの従姉が鼻声で言った。

 ひどいも何も、これだけ人数がいて何で誰も、ずぶ濡れの子の衣服を絞ってあげないの? 自分の上衣を被せてあげないの? 濡れネズミのままで放っているの? まるで見せ物みたいに。

「着替えたら……?」

 キョンとしたままの娘の言葉に、年長の従姉が大股で迫って、顔をバシリと叩いた。
 火花が見えて、カヤはのけぞった。
 頭の中は「???」でいっぱい。
 え? まさか、四つも大きいこの子が勝手に転んでずぶ濡れになっているのが、カヤのせいになってるの? なんで?

「あんたが危ないから付いて行ってあげたんでしょ」
 泣き真似の従姉。声だけ憐れを装っているが、手で隠した口元がニヤニヤ笑っている。心底気持ちが悪い。

 人をあてにして付いて来て、自分の足元に責任を持たないから転ぶんでしょうに。
 何だったら、カヤを突き飛ばすつもりで追い掛けて自分が転んだ……まであるな。残念ながらこの子にはそんな前科が山ほどある。
(良かった、転ばずに付いて来られたら、あの感動が台無しだった)

 カヤがちょっと笑ったのが、年長の従姉にはカチンと来たようだ。
「あんたを心配して付いて行ってあげたんじゃない。それに対して何か思わないの? ねぇ、言ってる事分かる?」

 ここで、「こんな緩い川も渡れないような子が、カヤの何を心配するの?」なんて答えたら火に油だ。 
 ちょっと考えて、

「今もし、カヤが川で転んでいたら、手招きした貴女のせいになったの? ならないよね? カヤも、カヤのせいだと思うし。誰かのせいだとか思わない」

 と言ってみた。多分カヤが転んでずぶ濡れになっても、ここにいる全員がカヤを叱って、この人を責めたりなんかしないだろう。
 割と上手く言ったつもりだったのに、もう一発火花を散らされた。

「何で素直に謝れないの! 屁理屈ばっかり、嫌な子、ひねくれ者!」

 だめだ、相変わらず言葉が通じない。
 姉たちもクチをつぐんで黙っている。長兄の家の気の強いこの従姉には、誰も逆らえない。
 あのお嫁に行った上の姉さまなら、こんな時も、天の下(もと)なる公正な裁定を下してくれるのに。

「カヤ、謝りなさい」
 姉の一人が言う。

 カヤは俯いて口を堅く結ぶ。ここで折れたらまたこの子に付きまとわれる。
 手柄を横取りされ、頑張りを台無しにされ、踏み台にされ続ける。
 姉さまがいないから、自分で自分を守らなきゃいけない。

「この子、ウスゴを独り占めしてる」
 ずぶ濡れの従姉がカヤの腰のカゴを覗き込んで汚い声をあげた。本当に厭しい子。
 独り占めも何も、報告する隙間なんか無かったじゃない。

「寄越しなさい」
 従姉の姉が手を伸ばして来た。カヤを叩いた手で、カヤという存在を無視して。
 駄目だもう、この理不尽の前ではまっとうに自分を守りきれない。

 だから次のカヤの行動は、誰にも誉められる物ではないけれど、もうこれしか無い、ギリギリの心の叫びだった。

 カヤは身体を丸めて篭を守り、中の実を掴んで口に押し込み始めた。
 あまりの事に、意地悪な従姉も姉たちも、一瞬呆気に取られる。
 その短い時間に、カヤは物凄い早さで実を咀嚼して呑み込んだ。そしてまた篭の実をわし掴みにする。

「あんた何やってんのよ!」

 年長の従姉が猛って腕を掴んで来たが、カヤは有りったけの力で振りほどいた。

 本当は、採っている最中も、口に入れたくて堪らなかったのだ。甘い汁ではちきれんばかりに膨らんだ、ツヤツヤの実。
 でも姉たちに喜んで貰いたくて、沢山の収穫を見せたくて、一所懸命ガマンした。

 それが叶わないのなら、食べてしまえばよかった。独り占めと言われるのなら、本当に独り占めしてしまえばよかった。
 そう頭に過ったら、もう身体が止まらなかった。
 甘酸っぱい果汁と血の味を口いっぱいに感じては、カヤは飢えた小動物のように咀嚼して呑み込み続けた。

「頭がおかしいのよ、この子」

 年長の従姉は気味悪い物を見る目で吐き捨てた。姉たちは無言だった。








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