第5話「過日の誓い」

文字数 2,028文字

この地の何処かに眠るという、手にした者に比類なき力をもたらす槍。
それは勇者姫エリスが遺した異能の一片であり、これまで探し求めては倒れていった冒険者は数知れず、今となってはただの伝説上の存在とまで言われていた。
そんな力の異能を求め、従者と共に旅をする青年がいた。



重く、(よど)んだ空気が空を覆い、草木は生気を失っていた。
周囲に人の影は無いが、家々の中から彼らが怯えているのが伝わってくるようだった。
世界に、再び闇の時代が訪れようとしている。

「ここも随分と変わってしまったな…2年前のあの日、本当に世界が塗り変わったみたいだ……」

馬車の中からひとりの青年がそんな町を眺め、事の発端となった過日を思い返した。
傷痕を残しつつも、平和で、穏やかで、前向きだった世界が、たった1日で覆ってしまったあの日を。













レグルシア王国、王都レグルス。
環状の城塞が禁足地を取り囲み、その中央に位置する

を封じる役割も担う大都市だ。
歴代の王と七天騎士によって保たれていた封印は、建国以来破られる事は無く維持されてきた。
しかしこの日、その常識は覆ることになる。



街には獣が溢れ、人々は逃げ惑う。
兵は街中の戦闘で懸命に民を護るが、正しく不意打ちだった急襲に王都レグルスは混乱を極めていた。
何故ならそれらは、

襲来したからである。
突然、禁足地を取り囲む封印柱のひとつが魔力を失い、封じられていた魔物が解き放たれたのだ。
幾重にも連なる砦も長くは()たず、一部の魔物たちが都市部に侵入してしまった。

「民を護る事を最優先にしろ!星蒼卿の到着まで何としても持ち堪えるんだ!」

剣が毛皮を、鱗を、甲殻を斬る音よりも、人の悲鳴の方が多く響き渡る戦場。
騎士たちが全ての魔物を抑えることは叶わずとも、彼らの働きによって少なくない命が護られた。
しかしそれも限界が見えてきた頃、晴天のような蒼いマントをはためかせ、星空を切り取ったような美しい剣を携えた女騎士が姿を現した。

「来た!星蒼卿だ!」

「英雄殿がいらした!もうひと踏ん張りだ!」

その騎士、星蒼のブレイヴィアの到来は、どんな言葉よりも騎士たちを鼓舞した。
レグルシアを救った英雄の到来は、何よりも勝利を意味していた。
沸き立つ騎士たちの間を歩み、魔物たちと対峙する。
期待の視線が集まる中、しかし彼女は動かなかった。
どうしたのかと次第にざわつきはじめる騎士たちだったが、彼女の行動でまたも状況は一変する。

「戦え……」

ブレイヴィアが剣を抜くが、それを魔物に向けるどころか、ゆっくりと振り返ってみせた。
その剣は、騎士たちに向けられる。

「戦え。そして、我が傀儡となれ!」

彼女の言葉に呼応するように魔物たちが雄叫びを上げ、その身体に黒い靄のようなものを宿し始めた。
ブレイヴィアはあろうことか闇の魔力を使役し、魔物たちを人造悪魔(ヴォイド)としてしまったのだ。

「星蒼卿!何を!?」

狼狽える騎士たちは無惨にも散っていく。
闇の力を得た魔物たちの攻撃は激しく、英雄の敵対によって戦意が失われた戦線を崩すのに時間はかからなかった。
ヴォイドの軍勢が王都に解き放たれた。
それは正しく、白昼の悪夢であった。







それから数日。
王都を蹂躙したヴォイドたちは北東のミンリアル渓谷を越えた先にある、彼の地アルテルフへと侵攻した。
道程にある炭坑都市アルギエバやラサラス要塞への被害が無いのが不気味で、一意の意思のもとに操られているような行進だったという。
そしてその意思とは他でもない、ブレイヴィア・クエルクスである。
そうして決戦の地アルテルフは、再び魔の居城となってしまったのだった。






静まり返った王都にぽつんと立つ青年が、瓦礫に紛れる赤いシミを見下ろしていた。
灰の混じった黒い雨が彼の肩を濡らす。

「行きましょう。ここにはもう……」

長剣を背負った女騎士が話しかけるが、彼は俯いたまま動かない。
よく見るとその拳には血が出るほど力が入り、小刻みに震えていた。

「お気を確かに。貴方は---」

女騎士が続けようとした言葉に手で蓋をする青年。
雨避けの外套を被っていて表情はよく見えなかった。

「旅に出よう…」

濡れた頬を拭い、曇天を流し見て東に目を向ける。
国境を成す山々の、そのさらに向こうを見つめていた。

「ようやく取り戻しかけていた平穏を再び取り戻す為には、力が必要だ。何者にも屈さない、七天をも超越し得る

としての絶対的な力が…!」

影の奥に燃えるような瞳が光った。

「それは民を、国を護る為の力ですか?それとも……」

女騎士の問い掛けに返された視線は、それだけで彼の本音を有弁に語っていた。
表情にこそ出さなかったが、胸の痛みとざわつきを懸命に押し込める。







あの日彼の瞳に宿った炎は、季節が二回りした今も変わらぬ熱を帯びている。
そして傍らに居る彼女の胸の内もまた、あの日から変わってはいなかった。

「間も無くです。」

「あぁ、ようやく見つけ出した手掛かりだ。勇者姫が遺した

…何としても手に入れるぞ。」

彼らの旅は、ようやく始まったのである。
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