おふくろの味

文字数 1,802文字

 うん美味しい、とほんのり唇の端を引き上げた真琴に、恭成(たかなり)は「良かった」と手塩皿を引き取った。鍋の中でくつくつと煮えているのは冬瓜(とうがん)汁で、とろみの強い汁物の中では、冬瓜と根菜類、そぼろが踊っている。
 今日は葉髞(しょうぞう)が主家へ呼び出されている日で、恭成は独りで過ごすはずだった。だったらうちへおいでなさいな、と声をかけてくれたのは真琴で、抱えた仕事もなかったことから、有難く招待を受けたのである。
 現在も彼女に着いて様々なことを学んでいる最中で、丁度良い授業時間というわけだ。夕飯をいただいた後は、資料漁りの序でに、いつもの客間へ泊めてもらう予定である。
「大したものねぇ。恭成くん、不得手な物なんてあるの?」
 ため息混じりに吐き出された一言に、そんなの幾らでもありますよ、と苦笑を浮かべる恭成だ。
「洋食はあまり食べたことがないから、作るの苦労しそうだし。そもそも、故郷の郷土料理がさっぱり作れないので」
「あら、意外」
「家事を仕込んでくれたのが叔母だったんです。だから僕が作るものは、母の味とは違うんですよ」
 思えば、冬瓜だってこちらへ出てきて初めて見た野菜だった。母も生まれはこちらなのだが、早々と嫁に出てそちらで仕込まれたそうなので、あれは天野家の味なのだろう。
 思い出すのは具沢山の味噌汁で、当時を思い出しながら作っても、あの味に近付く気がしない。歳を重ねて思うのは、おそらく味噌から違うということ。採れる物ですら各々の土地で味わいが変わるのだから、完全再現は難しいだろう。
「実家にいる時、習っておけばよかったな。暇を持て余してたんだから」
「帰らないの?」
「旅費と、かかる時間を考えると、一苦労なんですよ」
 それでも、いずれは帰らねばならないだろう。あの土地へ戻るつもりはないけれど、伝えねばならないこともあるし、墓参りもしたい。
「家賃と生活費がいらなくなったから、頑張って仕事すれば貯められそうですけど」
「それは良かったじゃない。存分におふくろの味を習って、おんなじように恭成くんの作った物を食べさせてあげなさいな」
 きっと喜ぶわよ、と微笑まれて、恭成ははにかんだ。
 思い出すのは、具沢山の味噌汁。それから、にっころがしと、山菜を始めとした山の恵みを使った諸々、川魚。
 それらは厳密に郷土料理ではないけれど、懐かしく思い出すという点で、故郷の味には違いない。
 ふと、真琴が訝しく振り向いた。そうして、その表情のまま踵を返す。
「やだ、葉髞が帰ってきたみたい」
「え? あれ、今日は帰らないって言ってたのにな」
「どうせ脱走してきたんでしょう」
 言いながら台所を出たところで、玄関の方から遣戸を開ける音が響いた。お帰り、と真琴が出迎えに行くと、何やら話し声が聞こえて、間もなく近付いてくる。
「ごめん、恭成くん。もう一人前増やさなきゃ」
「それは構いませんけど……。大丈夫なの?」
 訝しく葉髞を見遣ると、疲れ切った様子でため息を疲れた。
「なかなか馬鹿げた理由だったから、別に良い」
 今のうちにお逃げなさいな、と愉快そうに笑う姫に背を押され、遠慮なく辞してきたらしい。ついでにお裾分けだと、竹皮の包みを押し付けられたそうだ。
「というわけで、土産。食材らしい」
 手に押し付けられたそれを開けてみると、中から出てきたのは新鮮そうな鶏肉だ。それを目にした途端に思い出したものに、唇の端を引き上げる。
「あら、美味しそう。美月(みつき)ったら、上物くれたわね」
「これでもう一品作りましょうか。飯泥棒になる奴を」
 へぇ? と小首を傾げた真琴は、期待してる、と軽く恭成の背を叩く。
 実家の献立を思えば、郷土料理といっても思い浮かぶことはないけれど、そういえば一度だけ、故郷を離れたあの日に、綾乃(あやの)と二人で舌鼓を打ったのだ。
 多分、味の基本は味噌に醤油。大蒜も入っていたかもしれない。あれなら、ごく似た物が作れるだろう。よく味の染みた鶏肉は、おそらくタレに漬け込まれていたのだろうが、省いてもそれなりの味にはなるはずだ。残念ながら甘藍はないが、代わりに玉葱でも使えば良いだろう。それで充分美味しい。
 郷里帰りした暁には、もう一度あれをしっかり食べてみたいと思う。きっと、また違った感想を抱くだろうから。

〈了〉
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