人日

文字数 911文字

 なぁ、天野。
 そう呼びかけられて振り返る。声の調子から、何か疑問でもあるのだろうと見当をつけたのだが案の定、彼は煎茶を満たした湯呑を片手に、食卓の上にある物を不思議そうに見ていた。
「どうしたの?」
「この黄色いの、なんだ?」
 食卓の上には、立花家へ新年の挨拶に来たついでに、兄が実家から持ってきてくれた餅がある。恭成(たかなり)の故郷では伸し餅を切り分けた角餅が一般的で、白餅の他にも様々な雑穀類や蓬を一緒に搗き込むため、色とりどりだ。葉髞(しょうぞう)が指しているのもその中の一つで、薄淡い黄色している。
「粟餅。食べたことない? 赤っぽいのは高黍」
「へぇ、なるほど」
「うちの方は、雛祭もそれでね。美味しいんだよ」
 僕も食べるの久し振りだけどね、と肩越しに言って、くつくつ煮立っている鍋へ視線を戻す。ひょいと覗き込んだ葉髞は、僅かに眉をあげた。
「……今日は七日、だよな?」
「兄さんと話してたら、お祖父ちゃんの望粥(もちがゆ)を思い出してね」
 昔々の『ななくさ』は、七草でなく七種と書いた。望粥というのは延喜式に書かれた名称で、その頃は七種類の穀物、米、粟、黍、稗、ミノ、胡麻、小豆で炊いた粥を食していたらしい。これを小正月の十五日に食すれば、邪気を祓えると考えられていた。
「平安時代に、中国の人日に影響されて七日に七草粥を食べるようになったんだって。庶民に定着したのは江戸時代で、幕府の公式行事だったらしいよ」
 ミノは手に入らないから代わりに麦だけど、と振り向き付け加える。
「新暦だと、七草ってなかなか揃わないしね。旧暦でちゃんと作るから。近代化は食卓に優しくないなぁ。そうそう、伽羅蕗も貰ったんだよ。あれでお粥食べるの、美味しいんだ」
「……遠子(とおこ)さんじゃないが、いいヨメになるな」
「あれ、松山も立候補する?」
「誰がするか」
 けらけら笑う恭成に軽く肩を竦めてみせて、葉髞は湯呑を手にしたまま踵を返す。
「もう一仕事してくる」
「御飯出来たら呼ぶね」
 おう、と一言残して、ふつりと静かになる。間もなく扉を閉める音と、ばたばたと資料室を片付ける音が聞こえ始めた。

〈了〉
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