六 ラーメン

文字数 4,362文字

 佐介は目が覚めた。外は雨が降っているらしく、室内にいても頬に空気が冷たく感じられるが身体は暖かい。さて、土曜の今朝は、何を作ろう・・・。
 平日の朝食は真理が作り、夕食と休日は佐介が食事当番だ。
「久々に暖かく眠れた!」
 真理が布団の中から顔を出した。
 なんと!ここは真理の部屋だ!しかも真理のベッドだ!
 佐介は真理といっしょに眠っていたのを忘れていた。

「暖かくなるまで、いっしょに寝るのもいいな!今晩からいっしょに寝るか?」
 真理は佐介の腕を枕にして勝手なことを言っている。

 俺は電気毛布や枕じゃない・・・。身体が冷えて、吐きそうだと言うから、いっしょに寝て、真理の身体を暖めただけだ・・・。俺は今年で十九になった。真理は今年で二十四になる。何かあれば問題になるが、そんなことは有りそうに無い。なぜって、真理は俺を弟のように思っているらしく、俺を意識していない。俺を電気毛布や枕の代りにしてるのがその証拠だ・・・。
「すぐ暖かい日が続くようになるさ。それまでならいい・・・」
 俺は寒さに強い。いったん眠れば身体が暖まる。手足が冷える真理にとって、電気毛布に抱かれて眠っているようなものだろう・・・。
 ふと思いついて、佐介は真理の手を握った。佐介の身体の中にある、身体を暖める機能を思った。その機能を一つの輝く物質にイメージして、その半分を佐介の身体から腕と手を通して、握りしめた真理の手から腕へ、そして真理の身体の全体へ送り、そこへ留まるようにイメージした。佐介の家に代々伝わる癒やしの秘伝だ。

「あったけえぞ・・・。眠くなってきた・・・。何したんだ?何した・・・」
 呟きながら真理は眠った。
「朝飯に何を食べたい?」
 眠っている真理に訊いた。
「シメのラーメン・・・」
 真理が寝ぼけたように呟いた。夢の中で、歓迎会が続いているらしい。

 真理をベッドに残して佐介はキッチンに立った。
 キッチンの保存食品の棚にインスタントラーメンがあるはずだ・・・。
 そう思って探すが見当たらない。
 たしか、先週、まとめ買いした。真理が勘違いして他の所にしまいこんだのだろう。
 トイレットペーパーなどの保存庫の扉を開けた。キッチンペーパーの後ろに隠れている六個入りのインスタントラーメンの包みが四つあった。
 やっぱり、真理が勘違いしてしまいこんだな・・・・。
 保存食品の棚へ移そうとラーメンの包みを四つ引きだした。
 おや?
 ラーメンの包みの背後にある、レジ袋に入った分厚い冊子が目についた。
 なんだろう・・・。
 引きだすと、赤い組紐で綴じられた紫の布表紙の古いアルバムだった。開くと旧日本軍の戦艦の就航時から沈没時までの写真と、沈没した海域の記録がそこにあった。
「・・・」
 佐介は、一瞬、言葉を失った。

 佐介が高校に入った頃、佐介の曾祖父は、あの頃を思いだしたと言って、戦時中の特別攻撃用特殊潜航艇について語った。
 第二次大戦末期。佐介の曾祖父は召集されて呉の軍港へ派遣された。曾祖父が派遣された数日後、終戦になった。まかりまちがえば、曾祖父は特殊潜航艇で特攻を命じられ、佐介はこの世に存在していなかったかも知れない。
 旧日本軍の特別攻撃用潜航艇は機密事項だった。曾祖父もその事を他言しないよう命じられていた。
 敗戦で旧日本軍が消滅し、軍備に関する資料が焼失した終戦後、戦事に関する発言は忌み嫌われ、佐介に戦時の事を語るまで、曾祖父が特別攻撃用潜航艇について触れたことは一度もなかった。佐介に特別攻撃用潜航艇の事を語ったその後、曾祖父は戦事について何も語らなかった。

 そんな事を思いだしながら、佐介はアルバムを見た。
 アルバムには聞いた名の戦艦がいくつもあった。
 就航から沈没までの写真と沈没海域の記録を納めたこのアルバムは、いったいどういう意味があるのだろう・・・。
 いや、今はラーメンを作って真理を起こして食べさせるのが先だ。機会を見て真理に訊こう・・・。
 佐介はアルバムを元の場所に置いて保存庫の扉を閉じた。

「真理さん、ラーメンできたよ」
 佐介は真理の部屋へ行って、ドア越しに声をかけた。
「ああ、すぐ行く・・・」
 真理の声が聞える。もうはっきり目覚めているらしい。だが、部屋から出てこない。
「ラーメンがのびるから、食べようね」
「ああ・・・」
 真理が部屋から出てきた。
「ありがとうな・・・。朝からラーメンもいいな・・・。
 おっ!メンマもチャーシューも入ってる!」
 顔も洗わず手も洗わず、いきなりテーブルに着いて スープを飲んでズルズルラーメンをすすりはじめた。深酔いした翌日ならこんな状態は頷ける。

「寒くないか?」
 真理はスリッパも履かずに素足だ。
「あったけえぞ。サスケにお着換えしてもらって、あっためてもらったかんな。もう、いっしょに寝た深い仲だな・・・」
 真理は平然とラーメンをすすっている。
 ウッと佐介はむせた。真理は酔って何も憶えていないと佐介は思っていた。
「深い仲って、いっしょに寝ただけだぞ!」
「そうだ。パンツまで取っ替えもらって、いっしょに寝たら、深い仲だベ。
 それに、今朝は大事な物をもらったぞ。生玉だろう」
「パンツはともかく、あれは、神道の極意だ」
 生玉ではない。本当は、罷(まか)る返(がえ)しの玉だ。冷え性が改善すればそれでいい。罷る返しの玉が与えられたのを気づくとは、真理は何者だ?

「あたしは決めたぞ」
 真理はズルズルとラーメンをすすってメンマとチャーシューを口へ入れている。
「なにを?」
 佐介はラーメンを食べながら、訊いた。
「後で説明する・・・。お代りしていいか?」
 真理はラーメンを食べ終えて、佐介のラーメンを見ている。
「ああ、すぐ作る」
 佐介はすぐさま鍋に水を入れてクッキングヒーターに置いた。食器棚から丼を二つ出して、冷蔵庫からメンマやチャーシューや、先ほど作ったもやしの炒め物、海苔、刻みネギを出した。

 鍋の湯が沸いた。ラーメンを二つ入れて具材をレンジで温めた。
 茹であがったラーメンを二つの丼に移してスープを入れ、具材を載せ、
「できたよ!」
 丼を真理の前のテーブルに置いた。真理の前には空になった丼が二つあった。
「食ったんか?」
 佐介は真理を睨んだ。
「うん」
 真理は佐介を気にせず新たな丼を手前に引いた。
「俺の食いかけだぞ?」
 佐介はラーメンを横取りされたことより、真理が佐介の食べかけを気にしないで食べたことに驚いた。
「ほっといたら伸びるもん。そのつもりで新しく二つ、作ったんだべ」
 真理は調理台のもう一つの丼を示して、出されたラーメンをすすり、
「身内にしてやるから、気にすんな」
 妙なことを言っている。佐介は、今度は真理に食べられないよう、丼をつかんでラーメンを食べた。

「なあ、ラーメン食べてくれ。やっぱ、三つは無理だな・・・」
 真理は佐介の丼からラーメンがなくなったのを見て、食べかけの丼を佐介の前へ押した。チャーシューには食いちぎった歯形が残っている。
「なんだこれ?食いかけだぞ」
 箸でチャーシューを摘まんで真理に見せた。
「もう、身内なんだから、気にしねえだろ?」
 真理が席を立った。お茶を入れて佐介の横に立ち、佐介の前にお茶の茶碗を置いている。

「また、それを言う・・・。真理さんが、寒いから暖めてくれって言っただけだろう」
 仕方ないので、佐介は真理が食べかけにしたラーメンを食べた。
 食べなければ、あたしを嫌ってるのかとか、あたしの食べかけは汚えのかなんて喚きだす。昨夜のお着換え騒動を見れば、喚きだしたらどんなになるか、想像がつく・・・。
「今度は身体の芯から暖めてくれ。そしたら完全な身内だ。
 今夜でもいいぞ。あたしはサスケに決めた」
 真理が耳元に囁き、佐介の肩に手を載せた。意味深な言葉と暖かな手だ。だが、真理が意図していることがおおっぴらになれば問題だ。
「歳も経験も気にすんな。二人で協力すりゃあ、なんとかなるべさ」
 真理の吐息が耳にかかった。
「もしかして真理さんは・・・」
 佐介はラーメンが喉に詰まりそうだった。
「そうさ、つきあったこと、一度もねえよ」
 サスケに惚れたんさ、と呟きが聞える。
「サスケに決めた。最初で最後だ」
 また真理の吐息が耳にかかった。
 真理は本気だ。どうするサスケ?佐介は自問した。

 真理は可愛い。言葉は粗いが竹を割ったような性格で、裏表のない正直な人だ。いっしょに暮したら、昨夜のように驚く事はあるだろうが、現状の生活が続くだけだ。
 いやそうじゃない。真理をずっと思い続けられるだろうか・・・。愛し続けられるだろうか・・・。そんなことより、真理を好きか?その気持ちをずっと持ち続けられるか?
 初めて真理に会った時から違和感はなかった。懐かしい人に会った気がした。そして、気兼ねなく話せた。かつてあんな経験をしたことがなかった。
 なんてことはない。一目惚れじゃないか。そのことを自分に言い聞かせるだけだ。好きだろう?ああ、好きだ、真理が大好きだ・・・。
 佐介は肩にのった真理の手を取った。口に近づけて、手の甲に唇を触れた。
「俺、真理さんが好きだぞ」
 真理の暖かい身体が背中に密着して腕が首に絡んだ。
「あたしもだ。いつまでも昨夜みたいに、あたしを支えてくれ。あたしもサスケを支える・・・」
 真理が佐介に頬ずりしている。真理の熱い頬を感じる。いつかこうなるのは、なんとなくわかっていた。

 佐介は思った。
 ノブチンの最初の考えは、用心棒代りに誰かを真理の家に下宿させる気だったらしいが、ノブチンは俺を見て方針を変えた。つまり、真理の相手に俺を見初めた。
 ノブチンは俺の母と真理の母に、真理と俺の縁談を打診した。母たちはノブチンに賛成した。
 真理の父も俺の父も、母たちの言いなりのため、話は母たち主導では進んだ。俺にも真理にも、妻帯した兄たちがいて家業を継いでいる。真理にしろ俺にしろ、早く身を固めて欲しいと思い、ノブチンや母や真理の母たちは俺を婿養子に出すようにして、真理の家に下宿させた。
 真理が、入試の下見に現れた俺に声をかけたのは偶然ではない。真理の直感は優れている。常人の域を超えている。
 今朝、真理は、罷る返しの玉の授受をはっきり認識した。これは長年修行した者か、生まれ持った能力を持つ者でなければ確認できない。真理は何気なく罷る返しの玉の移動を確認した。直感が優れている証だ。
 おそらく、下見に現れた俺に無意識領域で運命を感じたか、あるいは俺を真理に最も適した相手と認めたのだろう。

「さて朝風呂に入るぞ。いっしょに入るべ!」
 佐介は真理の手を握ったまま決意した。
「わかった。ここを片づけたら行くよ。先に入っててくれ」
「うん、待ってる・・・」
 真理が佐介に頬ずりした。
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