他人の役割

文字数 804文字

 義母の葬儀を終えて、業者が後飾り祭壇を持ってくるのを待っている間だったと思う。夫と義姉が席を外した少しの間に、義父が「俺が殺しちゃったんだ」とポツリと言った。
 何と言っていいのかわからず、何となく「ああ、結婚生活の後悔バナシとか聞く流れかなぁ」と思って黙って聞いていると、暑い日にエアコンを付けずにいて、義父が気づいたときには、義母はぐったりとなってしまっていた、急いで救急車を呼んだがそのまま入院となり、しばらく入院した後に妻は亡くなったのだ、というような話だった。

 正直、なんと言っていいのかわからなかった。たぶん、流れとしては「そんなことないですよ」とかもっと何か、気の利いた慰めの言葉が必要な局面だろうとは思ったのだけど、何と言っていいのかわからなかったので、ただ、黙って聞いていた。

 と同時に、「え、なんで私?」と思った。
「今、息子と娘、いたじゃん? 私、嫁だけどさ、そんなに交流なかったし、それ聞かされてもなぁ。なんつっていいのか、わからんのだけど」

 舅は、いい人だ。はっきり言って、自分の生母よりも、よほど人間として善人だと思う。だからこそ、妻の死に責任も感じて、誰かに話したかったのだろうと思うのだけど、私としても「いや、どうしていいのかわかんないし」というのが、正直なところだった。
 だから、「自分の息子と娘に言ってくれよ」と思ったのだ。

 後飾り祭壇の設置も終えて、夫と二人、帰宅してからふと、気づいた。
 たぶん、自分の息子、娘には言えないのだ。
 彼らにとって、義母は母親なのだから、その死に責任があるというのは、言いにくかったのだろう。だからこそ、話せるのは、私だったのだ。
 そういう、家族だからこそ言えないことを聞くのが、他人である嫁の役割なのだろう。

 今、夫婦別姓だ、同姓だと、騒いでいるけど、結局のところ、姓なんか同じでも違っていても、他人は他人だし、家族は家族なのだ。

(おわり)
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