山の運び屋

文字数 1,242文字

 彼の仕事は、徒歩で荷物を届ける山の運び屋。
 大きなリュックサックを背負い、山に入って仕事をする木こりの為に麓からの荷物を運ぶ事もあれば、山を超えて村から村へ荷物を運ぶ事もある。険しい坂道も酷いぬかるみも、山道が雪と氷に覆われた時も荷物を運ぶ。
 運ぶ荷物は様々だ。山に入った人間の為の弁当もあれば、薬屋の頼みで山奥の病人に薬を届ける事も、手紙や小包も。時には身寄りのない死人の遺骨を骨壺に詰めて共同墓地に運ぶ事でさえ引き受ける。それ以外にも誰かが運びたくない品物や絶縁状なども、彼は愚直に運んだ。


 運び屋の彼は都会の比較的裕福な家に生まれた。だが彼は都会と言う様々な人間が一か所に押し込められ小さな存在として生活する空間が好きになれなかった。都会で机に向かい勉強し、成長した後に富裕層の一人として大きな金額を扱う生活に、まだ子どもだった彼は魅力を全く感じていなかった。
 彼は本に描かれている森や川、そこに住む生き物たちや草木に強いあこがれを抱いていた。その為に空想の世界に憧れた彼は都会で生きて行く為に必要な学力を身に付ける事が出来なかった。


 彼が大きくなった時、見かねた両親は彼を家から追い出した。都会と言う空間で生活する場所を失った彼は、自然のある山里へと向かった。彼は自分が憧れていた場所で生活できる事を喜んだが、自然のある場所でも都会と同じように、空想で生きる以外に取り柄の無い人間が生活する事は不可能だった。
 

 無能の烙印を押されそうになった彼が唯一出来る事が、運び屋の仕事であった。依頼人から頼まれた荷物を相手の元へ届ける。誰にでもできる簡単な仕事しか彼には出来なかったが、その仕事は彼にとっても、彼の人間に以外にとっても必要な仕事だった。
 彼はひたすら荷物を運んだ。雨の日も風の日も。真冬の雪と氷の凍てつく日も、強烈な日差しがすべてを焼き尽くすような灼熱の日も。美しい音色を奏でる川の側も、フクロウが無き静まり返った森の中も、青々とした葉が広がり豊かさに溢れる畑の中も。彼は歩いて荷物を運んだ。それだけが彼に与えられた唯一の仕事であり、自分が他人に対して出来る一つの事であったからだ。

 荷物を相手の元に届けると、時々相手の人が様々な言葉を話しているのを耳にする。喜びや嬉しさの言葉もあれば、怒りや憎しみ、悲しみや苦痛の言葉など。それらの会話を聞いて、彼は田舎とは距離が離れているだけで、住む人間の心は都会の人間と大差ないのだという感想を抱いた。仕事の中で彼は嬉しい気分にも苦しい気分にもなったが、生きて行く為にそう言った感情は必要なのだという事を言い聞かせて、ひたすら荷物を運んだ。

 荷物を運び終えると、時々受取人が言葉をかけてくれる。その細やかな気遣いが嬉しいと感じる時が彼にはあった。その嬉しい気持ちが、人と人を繋ぐのは人間なのだ。と言う事を彼に教えてくれるのだった。

 今日も彼は荷物を運ぶ。
                                  (了)
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