第1話

文字数 982文字

 土曜日は久しぶりに早起きをしたので、僕はベッドから出て、寝間着のジャージのポケットにスマートフォンを突っ込んで早朝散歩に繰り出した。
 新緑の季節の早朝散歩というのは、とても気分がいい、日中の気温が上がり、地上のものが急かされるように慌ただしく活動していた時間帯が過ぎ去り、太陽の傾きと共に活動のペースがゆっくりして、夜が訪れるとそのまま眠りにつく。太陽が東の向こうから弱い光を差し込ませてくると、世界を艶のない瑠璃色に染めて、鳥たちの囀りや冷たい風の流れとともに、ゆっくりと眠りに落ちていた世界に覚醒の波を与え始めている。
 そんな完全に目覚めていない世界で、僕は一人、植物や土から生み出された湿った空気を、ゆっくりと吸い込みながら歩いていた。僕がいるのは家がひしめき、道路が舗装された住宅街だったが、大自然のサイクルによって生まれた空気は人間が住む場所にも浸透し、外に出ている人間に、いつもとは違う感覚を味わせてくれる。
 僕は住宅街を抜けて、河川敷へとつながる大通りに出た。朝のひんやりとした空気をもっと吸い込みたくなった僕は、少し足を伸ばして河川敷に向かった。
 河川敷に着くと、僕は土手の上に整備された道を歩いて、休憩用に整備されているベンチを見つけて座った。目の前の光景は先ほどよりも光が差し込む量が増えて、艶のない瑠璃色からより明るい色へと変化しつつある。下流の方に視線を向けると、住宅街の向こうに倉庫や工場、高速道路が密集する地区が見える。経済活動を担う地区は休日や早朝など関係ないのだろう。機械的にさまざまな物が動いている気配がここからでも感じられた。
 今度は上流域に目を向けると、内陸の山々が朝日に照らされて、空と大地の境目をはっきりと浮かび上がらせつつある。日中になると荘厳な姿を見せる山も、新緑の季節の早朝はその表情も柔らかい様子だった。
 僕はまだはっきりとしていない世界で大きく伸びをして、鼻から湿った空気をいっぱいに吸い込んだ。ひんやりとした空気が身体に入り、水が乾いた土に浸透するような感覚で満たされる。心地よい気分に浸っていると、ジャージに突っ込んだスマートフォンが突然音を鳴らした。
 手に取って画面を確認すると、午前六時ちょうどという時刻表示と共に、アラーム画面には昨日自分が入力した一文が添えられていた。
「本日、午前七時より休日出勤」
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