第10話 それから

文字数 1,090文字

 二〇二一年四月二十一日、この文章に「自分用(FOR FUN)」とタイトルをつけ、ワードファイルをそっと保存したまま一年が経った。何かの衝動に駆られるように一気にこの文章を書いて以来、改めて見返すこと無く毎日のことに追われていた。ふとしたきっかけでエッセイの公募を見つけ、人様の目に触れさせてみたいと思い、文章を仕上げる事にした。
 引き続きコロナが鬱陶しいが、この一年で大きく変わった事がある。夫が無事にシンガポールへやってきた。晴れて駐夫になったのである。一年前、所属先が決まらないまま脱サラした夫は、その後シンガポールの大学院に合格し、今は経営学修士号(MBA)取得に向けて勉強中。去年から想定していたとおり、私は初めて、人を養うという経験をしている。扶養家族を持つということ、それは思っていた以上に自分の価値観ときちんと対峙することを強いられた。父親はサラリーマン、母親は専業主婦の家庭で育った私は、「会社でお給料をもらっているから偉い」という考えは絶対に間違っていると思っていた。専業主婦という仕事に対しても、きちんと給与という報酬が仕組み化されていれば良いと今でも思っている。他方、いざ自分だけが働いている状況になると、これまでは共働きで、家賃も生活費も時々の旅行代も全部折半していたところから一変し「全部私が払う」ことになった。レストランでの食事代やマッサージ代も全部。その変化に対する抵抗感と戦う必要があったのだ。彼は楽しそうに学生をしている。家事は完全にできる方がやる機会均等制度。そのなかで、私が全部経済面の負担をするのって「なんかずるい!!なんか悔しい!!なんか嫌だー!!」と自分の小ささ・ケチさと向き合うことになったのである。この悶々とした気持ちには自分自身がひどく戸惑った。私はこんなにケチなのか、、と思った。もっと広い心でニコニコとしていられれば、どんなに良いだろうか。頭では理解している、でも時々感情がガサガサする。長い人生の貴重な時間、このガサガサも、いつか別の立場の人の想いを理解する糧になれば良いと思う。
 彼の退職・シンガポール合流・大学院進学にコロナ事情は一切関係無かったのだが、結果的にはベストなタイミングでベストの選択をしたと思う。シンガポールと日本がこれまでのように自由に行き来できなくなって1年以上経った。この間も遠距離結婚生活をしていたら、断続的にロックダウンをしているシンガポールの地で一人過ごしていたら、私の気持ちは大いに参っていたと思う。自分の夫ながら、あっぱれな決断だったと思う。だから、ケチケチしたことを考えるのはやめよう。
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