今彼の元カノ、元彼の彼女

文字数 4,725文字

 私には二つ、キライなものがある。一つは退屈。もう一つはドロドロした人間関係。個性がぶつかり合うということは非常に面倒であって、暇な時間を埋めてくれるとしてもそんなことに労力は裂きたくはない。だからこそ、目の前に居る幼馴染みの女性を一度足りとも親友と呼べたことはなかった。

「リサはこのたびー、ナオトとヨリを戻すことにしましたぁ」

 リサは女子高生時代の癖が抜けない間延びした口調で言った。当時から金髪だったが、大学生になった今では毎月別人みたく色が変わる。今はちょうど秋の紅葉みたいに、金色のショートカットに赤のメッシュが入っていた。

 ド派手なリサに腕を組まれていたもう一人の当事者は照れ笑い。露出の多い服装の彼女に身を寄せられて満更でもない様子だった。

「ごめん。またみんなを振り回しちゃって」

「良いよ別に。慣れてるから」

 私は本気で申し訳ないとは思っていないであろうナオトの顔を見ずに答える。これでも小学生以来の地元付き合いがあるグループだ。彼らの性格は、親を除けば、私が一番熟知しているのは間違いない。

 ナオトはリサとは対照的に真面目な好青年然とした容姿だ。元々顔の整った二人だから、並べばお似合いとまでは言わずともそれなりの絵ができる。

「本当にごめん。もうお前らには迷惑かけないようにするよ」

「はいはい」

 浮かれ気分の男に空返事をした。その中に「どうせ」という感情が含まれていることにも気づかない。そして何より、私の隣に居るもう一人の悲し気な表情も見ていないから、きっと同じことを繰り返すのだ。

「良かったな。大事にしろよ」

 その男の言葉の出始めが掠れていたのを私は聞き逃さなかった。彼はユウジ。彼もまた古馴染みであり、昔から野球一筋で大学まで進学した。だから私たちはユウジの髪が長かったことがない。恵まれた体格のはずなのに、今はひょろっとしたナオトよりも小さく見えた。

「さぁ、さっさと遊びに行こうぜ。全員大学も違って、まともに顔を合わす機会も減っちまったんだからな」

「おー!」

 ユウジの空元気を皮切りにして、久し振りの集まりは実に平和に過ぎていく。カラオケ、ゲーセン、ファミレス。昔と変わらないラインナップで日が暮れる。口数が多くない私に代わって三人がラジオみたいに喋るから、実に良い退屈凌ぎだった。夕日が消えて月が来て、終電が近くなった頃、みんなが明日の予定を確認して駅に向かい始めた。

「じゃあリサたちはこっちね!」

 遊んでいる最中までべったりだったカップルの片割れが宣言して、二人は電車にも乗らずにどこかへ消えて行く。長々しい別れの挨拶も必要ないので別段文句は無いのだけれど、駅まで付いてくるカモフラージュが全て無駄になったことに果たして気づいているのだろうか。高い肩を支えに歩く不格好なヒールが、長夜の鐘みたいに鳴っていた。

 年相応の元気を見送って、改札を通ろうと定期券を入れたスマホを取り出した。するとその手を掴まんとばかりに、取り残された男が私の手元に太い腕を伸ばしていた。

「なぁ、ちょっと良いか?」

「何?」

「付き合って欲しいんだけど」

 遊んでいる間ずっと隠していた表情がありありと貼り付いていた。怒りや嘲笑と様々浮かんだけれど、一番しっくりくるのはやるせなさだ。

「だと思ったよ」

 私は表情を変えないでユウジに答えた。コンビニで少し時間を潰した後、多分リサとナオトが歩いたであろう道を追う。その先にあるのは生産性の欠片もない退屈凌ぎだ。こんなことをしないとやっていけなくなるのだから、人間はとことんくだらない生き物だと思う。そしてそれに付き合う私も、実に最低だと思えた。



 暗い部屋でカーテンを開けると、溢れ出すネオンライトの明かりが月よりも輝いていた。来月にはジングルベルが流れ出す街の空気は素肌に染み渡り過ぎる。数分で汗ばんだ蒸気を飛ばしたら、呼吸を整えた後も黙り続ける隣の男に話しかけた。

「で、リサの元彼さんは今何を思ってるのよ」

「わかんねぇよ。頭ん中全然すっきりしねぇ」

 生まれ持った粗暴さを隠せず、人への気遣いも忘れるくらいにユウジは憔悴していた。溜まり切った鬱憤の吐け口を見つけたとばかりに身勝手な激情を振り撒いた。体力が持たないのはこちらだと言うのに、今だけは私が気遣ってやらねばならない。潰れられてはこの居心地の良さを失ってしまう。

「リサは気分屋だからね。飽きたらあっちこっち行くのは常々でしょ」

「でもあいつ、付き合ってる間はずっと好き好き言うんだぜ? だけどちょっと練習で忙しくなったらすぐナオトの方に行ってよ」

 しかしそれを言うならユウジだってそうである。ある種お似合いな関係だったのは間違いないだろう。強いて彼を擁護する余地があるとすれば、都合良く扱っている女が私で、私が男女の話を気にも留めないことくらいだ。

「待ってたらその内に戻ってくるんじゃないの」

「そうだと良いな」

 いつもそうだ。なんだかんだと言いながら、ユウジは自分自身の妄想を信じている。頭の中で描いたリサという女の子は、最後は自分を好きになると思い込んでいた。夢を捨てられない男。それが私から見えるユウジという人間像に違いなかった。

「悪い。毎回お前にばっか負担かけて」

「良いよ別に。男の影があった方が言い寄られなくて楽なだけだから」

「ホント、お前には頭上がんねーわ」

 それは調子良さそうに言って汗の乾いた体をベッドに横たえた。私は彼の寝顔を見ることもせず、シャワールームの扉を開きに行く。

「次は何か月後かしらね」

 うるさいいびきの響く部屋では、溢れ出した本音を聞き拾う人間も居ない。



 世の中にはジングルベルが流れ始めた。シャン、シャララと繰り返される伝統的な歌をバックミュージックにして、至る所で二人組を見かける。いや、意識的に目が追うようになってしまっただけかもしれない。小さなイルミネーションの下で笑い合う人々には、羨ましいよりも「大変そうだな」の感情が(まさ)っていた。

 大学から帰ったら風呂に入り、ご飯を食べ、また明日の授業のために寝る。繰り返しの毎日はどうしても退屈だ。精神的な気怠さだけでベッドに潜り込んで、一時間か二時間、あるいはそれ以上、目を閉じてぼうっと過ごす。意識的に抜けない力がようやく消えかけてくれた頃、やかましいコール音が睡眠を邪魔した。

「もしもし」

『あーわり。俺だけど……』

 声だけでユウジと判断すると、私はやっと落とせそうだった自己電源の恨みをぶつける。

「何? 眠いから手短にね」

 不機嫌を察して、すぐに「おう」と返事があった。声は前よりもわかりやすく元気を取り戻していて、この後の用件は大方想像ができ、予想通りだった。

『リサとヨリ、戻せたわ』

「良かったじゃん」

『あぁ。お前のおかげだよ』

 ユウジは電話越しでもわかるくらい本気で感謝の気持ちを抱いていた。もしも私にまともな心があったなら、どれだけ残酷な台詞か理解しているのだろうか。

『それで、俺らの関係なんだけど……』

 彼は、さも私が普通の女の子であるかのように言ってきた。何を今さらと思いながらも、彼にも世間体があると思えば文句を言うのも億劫だ。言いにくそうに猫背を作っている姿が浮かんで、すっぱりと切り出す。

「終わりにしましょう。リサにも悪いし」

『ホント、都合良くてごめん』

「良いってば。じゃあ、また今度遊びに誘って」

「おう。じゃあな」

 忙しそうに電話は切れた。これで上辺の恋人関係は一旦休憩。ユウジはきっと、この後にリサと話すか会うかするのだろう。

「さて」

 私は冴えた目で耳元のスマホを見た。メッセージアプリにはナオトからの着信が届いている。『今週会えないかな?』という優し気な文面の奥底には、私じゃなくて自分のことを考える好青年の姿が見えた。退屈な日々に一石が投じられる瞬間は、柄にもなく浮足立つ。



 その日の大学の後、私は家に帰る前に一軒のカフェに足を運んだ。お気に入りの、混じり気のないブラックコーヒー。いつからかおいしいと思えるようになった温かい苦みを何度か口にしていると、私と同じで大学帰りらしい青年がドアベルを鳴らした。少しやつれたナオトは、私を見つけるなり座りながら言う。

「ごめん。急に呼び出して」

「今日はバイトも無いから。それで、用って?」

「リサと別れた」

 ナオトは実に悲壮感たっぷりに言った。そして、もしも知り合いでなければ聞くに堪えない愚痴や自己弁護が溢れ出す。カップがすっかり空になっても独りよがりな語り部は止まらない。吐き出し過ぎていよいよ表情を崩した頃に、泣き出されるのだけは面倒で、強い口調で切り出した。

「で、どうしたいの?」

「わかんないんだよ。前もこんな感じでユウジのところに行っちゃったしさ」

「待ってたらそのうち戻ってくるよ。あの子、気が変わるの早いから」

「そうかなぁ……」

 ナオトは元々自信の無い男だ。ユウジみたいにスポーツの才能がある訳でもなく、勉強だってすこぶるできる訳ではない。親が言うから大学に入り、友達に馬鹿にされて服装を整え、世間が煽るから一人の女の子を好きになった。私からすれば、求められる『普通』に応えられるだけでも十分な才能だと思うのだけれど、リサ含め、色々な人がそれを「頼りない」と呼ぶ。私は、私みたいな人間が優しいと思われる世間がキライだ。
 うじうじと悩む青年に向かって、エゴの塊のような言葉を投げた。

「きっとそうよ。私が保証してあげる」

「うん、ありがとう」

 しかし、彼に必要なのはそんな後押しだ。本人の中では折り合いをつけたつもりだろうが、実のところは人のせいにできる理由が欲しかっただけだろう。わかっていて励ましの言葉を選んだ私が最も独善的だ。この関係性を保つための最適解を熟知し、キライなものの逃げ場にしているのだから。
 ナオトの顔色はコーヒーにひと欠片の砂糖を入れたくらいは明るくなっていた。

「また僕ら、付き合っとく?」

 こんな台詞が出てくる好青年を、世間はクズと言って許さないのだろう。好きな女の子が離れても、彼女が居るというステータスを手放せるかどうか別問題という訳だ。彼が自己肯定を続けるためには絶対的に認めてくれる存在が必要なのである。私はナオトのそういう現代人臭いところはキライじゃない。

「うん、良いよ」

 ナオトは嬉しそうとは呼べない顔ではにかんだ。この先、私と別れ話をすることの方が嬉しいと知ってしまっているから。帰り際に「また今度誘うね」という社交辞令を送られた。その場だけの笑顔を作って彼とは別の帰り道を歩く。シャン、シャララが溢れる街で、人々は変わらず煌びやかだった。

 リサはいつかこの場所から去って行くのだろう。あの自由さは私の手の届かない場所にある。だから彼女が飽きるまでがこの場所の消費期限だ。その頃には落ち着いた別の場所か、もしくはどこにも居なくて済むかもしれない。

  もしこれが恋愛モノの映画(フィクション)なら、私は三角関係の蚊帳の外に居る脇役だ。だけどこれで良い。主役とヒロインは得てして面倒に揺さぶられるばかりだ。私はドロドロした人間関係はキライだ。だからこれで良い。こんなので良い。私は適度な感謝をもらえて、退屈を凌げる場所がある。それだけで自分を保つことができる。三流役者には、目立たないなりの人生がある。



 世の中は出会いと別れで季節を持て囃す時期になった。微睡みに落ちかける中で、また電話が鳴る。そのコール音が流れている時が、一番私を私たらしめる瞬間かもしれない。パーソナリティなんて煩わしいものは要らない。この場所ではいつだってあの子の今彼の元カノで、元彼の彼女。私はそこに居るだけ。
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