サルタスの森編(5)

エピソード文字数 3,794文字

ナギは泣き腫らした目を不安でふるわせながらも、正面に座するメルカートを見た。隣の黒衣の少女が「あらら」と呟く。虹色のインコはナギの肩に戻っている。

メルカートは優しい眼でナギを見つめていた。唇には微笑が飾られている。ただ、沈黙。沈黙の後、メルカートはようやく次の言葉を発した。

「そうか。メルカートは君を、ナギちゃんではなく、ナギ、と呼ぶんだね。しくじったよ」

そう言いながらも、メルカートのはずの男は微笑みを続ける。ふと気がつくと、そこにいるのはメルカートではなくなっていた。いつの間に変わったのか、全くわからない。メルカート老人とは似ても似つかぬ、黒衣の紳士がそこにいた。

「ナギ君。よく来たね。自己紹介しよう。我の名はメフィストフェレス、俗に言う、『悪魔』だ」

……悪魔?……
ナギは放心した。いや、正確に言えば、混乱に慣れてしまったのだろう。驚きもしなかった。むしろ、驚きもしない自分に驚いた。

「メルカートさんはどうしたのかしら?」

腕組みして立っている少女が訊く。こうして対峙すると、悪魔と小悪魔のご対面だ。

「残念ながら、ね。私も来るのが遅すぎた」

悪魔はそう言いながら、残念そうに両手を拡げてみせた。

「さて、何から話そうか。いや、その前に」

悪魔はそう言って右手を横に突き出した。するとその手にコップが握られ、左手にはいつの間にかペットボトルが握られていた。

「失礼。喉が渇いちまったんでな。俺も忙しいんだよ全く天界の蓮池が手入れ行き届いてねえもんでクモの巣あちこちにできてよ。クモの巣掃除しろっつってんのに釈迦がクモの糸使って地獄の亡者助けようとしたもんだから閻魔ともめてな、すったもんだよすったもんだ。まあそれはどーでもいいか。とりあえず話進めっか」

水をぐびぐび飲んだ悪魔は、紳士風から一転してフランクになっていた。面食らった二人は、これもまた突然現れた椅子に座らせられていた。

「さて、と。いいか、悪魔ってのはやたらホイホイ現れるもんじゃねーんだ。悪魔呼ぶには、正式な契約が必要なんだよ。で、俺を呼び出し契約したのが、パセム。ナギ、お前の兄貴だ」

「お兄ちゃんが?」

「そうだよ。ナギを守ってほしいってな。パセムはお前を守るためにいろんな奴に頼んで回ったみたいだな。リン。お前もだろ?」

リン。この少女はリンというのか。ナギは改めてリンと呼ばれた小悪魔少女を見た。

「この森に結界を張ったのもアナタね」

「その通り。遅すぎたけどな」


「あの……」

ナギが膝の上で拳を握りながら口を開いた。

「メルカートおじさんは……」

「ナギちゃん。メルカートは俺が来た時にはもう死んでたんだ。手遅れってのはそういう意味だよ」

「そんな……」

言葉は続かなかった。絶望に泣き出すナギの隣で、リンはまたため息をついた。

「パセムもメルカートさんもいなくなったら、この次空はどうなるのかしら?」

悪魔は笑いながら質問に答える。

「ナギちゃんがやるしかねーなあ」

「ムリ。ムリだわ。こんなだもの」

「お前さんたちの事情は知らねーけどな。リン。少なくともお前には恨みつらみがあるよな。ボロボロにやられて、姉ちゃんはどっかに飛ばしちまった」

言われてリンは、悪魔を凝視した。

「アナタだったんでしょ……助けてくれたの」

「既にパセムと契約してたからな」

「恨みなんてもんじゃないわ……百倍にして返してやる」

ナギは泣きながらも、うつむいたリンが唇を噛んで涙を滲ませたのを見た。


「さて、まあこうしてても仕方ねーや。俺も何かと忙しいんでな。お前さんたちを待っててずいぶん時間つぶしちまった。お前さんたちも一息ついたらさっさとでかけるこったな。こんなとこには長居はできねえ」

悪魔がプイッと人差し指を振ると、ナギとリンの前に小さな骸骨が現れて、香りのいいミルクティーの入ったカップを差し出した。リンはそれを受け取ったが、顔を覆ったままのナギは首を横に振った。

「ナギちゃん、泣いてたって何も解決しねーよ。まあ、希望を持てるように、明るいニュースを聞かせてやっか。パセム兄ちゃんは死んじゃいねえ。でもな、テキを倒さねえ限り、パセムには会えねえ。パセムに会いたかったら、
テキを倒すこったな。

リン、お前はテキに遺恨がある。これで二人の利害は一致したわけだ。もっともお前はナギを守ってくれってパセムに頼まれてたんだろうけどな。ナギちゃん。俺からのプレゼントを受け取ってくれや」

悪魔はナギを指差した。シャラ、と音がして、ナギは自分の首に小さなペンダントが吊るされたのに気づいた。

「やられそうになったら使いな。おっと、これもな」

再び悪魔がナギを指差すと、ナギの手の中にカードが現れた。

「それはメルカートがお前に渡そうとしてたカードだ。いくらあんのかは知らねーが、大事に使うこったな」

調べるまでもなく、キャッシュカードだ。ナギはその名義が既に自分になっていることに気づいた。

「よし、これでメルカートも少しは成仏できるか、って、無理か? まあしゃあねーや。生き返らせはご法度だしな。とにかく俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。留守番は契約にゃねえしな。悪魔はな、忙しいんだ」

悪魔はそう言うと、さて、と手を叩いて立ち上がった。そしてナギに歩み寄り、

「そうそう、肝心なことを忘れてた」

悪魔はナギの耳元で、そっと、何かを囁いた。そうしてふわりと笑い、ナギの頭を撫でて、

消えた。


静かな室内。窓の外から鳥の声が聞こえる。ナギは顔を上げる。目の前にミルクティーのカップを持って困っている小人の骸骨。

「受け取ってあげたら?」

リンに言われて、ナギは骸骨からカップをもらった。骸骨は嬉しそうにカチカチ鳴って、消えた。

もう何年も経った気がした。いろんなことがあり過ぎて、疲れも通り越した。あり得ないこと、あり得ないことの上にさらにあり得ないことが積み重なって積み重なって、もうどんなことが当たり前の日常なのか、わからなくなった。

何がわからないのかさえわからない。泣いて、泣いて、確かに自分の体じゅうの水分以上の涙を流して、それでも生きている自分自身さえ不思議だった。

もう、考えるのをやめよう。今、自分に確かなことは、
お兄ちゃんが死んでないということだ。
テキというのが何なのかわからないけれど、お兄ちゃんに会えるという希望がゼロではないということだ。


ナギは骸骨から受け取ったミルクティーを仕方なく一口飲んだ。不思議なことに全く冷めてなかったけれど、それ以上に驚いたのは、飲んだ途端に指の先まで新しい血が流れ込んだように体じゅうが癒されたことだった。

「お茶系の回復薬ね。ゲームならHP全回復っていうアイテムだわ」

リンが言った。確かに、悲しみも疲れも、絶望さえ、癒されて朝日の中に生まれたような気持ちになっていた。

生きよう。お兄ちゃんに会いたい。必ず、お兄ちゃんに会おう。

そう決意して閉じた目を開けた時、ナギはリンのそばに新たなキャラクターを見た。

やはり黒ずくめ、頭も黒い帽子、黒いコートは襟を立てて顔が全く見えない。ずんぐりした体から生えたような手を伸ばして、黒い手袋でリンに手紙のようなものを差し出している。

リンはそれを受け取って見るなり、顔を上げてナギをマジマジと見た。ナギの顔をじっと見て、そしてまた大きなため息をついた。

「ピン、紹介するわ。この子がナギ。面倒見てあげてね」

リンはずんぐりした黒いかたまりのような人物にそう言った。その後でナギを見て、

「ナギ、この人はピンセル。ピンって呼んでいいわ。アタシはリン。リン様って呼ぶのがホントウだけど、リンって呼んでいいわ」

呼んでいいわとは言われたが、自分との関係がわからない。

ナギが挨拶に戸惑っていると、

ざざ、と音がして、大きな風が流れた。


気がつくと、
そこは室内ではなかった。

ナギとリン、そしてピンセル、
三人は燃えた家の残骸の中にいた。

黒く積み重なった材木、すすにまみれた家具だった物。

空は夕暮れに向かって急いているらしく、刻々と陽を落としている。傾斜した陽光が残骸の影を黒い焼け跡にひときわ黒く焼きつけていた。

三人の頭上を、おそらくはメルカートさんが飼っていたのだろう、虹の精のようなインコが哀しげに飛び回る。

死んだ。そうだ。メルカートは本当に死んだのだ。
メルカートおじさんが何もかも教えてくれる。パセムはそう言っていたのに。

メルカートさんはもういない。頼れる人は誰もいない。

ざわ。

ナギの心に再び不安と絶望の影が舞い降りようとしていた。

「行くわよ」

不意に声をかけられて、ナギはびくっと驚いた。リンがナギを見つめていた。

「何がどうなってるのか、まずそれを知りたいんでしょ? 教えてあげるわ。知らないわけにはいかないみたいだし。それに、ここにいてもしょうがないわ。メルカートさんは、たぶん悪魔さんが弔ってくれたんだわ」

「い、行くって、ど、どこへ……」

「知ってるでしょ? トリメタよ」




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登場人物紹介

ナギ ……本篇主人公。16歳。失踪した兄を探すため、冒険の旅に出る。

パセム……ナギの兄。ナギを守るためにゾンビと戦い、行方不明になる。

アビス……ナギの親友。元気よく、いつもナギを励ます。パセムを慕っている。

フロス……ナギの親友。明るく好奇心旺盛で、人なつこい。

ムジカ……ナギの親友。おっとりした少女だが、天才的ピアニストでもある。

グラディ……ナギの幼なじみで、連邦一の剣士。一子相伝の雷剣の使い手。

ランス……グラディの親友で、連邦一の槍使い。口下手でどもるところがある。

エジェット……グラディの祖父で剣の師匠。

リン……黒いゴスロリの黒魔法師少女。右頰にコウモリのタトゥがある。

ピンセル……リンと一緒におり、空間の隙間を走る車を操る。喋らない。

リョータ……メルカートおじさんの家で出会った七色インコ。

ノートン……真実を伝えるベリテートのジャーナリスト。

悪魔……???

ルナ……ハティナモンで出会った不思議な女の子。回復魔法が使える。

ティマ……連邦とは海を隔てたモルニ国出身の女の子。ネピオルネスのスコラに通う。真面目でしっかり者。

アミィ……ティマの親友で、同じくモルニ国出身。活発で明るい性格だが、スコラはさぼりがちになっている。

レン……リンの姉で、数少ない白魔法師。様々な回復系魔法を使う。誰よりも優しいが、変わり者な一面もある。

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