2 カノジョたちの放課後

文字数 9,185文字

1

 取り囲まれた紅子へと向けて、警棒状の武器が四方から一斉に叩きつけられる。トリガーを引けば高圧電流が火花を飛ばし、瞬く間に紅子の丸焼きが出来あがる--はず、だったのだが、すでに紅子の姿はそこにない。
 行方を察して一斉に上向いた少女たち、の内のひとりの顔面がブーツに踏み付けられて一撃ノックダウン、そして仰向けに倒れた少女の傍らに紅子が着地して堂々と向き直る。残る三人はわずかに怯んだが、一文字に結んだままの唇をわずかも崩すことのないまま再び警棒を叩きつけようと--するのを待たず紅子の脚が躍り、次々に石畳へ転がされていた。
 早くも集い始めている野次馬たち、好奇心全開の眼差しで事態を見守っているともる、デカみたいな眼光をぎらつかせて動じるところのない海果、そして、倒れ伏している少女たちを見下ろして茫然としているのは他ならぬ紅子自身。
 レールのないジェットコースターに乗せられているような浮遊感が、今も全身に行き渡っている。自分の意思などお構いなしに勝手に動きまくった手足に、穏やかならぬ感触が痺れと化して残っている。その腕が、今、また勝手に動き出し、少女を足もとから掴み上げようと身を屈めた、
 瞬間、
 迫り来る風を背に感じた。
 紅子ちゃん! と只事ならぬ勢いでともるが叫ぶのが耳をかすめた、直後にはもう、紅子の身は前方へ吹っ飛ばされ宙を舞っている。背中がずしりと痛んで、後ろから蹴っ飛ばされたのかタックルを受けたのかと思い至った時にはもう地に落ちて滑り転がり街路樹の白樺に激突したところでようやくジェットコースターは停止した。天地の感覚を取り戻すまでにひと手間、石畳を踏み締めて立ち上がるまでにもうひと手間――ようやくのことで体勢を持ち直して再び顔を上げる。
 しかし黒ワンピたちの姿はもうどこにも見当たらない。海果もともるも深久美も明日奈も皆一様にぽかんと空を仰いでいる。倣ってさらに顔を上げれば、のぼり始めた月のほうへ遠ざかっていくひとかたまりの黒い影が瞬く間に見えなくなっていった。
 途端、我に返って自身の手のひらを、胸を腹を脚を見つめて、元通りの姿に戻っていることにやっと気付く。ベルトだけは変わらず腰に巻かれているものの、語りかけてくる声はもう聞こえない。バックルをさすってみても、爪で叩いてみても、小声で呼びかけてみても、返答は、ない。手のひらが擦り剥けて血が滲んでいるところを見ると、吹っ飛ばされて地面にぶつかったあたりで変身は解けてしまっていたのだろうか、
 というか、
 そもそも、
 あれが夢じゃなかったという保証は今なにひとつここに残されていない。
 少女たちの変身も紅子自身の変身もそして何よりあのスーパーマンな身ごなしも、むしろ夢妄想であってくれたほうがスッキリできるのだが。
「紅子ちゃん!!
 と、茫然と佇む紅子を見舞ったのは本日二度目のともるの絶叫、と共に全力で抱きついてくる彼女を受け止めきれずに紅子はまたひっくり返った。
 明記しておく。
 紅子とともるは、別にそういうカンケイではまったくない。感極まれば誰にでもとりあえず抱きつく、それがともるである。
「紅子ちゃん、ケガは!? どっか痛くない大丈夫!?
 一点の曇りもない心配心だけに衝き動かされて紅子の全身を隅々までまさぐりまくる、それがともるである。
「里見さんっ、ちょっ、だいじょぶ、大丈夫っ、だか……らっ、んっぅ……」
「でも、ほら! 唇、ここ、切れちゃってるじゃない!」
「いや、そんなの寝たら治るから大丈夫だって――」
 一切の手加減を欠いたまさぐりに身をよじりつつ、その肩を掴んで支えにして身を起こし、ぜいぜいと肩を揺らし鼻を鳴らし息を整えて。
 ぐるりと一瞥してわかったのは、とっととバックれたほうがよさそうだということ。野次馬のざわめきの向こうから、パトカーのサイレンがぐんぐん迫ってきている。人混みの奥、回転灯の赤の光線が夜と人をぐるぐる舐め回しているのも見えてきた。反射的に後ずさると、一歩目にして早くも尻が硬いものにぶつかって阻まれる。ガバっと振り向いてみれば、いつの間にか、ジープが背後スレスレに停まって逃げ道を塞いでいる。不可抗力でベタ付けしてしまった手のひらを慌てて引っ込めると、スモークのウィンドウがのろのろと開いて、
「真島クン里見クン、乗れ!」
 運転席でハンドルを握ったまま叫んだのは、海果だった。
 ともるが迷うことなく助手席に乗り込む傍ら、深久美が黙ったまま震えるだけの眼鏡っ娘を後ろの席に押し込み、自分は乗り込むことなく後ずさり紅子を促す。
「え、北条さんは……?」
「私はいいから。早く!」
 革手袋に包まれた手で紅子の肩を掴んで車内へ押しやり、ドアを閉めてしまうと、深久美は制服のふところから初心者マークを取り出して車の後部にベタリ、フロントに回り込んでさらにもう一枚、ベタリ。と同時に海果がジープを発進させ、腹にズシリとくるクラクションとギラつくハイビームで野次馬の壁を切り開いた。
「っていうか五条さんまで置いてきぼりなの?」
 各々の主に常々べったりなポジションの子たちだと直感していただけにこの置き去りはやや意外で、紅子はつい振り向いてみたがすでにふたりの姿は野次馬の彼方だった。
「あいつらが、もしくはその仲間が、付近にまだ潜んでいる可能性があるからね。深久美と五条クンにはそっちを任せる」
 深久美が頼りになりそうなのはわからなくもない、けれど、明日奈は……どうなんだろう。
「ねぇ、とりあえずお腹空いたよね、牛丼買ってこうよ牛丼!」
 パートナーのこの天真爛漫っぷりというか脳天気さを前にして推して知るべし、だろうか。
 とはいえ時計を見ればもう夕飯時、ともるの腹が盛大に鳴くのにつられて、ひとまずの安堵も相まってか実際空腹感が高まりつつあるのは正直なところ、ではあるのだが。今はまず何より先に、隣で震えているメガネっ娘の手当てが先決ではないかと思って紅子が口を開けば、
「それよりさ、先に病院とか寄ったほうが――」
「だいっ、大丈夫っ!!……です、私は……」
 他ならぬメガネっ娘自身による全力の否定がすぐ隣で弾けた。
 どう聞いてもワケありなその様子に、誰もが息を呑んだ。


2

 アヤしい少女たちも騒がしい美少女たちも今やここに在らず、となればかくて野次馬も解散し――石畳を蒼く濡らす月光の下には、半歩踏み出すだけで唇が重なる程度の距離を保って顔を突き合わすふたりだけが残されていた。
 深久美のほうがほんの気持ち背が高い分だけ明日奈が見上げる格好ではある、けれどぶつけ合う眼差しの勢いは互角。というのも、常に海果を見上げていたい深久美にとっては明日奈のちょうどいい背の低さが羨ましく、逆に、明日奈にとってはともるの胸元をチラのぞきするのにちょうどよさそうな深久美の背の高さが羨ましいからだった。
 が、そんな膠着状態も長くは続かない。
 パトカーがサイレンと回転灯を撒き散らしながら押し寄せて、瞬く間にふたりの少女は完全包囲の中でヘッドライトの集中砲火を浴びて、それでも微動だにしない。
 そして、サイレンが一斉に止んだのを合図に、覆面パトカーから降り立った女がふたりに歩み寄った。
「え、みく×あす? なにあんたたちいつの間にカプっちゃったの!?
 深久美より背も胸も頭ひとつぶんデカい上にばかデカい声で放った第一声がこれである。
 面識のない者からすればロックバンドのギターヴォーカル以外の何者にも見えないその女の名は真島夙。スーパーストレートのミディアムショートが五割強は銀に染まっているが警部補であり、瞳がアイスブルーに光っているが日本人であり、百合処女どころか何人もの女性警官とカンケイを抱いているがシャイで百合童貞な真島紅子の実姉に他ならない。
「ナギナギさんチーっす」
「お久しぶりです、真島さん」
 ふたりはめいめいに頭を下げ、振り向きそして駆け出そうとした、
 が、
 深久美は左耳たぶに息を吹きかけられ、明日奈はスカートをめくられざまに右ふとももの付け根をそっと撫でられてふたり揃って膝を折った。無論、夙が誰であろうと相手の感じどころを瞬時に見抜く特殊能力者であるわけではない。非百合的な意味での浅からぬ付き合いゆえに弱点を知っていただけである。
「コスプレ美少女たちのキャットファイトが見られるって聞いたから飛んできてみたんだけどさー、どこでやってんの? もう終わっちゃったのかしら? っていうかあんたたち、かわいいご主人様たちは一緒じゃないわけ?」
 畳みかけてくる質問はくだけた物腰、他愛無い佇まいでありながらすでに刑事としての本題に入っている。
 明日奈と深久美は息を合わせて唇を一文字に結び、顔を見合わせて刹那眼差しを交わし合い、そして唇を重ね合った。咄嗟に鼻を手のひらで覆う夙、その指の隙間から鼻血がひとすじ、こぼれるた――その隙をついてふたりの少女は顔を離して唇を拭い、包囲するパトカーを駆け昇って乗り越えて夕闇へと、消えていった。


3

 女子校生の帰り道に寄り道は欠かせない。
 ジープが走り出すやいなや、紅子にとっては今いちばん蒸し返されたくない一件――例のアニメのタイトルを教えろと詰め寄られ、しぶしぶ答えればすぐにハンドルが切られてレンタルビデオ店へ。
 ブルーレイを無事確保して車載のプレーヤーにディスクを突っ込んで再生開始と同時に発進し、それから五分ばかりは家路をまっすぐ進んだものの。また何かを思いついたような「あ」の一声と共にウィンカーが光る。今度はハンバーガーのドライブスルーだ。「牛丼は!?」と騒ぐともるを「対向車線またぐのダルい」のひとことで一蹴し、海果がジープのハンドルを切る。
 生徒会長コンビは車内のディスプレイと窓の外のメニュー板をかわるがわる凝視しながらヤバいコレおいしそうだのこっちも食べたいだのと手当たり次第に品数を重ね、ゆったり十分弱は使って注文を済ませた。メガネっ娘には紅子が声をかけたが、彼女は首を横に振るだけだった、そして、ハンバーガーの受け渡し口に進んだところでアニメはちょうど山場のシーンに突入していた。

 そうしてやっとのことで上山田邸に到着するなりの海果の第一声が、
「で、ご飯にする? 先にお風呂? それとも、真島クンにしようか?」
 である。
 あまりに真顔で言うものだから渾身のギャグなのかと思い紅子は返す言葉に困る、けれど、ぐぅと鳴く腹の音に促されてみればなるほどそれは大マジメな提案に違いなかった。そもそもこんなに腹が減っているのは諸々のアクシデントのおかげでいい汗も冷や汗もだくだくに流したのが原因なワケであって――となれば、風呂の優先度は一気に高まる。そして、やや説得力に不安がありはするものの、今はまだ飯もろくに喉を通らず、のんびり風呂に浸かる気分になどなれないような事態の真っただ中でありもするのだ、一応は。それに何より、紅子の今の第一希望は飯でも風呂でも自分の身を襲った異常事態のことでもなく、『疲れた、寝る』一択なのだが、
「私お風呂! 選挙のときからもう汗かいちゃってべったべただよー……ね、紅子ちゃんもお風呂がいいでしょ?」
 ともるに腕を掴まれ、肘に胸の膨らみを押し付けられつつ強制連行が始まってしまえばもう紅子に断る術はない。巨大な上山田邸内を勝手知ったる勢いで突き進むその足取りに生徒会長コンビの並ならぬ親密さを感じつつついていけばやがて、辿り着いた浴室いや浴場は温泉旅館さながらの規模。

 そして脱衣所に入って紅子が生唾を呑み込んだのも束の間、美少女生徒会長たちの生脱衣さえガン見していられなくなるほどの事態が彼女を襲った。

 ベルトが、外せない。
 すっぽんぽんのまま姿見へ駆け寄り、くるくる回って確かめてみるとそれはもはや普通に言うベルトですらなくなっていた。切れ目も留め具もどこにも見当たらない、太い白革のリングとなって紅子のウエストにやんわり食い込んでいる。こうしてバックルが素肌に当たっていると、ひんやり冷たくて、それでいてどこか、鼓動を、感じるような気がした。
「なるほど、ソレがキミのさっきの変身のヒミツなのかい?」
 回るのを止めて再び鏡と向き合った、途端、腰にタオルのみの格好になった海果が左二の腕を抱き込んだ。
「変わったベルトだねー……どうやって外すのコレ?」
 同様にしてともるに右二の腕を掴まれれば、肘がその胸に今度は生でぶつかる。
 鋭すぎる観察力のおかげでゼロから説明する手間が省けた反面、一応はゼロから喋るつもりで練っていた説明原稿がぶち壊しになってしまい紅子はしどろもどろになるしかない。
「まあ、立ち話も何だし」
「お風呂入りながらゆっくり聞かせてよ」
 浴場へ連行されていくその背中を、メガネっ娘はおろおろした様子で見つめていたが、やがて湯けむりに呑まれていく彼女たちを小走りに追いかけるのだった。 


4

「ミクミーさー、どう思う? 紅子ちゃん蹴っ飛ばしたあのでっかい鳥みたいなの」
「……知らないわよ、初めて見たわあんな得体の知れないもの」
 ストリート上空から影が飛び去った方角、月に向かって駆けるビビッドイエローのビッグスクーター。アクセルを握る明日奈は風に負けないよう声を張り上げ、タンデムシートに座る深久美は耳元に口を寄せて言葉を交わし合っていた。
 街並みはとうに過ぎて、今は山間へ続く対面通行の田舎道をのんびり進んでいる。この道のりに確証があるわけではない。謎の少女たちや不思議生物の手掛かりのひとつでも見つけられれば、との甘い期待、それから、現場のストリートというか真島警部補から一旦は距離を取りたい一心でビッグスクーターを走らせてはきたものの……陽が落ちてしまっては、もうこれ以上闇雲に進んでみても得られるものはなさそうだった。
 アクセルを緩め、Uターンに入りかけたところで――急ブレーキ、明日奈の背に深久美の胸が押し付けられる。
「あれー、ミクミーふくらんだ?」
 となにひとつ悪びれることなく呟く明日奈の目線はヘッドライトが照らすアスファルトの一点に向けられていて、反射的に怒鳴りかけた深久美もその眼差しを察してぐっと堪える。視線を追えば白光の中、アスファルトとは異質な黒光りを放つ黒革の手帳が落ちていた。
 深久美がシートから下りて拾い上げ、ヘッドライトのもとで表紙を開いてみれば最初の頁が学生証になっている。
「ロゴトピア高? お嬢様じゃんー」
「この娘、さっきの女の子たちの内のひとりじゃないかしら」
 貼り付けられている写真にうつった少女は、確かに――見覚えがある。紅子に顔を踏まれて最初に沈んだ少女。唇の真横の小さなほくろがそっくり同じで、僅かな間ではあったが、変身する前はロゴトピア高の赤茶の制服を着た子がひとり混じっていたのを記憶している。
 深久美は手帳をポケットに仕舞うと、
「ここまで来た甲斐があったわ」
 とシートに戻った。
「良かったねミクミー、これで海果サマに褒めてもらえるじゃんー」
「はぁ!? 別に私、そういう目的でやってるわけじゃ――」
「あ!!」
 山間に轟く甲高い叫び、そして、
「ごめんね、ガス欠っちった」
「はぁ!!?
 再び轟く叫び。
 近くの梢から飛び去っていく鳥の音が聞こえなくなるまでのたっぷりの沈黙の後、深久美が深く深く溜め息をこぼした、が、それが途切れるのを待たずに、
「あ!! ミクミー、あれ、車だよ車!!」
 また絶叫する明日奈に促され顔を向けてみれば、自分たちが来たのと同じ街の方角から近づいてくるヘッドライトが見えた。
「ねぇ、お願いしたらガソリンちょこっと分けてくんないかなぁ」
「ダメもとでやってみれば。私休んでるから」
「えー、一緒にお願いしようよミクミー」
「ガス欠はあなたのミスなんだからあなたがやってちょうだい」
「冷たいなぁ、いいよー、わかりましたよー」
 深久美が路肩でしゃがみ込んでしまうと、明日奈もついに諦めてしぶしぶビッグスクーターを路上ど真ん中、バリケード代わりに置いてスタンドを立てて、傍らで両腕をめいっぱい振り回し始める。
 検問じゃないんだから、とぼやきつつ深久美は満天の星空を見上げ、海果に褒めてもらう自分の姿を妄想し始めた。
 しかし、どうにも様子がおかしい。
 ヘッドライトが近づいてくるにつれ、尋常でない勢いでのクラクション連射が始まったのだ。いくら明日奈が夜道のど真ん中で大迷惑な立ち往生をしているとはいっても、だ。クラクションのみならず、どうにか止まることなく過ぎ去ろうとしてか車体を右へ左へと寄せて擦り抜けの幅を探っているらしい動きも、やはりおかしい。白いワンボックス、県外ナンバー、フルスモーク、と深久美は目を走らせ確かめると、再び立ち上がった、
 そして、
 どうやっても擦り抜けは不可能と悟った車はようやく、明日奈からたっぷり十メートルは離れたところで止まった。
 運転席のドアが開くなり「とっとと道を開けろ」の怒声と共に出てきた男は見たところハタチそこそこ、郊外のショッピングモールに行けばもれなく出逢えそうな金髪ソフモヒのお兄さん。明日奈は壊れた人形よろしく腕をぶんぶん回し続けている、一方で、深久美が車の側面へ気付かれないよう回り込むと後部座席、その中からドアを思い切り蹴りつけたような音と共に、開けたままの運転席伝いに呻き声が微か聞こえた。

 百合咲シーサイドストリート、それは百合っぷるの聖地であると同時に、裏を返せば男たちにとって選び放題のナンパスポット。過去に比べれば今は平和になっているものの、少し強引なことをしようと寄ってくる者もまた後を絶たないのが実情。

 深久美は運転席の操作盤に手を伸ばしロックを全解除する、と同時に後部ドアをひといきに引き開けてそこに三人の男たちと半裸状態で猿轡な少女の姿を見つけた。運転手がこちらに気付いて踵を返す足音を片耳に聞きながら、明日奈が彼を追って駆け出す音を聞きながら、深久美はとりあえず手近な男の襟を掴んで車外へ引きずり出しざまに股間へ膝で一撃入れて路肩へ放り捨てる。残るふたりのうち、ひとりは拉致った少女を盾に後ずさり、もうひとりはスタンガンを手にヤル気満々。深久美は適当に後ずさると、彼が外へ出てこようとしたところを蹴っ飛ばしたスライドドアで挟んで怯ませて強引に引っ張りだし、すっと身を屈めた。深久美の背後から、後頭部を狙って放たれていた最初の男の拳が彼の顔面にめり込んでノックダウン、後は足もとのスタンガンを拾って後ろへ突き出すだけで済んだ。
 再び車内を見れば、明日奈がすでに反対のドアから残りのひとりを片づけて、半裸の少女に自分のパーカーを着せてやっている。「ミクミーごめーん、猿轡、外してあげてー」と微笑む彼女の手が、返り血に濡れていた。


5

 浅い眠りの夢の中、
 紅子はひどく蒸し暑い部屋に立ち尽くしている。暑いといっても真夏でもなければかんかん照りの真っ昼間でもなく、木の格子窓からは秋の夜虫の調べと月明かりが絶え間なく流れ込んでいた。まるで馴染みのない光景、それでいて既視感がつのる八畳ばかりの掘立小屋は、一本の蝋燭の灯に満ちて滲んでいる、掠れている。板張りの床に敷かれた薄い布団の上に、女がふたり。はだけた粗末な着物も白い布団も、じわじわと流れる赤の色に濡れている。それでも、彼女たちは抱き合っていた。一方の胸にはごく浅く、ではあるが、短刀が突き立てられていて、なおも抱きしめ合って、吐息を交わし合っていた。
 ――いいさ。何だって付き合うよ……あなたが願ったことなら、何だって。私は。
 青い着物を大胆にはだけさせ、苦しそうに微笑むその女が、あのベルトの声とそっくりな声で囁く。
 とても見ていられない、自分などが見ていていようなもののはずが、ない、と思った。
 ふたりに背を向けて小屋を飛び出した紅子は、しかし、夜露に濡れた大地を踏み締めたその一歩目でまた動けなくなる。
 掘立小屋は、何十という数の女たちに取り囲まれていた。そっくり、だ。百合咲シーサイドストリートに混乱を巻き起こしたあの少女たちと。黒のワンピーススーツも、プロテクターを仕込んでいるようなボディラインも、そして、どこか殺伐とした眼差しも。
 不意に何の合図もなしに彼女たちが歩み出し小屋に迫る、燃え上がる、慟哭が張り裂けて、ぎらつく月と刃が、ぬるりと、赤く、溶け出して――――

 顎をテーブルにぶつけて目覚めれば、海果の部屋だった。
 せっかくいい風呂に浸からせてもらったばかりだというのに、もう汗だくになっている。
 紅子は借り物のパジャマの袖で額を拭いつつ、風呂を出た後の次第を――海果の部屋で冷めかけのハンバーガーとてんこ盛りのポテトをひたすら腹に詰めたら疲れと眠気が速攻で襲ってきて、性懲りもなく再生していた百合アニメがEDに入る頃にはもう限界で、あぐらのまま頬杖に身を預けていたことを、ぼんやりと浮かべた。
 さらに遡れば、
「ねぇ、約束のことなんだけど」
「約束?」
「うん、ほら、私が海果ちゃんをぺろぺろするっていうアレ。ふたりとも当選しちゃった場合はどうするのか、決めてなかったでしょ?」
「……つまり、里見クンが言いたいのは、約束はナシってことにしたらキミがぺろぺろせずに済む代わりに私が野郎クンたちと仲良くするって公約も却下だけど、アリってことにしちゃったらぺろぺろは不可避、と。そういうことかい?」
「うん。だからね、海果ちゃんさえよければ、今ここで――」
「なるほど、いや、少し考える時間が欲しい。確かにキミのぺろぺろは捨てがたい、だけど――」
 結局、浴場で繰り広げられた熱い議論のテーマはこれひとつだけであった。
 紅子はふたりから距離を置きつつ聞き耳を立ててそのプレイが始まる瞬間を見逃すまいと身構えながらメガネっ娘にひたすら話しかけて、のぼせるギリギリのところでどうにかアンナという名をひとつ、寡黙な彼女から聞き出していたのだった。

 目をこすり改めて見渡すと、ともるはベッドで完全に爆睡中、海果はテーブルの反対側でノートパソコンに向かっているもののやはり眠たげで、アンナは自分のあぐらを膝枕に寝息を立てていた、
 そして、
「コーコ」
 と、
 呼び声が、聞こえた。
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