第1話

文字数 2,586文字

『愛してる』
『君さえいれば、この国なんかどうなったっていい』
『世界中を敵に回したって、君をずっと愛し続ける』
 朝のまどろみタイムの中、突如として聞こえてきた男の声に、俺は重いまぶたを無理やりこじ開けた。
『愛してる』
『君さえいれば、この国なんかどうなったっていい』
『世界中を敵に回したって、君をずっと愛し続ける』
 二度目の声に、嫌々ながらも上半身を起こすと、あたりを見回す。
 隣ですやすや眠る彼女の枕元に置かれたスマホのアラームが、どうやら音の発信源らしい。
 ったく。こいつ、なにやってんだよ。
「おい、由莉」
「う、う~ん……」
 揺り動かしても、起きる気配なし。
『愛してる』
『君さえいれば、この国なんかどうなったっていい』
『世界中を敵に回したって、君をずっと愛し続ける』
 この不愉快な音を早く消してくれ。
「由莉、起きろ。アラーム鳴ってるぞ」
 さっきよりも強く由莉の肩を揺すると、寝ぼけた由莉にぱしっと手をはたかれた。
 普通に痛いんだが。
「う~ん……あらー……む!?!?!?!?」
 がばっと布団を跳ね上げて起きあがると、俺に背を向けあたふたとアラームを解除する。
「和くん、き……聞いちゃった?」
 半笑いの由莉が、ちらっと俺の様子をうかがいながら尋ねてくる。
「がっつり3回」
 いやー、あはははー、と笑ってごまかそうとする由莉。
 いや、全然無理だから。
「それ、『溺愛王子』のヤツだろ?」
「い、いいでしょ、別に。他の男の声を録音してるわけじゃないんだから」
 あえてそっけなく尋ねる俺に、由莉が逆ギレ気味に言い訳してくる。
『溺愛王子』というのは、今OLの間で流行っているというウワサの深夜アニメだ。
 タイトル通り、王子がひと目ボレした町娘を溺愛する、というストーリーなのだが。
「朝からそんなもん聞かされて気分いいわけないだろ」
「……だって、本物の和くんは言ってくれないじゃない」
 俺の方に向き直って正座した由莉が、若干頬を膨らませて拗ねたように言う。
「言わなくたって……わかるだろ」
 由莉の前にあぐらをかいて座ると、そっと顔をそらして、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。
 こうやって、忙しい仕事の合間に由莉の家を訪ねているんだ。
 わかるよな? 普通。言葉なんかにしなくたって。
「和くんがわたしに『好き』って最後に言ってくれたの、高校生のときだよ? それも、わたしに『俺と付き合って』って告白してくれたときの、1回きりなんだよ!? 何年前かわかる? 8年だよ、8年!!
 だんだんと声を張り上げ、由莉が俺に訴えてくる。
「そういうの、苦手なんだよ。わかってるだろ」
 口ベタで不愛想。そんな俺でもいいと言ってくれたはずなのに。
 だからこそ、由莉といるときだけは、そのままの、無理しない俺でいられたのに。
「これ聞いてるとね、レイモンド王子に溺愛されてるリリーになれたような気持ちになれるの」
 スマホをぎゅっと抱きしめてそう言う由莉の頬が、ほんのりピンク色に染まって見える。
 そんな由莉を見ていたら、なんだか胸のあたりがモヤモヤしてきた。
 いや、おかしいだろ。アニメのキャラだぜ?
 しかも……。だけど……。
「由莉が他の男に溺愛されてるってのは……なんかムカつく」
 思わず心の声が漏れ出てしまう。
「なに言ってるの? だってレイモンド王子は――」
「俺が演ってるけど! ……それとこれとはちがう」
 笑いながら言う由莉の言葉を途中で遮ると、俺は思わず声を荒らげた。
「アレは、レイモンド王子のセリフだ。だからっ……おまえを溺愛してるのは俺じゃなくて、レイモンド王子なんだよ」
「なにそれ。わけわかんない」
「なんでわかんないんだよ」
「だったら、言ってよ」
「……なにをだよ」
「わかってるクセに」
「おまえだって、わかってるだろ」
 そんな俺の言葉はガン無視して、由莉が俺の瞳をじっと見つめてくる。
 寝室の掛け時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
 ついでに俺の心臓も、いつになくバクバクと大きな音を立てている。
 は~~、とひとつ、大きく息を吐く。
 こんな言葉、あっちこっちで飽きるほど言ってきたはずなのにな。
 なんで本当に好きな女を目の前にすると、こんなに緊張するんだろう。
「由莉……愛してる」
 その瞬間、由莉が、はっと息を飲むのがわかった。
「……由莉がいても、この国がなくなったら困るし、世界中を敵に回したくもないけど……これからも、ずっとずっと愛してる」
「え、ちょ……なにそれ。え、笑うべき? わ、わたし……」
 俺の一世一代の愛の告白(?)に、しばらくの間どう対処すべきか戸惑った様子だった由莉の目から、はらりと涙がこぼれ落ちた。
「や、ま、待って! なにこれ。見ないで!」
 俺から顔をそらして目元を拭おうとする由莉の両腕を、がしっと取り押さえる。
「ちがうの!」
「なにがちがうんだよ」
 ふっと笑みが漏れる。
 ――ああ、そっか。今わかった。
「愛してる」って、相手のためだけに言うものじゃないんだな。
 口にするまでは、心臓飛び出るかと思うくらいめちゃくちゃ緊張したけど……言った方も幸せな気持ちになれる魔法の言葉なんだ。
 そのことに今まで気付かなかったってことは、きっと今までの自分の演技には足りてないところがあったってことだ。
 そのことに、今、由莉が気づかせてくれた。
「ありがとう、由莉」
「なにが?」
「大好き」
「も、もういいってば」
 頬を真っ赤に染めた由莉が、俺に見られまいと必死になって顔をそらす。
 完全に形勢逆転だ。
「和くんのバカっ」
 いじめられっ子にでもいじめられたかのような半泣きの顔で、由莉が俺のことをうらめしそうに見あげてくる。
「ひどいな。由莉が言えって言ったんだろ。わかったよ。もう言わない」
「だ、ダメ! やっぱり、もう一回言って。それ録音して、新しいアラームにするから」
 由莉が慌てて言う。
「録音禁止」
「なんで!?
「なんでって……由莉がそうしてほしいなら、俺が毎日言ってやる」
「え!? 毎日……言ってくれるの? 毎日モーニングコールしてくれるってこと?」
 由莉が、ちらりと俺の顔を覗き見ながら聞いてくる。
「ああっ、もう。察しろよ」
 口の中でブツブツつぶやきながら、ガシガシ頭をかく。
 わかったよ。ちゃんと言えってか。
 真正面から由莉の瞳の奥をじっと見つめると、俺はもう一度口を開いた。
「俺と――――」
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