第1話 一話完結

文字数 1,997文字

 婚約者の百合子と手をつないで歩いていた。すれ違う主婦が怪訝な面持ちで通り過ぎて行く。
 俺は三十三歳で、百合子も同じ年齢だ。でも、見た目が全く違う。俺は小太りで髪も薄いため、四十歳以下に見られることはない。百合子は二十代半ばくらいの派手目の美人に見える。恋人同士に見られなくても仕方がない。
 好奇の視線をやり過ごし、俺は木造二階建ての家の前で立ち止まった。
「ここが俺の実家だよ。都内の高級住宅街にあるから、こんなボロ家だと思っていなかっただろう」
 俺は、モルタルが剥がれ落ちた壁を指差した。
「それくらいなら大丈夫よ」
 百合子がそう言うので、家屋の周りも見るように促した。
 実家には誰も住んでいない。半年前までは両親が住んでいたが、二人共事故で亡くなり、一人っ子の俺が相続したものの手を入れていないので荒れている。
 俺は結婚したら新居を会社近くに借りようと考えていた。ところが、百合子は「実家が空いているなら、借りることないわ」と言い出した。この家を見せれば諦めると思って百合子を連れて来たのだ。
 程なくして、百合子は戻って来た。
「傷んでいるところもあるけど、少し手直しをすれば住めるわよ。庭が広いのがいいわよね。敷地が百坪もあるんだから、多少のことは目をつぶらないと」
「結論は中も見てからにしてよ」
 俺は玄関の鍵を開け、ドアを開いた。カビの臭いが漂ってくる。百合子は平気な顔だ。スリッパに履き替え、家の中を案内した。
「キッチンや浴室も古めかしいだろう。それに地震が起こったら危ないし」
「家が潰れる地震なんてそう起こらないでしょう。築五十年でも大丈夫よ」
「えっ」
「どうしたの?」
「築年数を言い当てたからさ。ちょっと見ただけで、よくわかったなって驚いた」
「それはその、私は派遣だから色々な会社で働いてきたの。不動産会社へ派遣されたこともあったわ。だから、この感じなら五十年くらいかなって思っただけよ」
 百合子は背中を向け、本棚にある卒業アルバムを取り出した。
「正広さんは光団舎中学校出身だったのね。ここって、バラバラ事件があった学校でしょう。私と同学年の生徒が起こした事件だから、よく覚えているの。正広さんも私と同学年だから犯人のことを知ってるわよね。どんな生徒だったの?」
「クラスが別だったから、よく知らないんだ」
 嘘をついた。犯人の上野啓治とは友達だった。啓治にとっては、俺が唯一の友達だったかもしれない。
 啓治は頭が良く、いつも微笑を浮かべていた。探究心が強い性格で、誰にでも問い詰めるように質問をするので、教師からは煙たがられ、クラスメイトには「面倒な奴」とのレッテルを貼られた。感情のない微笑を気味悪がられ、次第に関わるのを避けられるようになった。中には啓治をからかったり、いじめたりする奴もいた。
 俺は入学した時からの友達だったし、お互い猫好きだったので、二人で廃屋に住み着いている野良猫とよく遊んだ。啓次は毎日野良猫に餌をやっていたらしく、野良猫は啓治によくなついていた。
 ある日、啓治を誘って廃屋に行ったら、その野良猫が大の字に縛られて腹を切り開かれた状態で死んでいた。傍らには取り出された内臓が置かれていた。
 俺は吐きそうになったが、啓治は猫の横にしゃがんで切り裂かれた腹を確かめるように触り出した。俺が止めさせようとすると、啓治はいつもの微笑を浮かべて「人間はどうして生きているのかな?」とつぶやいた。その目には狂気が宿っていた。
 怖くなった俺が廃屋を飛び出すと、啓治も出てきた。「何でこんなことをするんだ」と怒っていた俺に、啓治は「油断したからだ」と言った。意味がわからないでいる俺に、啓治は「世の中は弱肉強食なんだ。油断すれば、弱者は利用されるだけなんだ」と続けて去って行った。
 その日から一カ月程経った頃、啓治をいじめていた奴のバラバラ死体が発見された。犯人は直ぐに逮捕された。啓治だった。啓治は猫も殺していた。
 犯行動機はいじめの復讐とされ、猫殺しは予行演習とされたが、俺は違うと思った。「人間はどうして生きているのかな?」との言葉は、酷いことを目にして人間の生きている意味を問うたのではなく、「人間はどのようにして生命を維持しているのか」ということだったのだ。啓治はいじめっ子を利用して生命のメカニズムを知ろうとしたに違いない。
 事件後、学校は啓治が在校していたことを消した。生徒も啓治のことは口にしなくなった。俺も啓治の記憶を封印した。しかし、事件が話題になる度に、忘れたい記憶が浮かび上がってくる。
「どうしたの? ボーとして」
 百合子に言われ、過去から現実に戻った。
「ちょっと考え事をしてた」
「ねえねえ、結婚したら私の生命保険の受取人を正広さんにするから、正広さんも保険に入って。いいでしょう」
 甘えるように浮かべる百合子の笑みが、啓治の微笑と重なった。

<終わり>
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