第2話

文字数 2,940文字

今更ではあるが、平次は、可成りの醜男で通っておる。
生まれたときから、「人生何回目?」とか、「和顔」とか、二六時中言われてきた。そのためか、見た目以上に中身が老け込んで、常軌を逸すほどのひねくれものになってしまった。
彼は、散髪屋に行って、写真を見せてこうしてくださいと言った時、「おすすめの整形外科紹介しますが」と言われたことが三度ある。しかもうち二度は同じ散髪屋であるが、愛着がわいたのか、ええい、ままよ。面白いならそれでよいと言った破天荒な気質からか、その散髪屋に、今でも通い続けて居る。しかも行く度に、「毎度どうも。初めていらっしゃったときは失礼をいたしました」と言う話を鼓膜が溶けるほど聞かされていながら、当の本人は「そんなことありましたっけ。あはははは」なんて澄まして居るくらいの余裕がある。別の言い方をすればまことの変わり者である。
しかし彼のそんなわけのわからぬ気質や、何も考えていないのに、何か考えているような意味深な顔から、女には一定数のファンを、生まれてこの方絶やしたことは無い。
なおこはその一人ではないのではあるが。

またなおこは、可成り鈍感な女子である。よく本を読むが、それが悪さしてか、人の心を読むのが得意でない。書かれている感情しか、分からないようである。
二人の間にこんな逸話がある。なおこは、農学部であり、向学心が旺盛で、女友達が多いから、よく平次をほったらかして自分の時間を楽しんむことが多かったが、一度、平次の堪忍袋の緒が切れそうになったことである。
なおこが夏休み中に一週間ほど帰省していて、その間もメッセージでやりとりはしていたものの、平次の会いたい想いは募っていた。そして二日ほど帰省から帰って来たかと思うと、今度は農学演習たら何たらで、五日間農家でぶどう狩りの手伝いをしに行った時である。無論熱し過ぎた鉄が、自然に冷めるくらいの時間は、十分すぎるほどあった。なおこが農学演習から帰ってきたというメッセージを、平次が受け取った時、すぐにでも会う約束をしたかったが、なおこは疲れ切っていて寝てしまった。なおこはその文の中で「会いたい」みたいなことを書いていたので平次は再び舞い上がって、今か今かとその時を待ち望んでいた。別日に、会いたいのであれば昼にでも会おうと思って平次はなおこに電話を掛けたが、彼女は他の女友達と会食中であった。驚くほど気持ちのいい話である。
たしかに平次の気持ちが重すぎて、先走っていたことは認めるが、なおこも会いたいと言って時間があるのにも関わらず会わない。嘘つきだとは思っていなかった平次は、いらいらしてその夜の会う約束を破棄してしまった。平次の気持ちには、「自分の気持ちが重すぎて、会いたいなどと言う嘘を吐かせてしまった私が悪い」というものもあったが、「ええい、ままよ、好きにしろ。」といういつもの破天荒な気質があったのも否定はできぬ。しかしそんな裏で、平次はいつも、「この苦しんでいる自分に気づいてくれ」くらいに思っているのであった。平次は、なおこと付き合い始めて止めると決めていた煙草を、買ってしまったのもこの時である。鶏が、起きておめざ!と言うのを、二度聞けるか否かの短い禁煙期間であった。
なおこの私の会いたい気持ちに対する返事はこうであった。それからまた五日経って後、「ああ。私も言おうと思っていた」と一言、軽い文が寄せられたのみであった。
平次はなおこのこの、鈍感で、阿保で、しかし純粋なところが、また一つ好きなのかもしれぬが、平次の心には、あきらめのような、これからずっとこの自己中心的な鬼と暮らしていくのかという暗い影が、少しずつ見え隠れし始めたのも、事実である。こんなことがあるたびに、平次はそっと、「至らない自分が悪いのだ。これはきっと、復讐に違いない。私も彼女に至らないことを沢山している。しかもそれに気が付いていないことも有るはずである。この苦しみに慣れろ。彼女を認めて、それを尊重しよう」こう心の中で呟いた。

目に見えるものの方が、目に見えないものより信用できるというのは、人間、生まれてからの嵯峨である。テグジュペリも同じようなことを言っていた。しかし、そこで、目に見えないものを信用できるかどうかが、人生の深さを決める一つの目安となる。
平次はどちらかと言えば、前者である。と言うより、目に見えるものによって、目に見えぬものを可視化しようと努力して居る。例えば恋愛はハートの形で可視化されることが多いが、ハート型はもともと心臓を模して居る。しかし、人間、恋愛は脳でするものであるから、この形は脳のような形、もしくは下垂体のような形に直すべきだと平次は常々思って居る。このことを、彼がある親友に話すと、「気持ち悪い」と一蹴されたことは無論であるが、平次は、めげずにこの恋愛は脳型論を張っておる。彼に言わせれば、恋愛と言うものを可視化するときは、恋愛は人によって大きく形が変わるものであるから、まず可視化できないことをしようとして居るということを前提として、脳の形にすべきだという。彼に言わせれば、恋愛ほどグロテスクに人生に語り掛けてきて、しかも難しいものは無いのであるから、できるだけ崩した脳あるいは下垂体を描いて、更にそれをグロテスクに脚色すべきだくらいに思って居る。見えないものを見ようとすることは、大切な試みではあると考えるが、見えないものであるがために、他からの偏見を受けやすいことが事実である。
「逆に、見えるものからなら、見えないものを想像できるのではないか?」
平次はそう、ある昼下がりの蒸し暑い日に、公園のベンチで横になって、大口を開けてあくびをし、あくびをした刹那に、周りに寄ってきた鳩に、昼飯のサンドイッチをちぎって与えていた時に考えた。
平次は図書館に行き、心理学の書を漁った。心の理を、見えるものから解き明かそうとするその学問にすぐ惹かれて、行動心理学を研究し始めた。
三日で終えた。心理学の教科書のようなものを、寝ずに三冊読んだ。平次には、猪突猛進なところが、良くも悪くもある。さらには得た情報を周りに吹聴し散らかして、質問があれば手記に書き、調べ、一人合点して、その質問者のところに行って説明し、質問者はその質問をしたことすら忘れているから、「ああ。そうなの?」なんて乗り気風で聞いてはいるが、質問しことすら忘れて居る。平次は心理学をあれだけ研究したにもかかわらず、そのことにも気づかず話続けて居った。
そんな日が続いて、平次はついに、周りから気持ち悪がられるようになってしまった。周りの人は、自分等も研究対象になっているのではないかと疑い始めてしまった。それでも平次はそのことに気づかない。
ある朝、平次はなおこの家でなおこの手作りのご飯を食べて居る時、なおこにこの顛末を話した。するとなおこは、
「阿保らしい。莫迦なの?」
平次は次の日から、公園のベンチで鳩に餌をやる時には何も考えないようにした。また、心理学の研究もやめてしまった。
本当に大切なものは目に見えぬと言うが、そのひとの見た目や仕草は、目に見えぬものの影を宿しているものである。
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