第1話

文字数 863文字

 目覚めた時、そこが何処か判らなかった。
 だが、粗末な作りの部屋だということは直ぐに感じ取った。
 シミだらけの木の天井に、鶏小屋のように窮屈な空間。家具といえば自分の寝ているベッドと、古めかしいタンスくらい。一つだけしかない小さな窓からは木漏れ日が差し込み、遠くから小鳥のさえずりが聞こえてきた。
 喉の渇きを憶え、起き上がろうとして力を入れてみると、体の節々に激しい痛みを感じ、上体すら起こすことができない。
 尋常ではない怪我を負っているのは、容易に想像できた。
 どうしてこんなことになったのだろうかと記憶を手繰り寄せてみるが、何も思い出せない。それどころか自分が何者であるのかさえ、見当もつかなかった。
「僕は一体……?」
 思わず独り言をつぶやくと、恐怖に打ち震えずにはいられなかった。記憶喪失という文字が頭を巡り、どうしようもない不安が広がり続ける。
 耳を澄ますと、扉の向こうから何かを叩く音が微かに聞こえる。料理しているであろう事だけは、すぐにピンときたが、当然ながら、それが誰であるかなど知る由もなかった。
 やがて音が止み、しばらく様子をうかがっていると、ノックの後に扉が開いた。
 そこから十代後半と見られる、可憐でいたいけな少女が心配そうな顔を出し、彼が目覚めているのを確認すると、にこやかな笑顔を浮かべながらベッドの傍へやってきた。赤毛でそばかすのある瞳の綺麗な女性だ。もしかしたら、自分の姉か妹かもしれないと思うと、何故だか判らないが他人であってほしいという願望が芽生えた。
「気が付いたのね。良かった。丸二日も意識が無かったのよ。調子はどう?」
 澄んだ声が耳の鼓膜を震わせると、さっきまでの不安な気持ちはだいぶ消え去り、小春日和の午後のような穏やかな気分になった。
 だか、体中の痛みは相当なもので、やはり起き上がることはできそうにない。体を少しひねっただけで、うめき声をあげてしまった。
「……今はまだ無理をしないで。もうしばらく安静にしていたほうがいいわ」
 少女の気遣いに甘えることにして、彼は再びまぶたを閉じた。
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