無理かも。

文字数 1,234文字

 20分ほど前に「遊びにおいでー」と誘っておきながら、彼は出迎えもせずリビングでパソコンと格闘していた。ソファーの背もたれが寄りかかってほしそうにしているが、彼はそんなこと知らないと言わんばかりに猫背になって眉間に皺を寄せている。転職して2年ほど、大変そうだなぁと思うが、接客業の私に出来ることはない。いつものように声をかけずに横に座り、暇つぶし用に持ってきていた本を読む。

「うーん、休憩。紅茶飲むけど一緒にいれる?」
「じゃあ、お願い」

 彼がリビングから居なくなり、興味本位でパソコンの画面を覗く。何かの画面と、下に波形のような物が複数表示されている。動画の編集なんて機械オンチの私にはできそうにない。だから、パソコンを極力触らない接客業をしているんだけれど。

「こーら、なーにしてるの」
「覗いただけ、機械は全くわからん」
「触ってないならOK」

 私の紅茶は何も言わなくてもミルクティーになっている。細かいことを覚えていてくれる彼の記憶力の良さにはいつも脱帽。彼はストレートしか飲まないのにわざわざ用意してくれてありがたい。グミも持ってきているということは、もう少しこの作業には時間がかかりそうだ。

「誘っておいてごめんね。急に頼まれちゃって」
「気にしないで。私も読みたかった本読めてるし」
「あと1時間あれば完成だから」
「納得するまでやってね」
「ありがとう」

 彼はイヤホンをつけて作業を再開した。液晶を見ると、波形の上にあった画像が動いている。こんな感じなんだ。……私帰っちゃダメかな?

 ──50分ほど経っただろうか。本を読み終えてしまったのでパソコンの画面をただただボーッと見ていると、彼が急にEnterキーをつよく打った。その刹那、画面中央に何か表示がてできた。イヤホンを外す。

「しゅーりょー!」
「お疲れ様」
「報告の電話だけしてくるね」

 YouTuberの動画制作を手伝うという仕事をしている彼は、たまにマスクをした状態で動画に出ており、見る人が見れば分かる芸能人に近い存在である。以前私が観たかった映画を2人で観に行こうとしたら、私がトイレに行っている間にファンに囲まれてしまっていて断念したこともあった。結局、後日仕事終わりに1人で観に行った。

「いつもありがとー。どこも遊びに連れて行けなくてごめんね」
「気にしないで。私もインドア派だし」

 そう言って、読み終わった本を彼の前でフラフラと揺らしてみせる。SF好きの仲では有名らしいタイトル。

「え、SF苦手なのに読んでくれたの!?」
「うん。面白いって言うから気になって。さっき読み終わったよ。」
「嬉しいー! そういう所本当に好きー!」
「急にハグしないで! びっくりするから」

 彼のスマホが鳴る。彼は拗ねた顔しつつ私から離れて電話出る。パソコンを見ながら仕事のような話をし始めるので、私は空になった2つのマグカップを持って台所へと静かに避難する。家に誰か居ると思われると迷惑かもしれないと思ったので洗うのはやめておいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み