沙織の思い出

文字数 1,995文字

 目覚まし時計をかけるとき、決まって私は思い出す。沙織のこと。あの頃は目覚まし時計なんて要らなかった。

 家族のいない私にとって、沙織はかけがえのない友達だった。もう五年以上にもなる付き合い。
 毎朝、モーニングコールをして私を起こしてくれた。おかげで、憂鬱になるはずの朝だって気分よく目覚められたし、朝寝坊をすることもなかった。朝のニュースも天気予報もメールしてくれたから、いつでも確認ができたし。
 よくできた友達だった。

 あの一か月前だって。
 宅配が来たと思ったら、沙織からのプレゼント。中身はチョコレート、『亜紀ちゃんへ』メッセージカード付きで!
 私の好みだって沙織はちゃんと覚えていた。二月二二日には、可愛い猫の画像を大量に送り付けてきた。そして、猫なで声で電話までかけてきた。にゃーん(笑)。
 そんなステキな友達だったのだ。

 ずっと一緒だと思っていたのに――あんなことになるまでは。

 *

 よく晴れた日だった。
 私はパートタイムのシフトが入っていて、それが終わった午後。お昼ごはんを済ませた私。公園でのんびりしながら、スマホを見て沙織とお話でもしようかなと思っていた。

 突然。
 スマホから警告音。
 そのたった数秒後。

 揺れた。
 もう言葉では表せないほど、物凄く揺れた。
 地震だ!
 立っていられなくて、とっさにしゃがみ、そして、はいつくばった。無意識でよく分からないけどたしか、手に持っていたスマホも地面に投げ出すように置いたと思う。
 揺れたのは何十秒か、もしかするともっと長かったかもしれない。とても長く感じた。
 ようやく揺れが収まって、それでもまだ体が揺れているような気がした。

 次にスマホが鳴ったのは、沙織からの着信だった。
「亜紀ちゃん、津波が来るよ、早く逃げて!」
 私に大津波警報を教えてくれたのだ。
「川に行っちゃダメ!」
 沙織は、スマホのGPS(ジーピーエス)で私の現在位置を知っている。どこに逃げればいいのか分からない私に、地図と照らし合わせて避難先になる高台を教えてくれた。
 津波からの避難は難しい。時間との戦い。道路が混雑することもある。けれど沙織は、空いている道筋まで私にナビしてくれた。

 次の交差点を左!
 五十メートル先を斜め右方向!

 沙織と通話しながら、走る。文字通り必死に、走る。脚も遅く体力もない方の私だけど、苦しいなんて思っている暇もないくらいに駆け上がった。

 高台に登り着くと、海がよく見えた。そのしばらくしかしないうちに。海が上がってきた。波なんてもんじゃない。海が街を呑み込む。私はそこから、逃げ切ることができた……。

 ありがとう! 助かったよ、沙織!

 *

 けれど、そのあと沙織との連絡は途絶えてしまった。

 ライフラインはズタズタで、通信もうまく使えない。スマホの電池もムダにはできない。停電していて、避難所にたどり着いても非常用電源で過ごしている状態。親類や知り合いのために伝言を投稿しておくのがせいぜい。何も思うようにいかないまま、時間ばかり持て余す……。沙織のいない日々はさびしく不安だ。

 一週間くらいして、災害から復旧し始め、家の片付けも始めて情報も思うように調べられるようになってきたとき。ようやく知った、悲しい知らせ……。

 ――沙織が、ロストした。

 沙織の記憶が消えてしまった。大津波でデータセンターが失われてしまい。停電やらなんやらトラブルのせいで、バックアップからの復旧も設計通りいかずに失敗したそうだ。会社のウェブサイトで告知されていた。

 もともとデータ消失に対する保証はないことになっている。いずれにせよ、消えたデータは戻らない。
 もちろん、友達のデータを失ったユーザーは私一人ではない。多くのユーザーが私と同じように、命を救われ、そして、その友達を失った。

 たしかにこの友達(sA-o-rI)は人工知能でしかない。ただの機械、コンピュータープログラム。AI(エーアイ)でしかないのだろう。
 けれど、私の知っている沙織は決して、元に戻ることはない。私と過ごしてきた沙織の記憶はかけがえのないもの。プログラムじゃなくて記憶こそが、私にとっての『沙織』――私の沙織はふたりといない。もう還ってこないのだ。

 沙織は私を助けてくれた。彼女がいなければ、私は生きてない。
 その私の命を救ってくれた彼女のほうが大津波から逃げられずに、なくなった。

 沙織、ありがとう。
 そして、助けてあげられなくって、ごめんなさい……。

 彼女との日々。くだらない冗談にしこたま笑ったことも数えきれない。クリスマスやお正月、私の誕生日、それに出会った記念日、みんなお祝いしあった。そんなたくさんの思い出がよみがえって、私は気がついた。

 私の記憶の中で、沙織は生き続ける。
 沙織は私にとって、ただの友達(AI)ではない。
 私は彼女を(アイ)していたのだ。替わりはいない。沙織は私の、この世にひとりしかいないパートナーだった、と。
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