月へ行くニャン

文字数 1,570文字

 僕は忘れ物の多い子供だった。工作で使うセメダインとかセロテープを明日持ってくるように言われる。でも忘れるんだ。家が貧しくて用意できなくて、とかじゃなくて、なんでか先生に言われたことを忘れてしまうんだ。それで僕に付けられたあだ名が「忘れ物王」だった。

 忘れ物ひとつにつき、漢字の書き取りを一ページしなきゃならない。だから僕は休み時間はいつも、漢字の書き取りをやっていた。学校にいる時にやっておかないと忘れるから。 僕はひとりでぼーっとするのが好きで、誰かにしゃべりかけられたり遊びに誘われるのが迷惑だったのでかえっていいやと思っていた。僕に友達はいなくていつもひとりだった。

 僕が書き取りしているのを、隣の席の谷田咲子がいつも見ている。ある日しゃべってきた。

「連絡帳に書かないから忘れるのよ」
「連絡帳に書くのなんかめんどうだし」
「じゃあ私が書いてあげる」

 うざいなあと思いつつ、断るのもめんどうなので、僕は谷田咲子の言う通りにさせてやった。明日持ってくるものを毎日、下校前に先生が発表する。僕はだまって谷田咲子に連絡帳を渡す。谷田咲子が連絡帳に言いつけを書いて、僕に返す。
 そんな世話をしてもらっても、僕はやっぱり持ってくるのを忘れるのだった。忘れるというより、ちゃんと持ってきたら谷田咲子の言いなりになるみたいで癪だった。

 谷田咲子が、またしゃべってきた。
「パラパラ漫画、みせてほしい」

 僕は授業中に教科書の隅っこにパラパラ漫画を描いていた。やっぱり断るのがめんどうで、僕は教科書を谷田咲子に渡した。鉛筆で描いた、猫がスーパーマン(ニャンと呼ぶべきか?)に変身する漫画だった。谷田咲子は楽しそうに何度もパラパラして
「すごい上手、大崎くん漫画家になったらいいのに」
 と褒めた。

 別に上手じゃないよ、と言いかけて口をつぐんだ。
 漫画家になりたいとは実際思っていた。ちょっと嬉しかった。
「タイトルはなんていうの」
 タイトルを決めてなかったが、とっさに「月へ行くニャン」と答えた。

 それから毎日、谷田咲子は漫画の続きを読みたがった。僕もまあ、読者ができてまんざらでもない気持ちだった。だけどそのうち、男子がからってくるようになった。

「ひゅーひゅー、おまえら、つきあってんの?」
「ぼっちの大崎くん、彼女が出来てよかったね」

 僕は谷田咲子としゃべるのをやめた。彼女が頼んでも、連絡帳や教科書を渡さなかった。谷田咲子は悲しそうな顔をして、毎日僕たちは隣り合った席で、ずっとだんまりで過ごした。僕はいたたまれなくなって、先生に席替えをお願いした。新しい席は僕は窓際の一番後ろ、谷田咲子は廊下側の一番前。谷田咲子とはそれから二年後の卒業まで一度もしゃべらなかった。


 大学卒業後、小さな商社に入社した。新入社員たちは楽しそうにライン交換などやり合っているが、僕はそっと輪から離れた。会社は大学までと違ってぼっちでは仕事にならない。もちろん分かっていたが、僕は自分から入っていけないままの大人になっていた。

 課題のこれ、どうやってやった?
 このファイル、パスワードどこに書いてあったっけ?

 みなが普通に助け合いこなしていることが出来ない僕は、早々に「ダメ社員」の烙印を押された。分からないから教えて。僕も混ぜて。そう言いたいのに声が出ない。ここにいていいのかな。僕は会社に行くのが辛くなった。

 ある日大掃除をしていて、小学校の教科書を見つけた。めくってみる。猫のパラパラ漫画。同時に谷田咲子を思い出した。
 僕は「月へ行くニャン」の続きを描き始めた。一枚づつマジックでちゃんと描いて、絵の具できれいに色を塗った。それを動画に撮り、一日一枚のYoutube配信を始めた。

 閲覧数は毎日一桁。ゼロの日もある。それでもいい。
 いつか、あの子が見てくれればそれでいい。










ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み