植物とヒトとの関係

文字数 6,216文字

 くすんだ白い壁に囲われたとある建物の一室。そこには長テーブルが部屋を埋めるようにびっしりと詰め込まれている。集められた50人ほどのヒトがひしめき合うように椅子に座り、手元の資料に目をやったり、端末に文字を打ち込んだりしている。彼ら彼女らはスーツに身を固めたり、作業着姿だったりするが、それぞれの顔は疲れた表情を浮かべていた。閉め切った部屋の中はひといきれで息苦しく、また蒸し暑い。
 前方にあるスクリーンの横に立ち、身振りを交えながら話をしているのは、目鼻立ちのはっきりとした若い女性だ。薄水色のワンピースを着て、明るい栗色の髪は腰のあたりまで流れ、毛先は体の動きに合わせ波打つように揺れている。
「…だったのです。ですから、これまではずっと、動物であるわたしたちの遠い祖先が、なんらかのきっかけで進化、というより変化した結果、このようにわずかながら葉緑体をもって生きる体になったのだと考えられていました」
 振り返ったその女性が広げてみせた手のひらは、全体が淡い黄緑色に染まっている。色の濃淡の差こそあれ、腕や顔も同じようにきれいな黄緑色をしている。
「けれども、この常識は間違っていました。こちらを見てください」
 スクリーンには遺伝情報から推測される生物の進化の過程を示した樹形図が映し出された。左上端には2つの黒丸が上下に並んで描かれ、離れた下の端にもう1つの黒丸が描かれている。3つの黒丸からは右に向かって水平な線が引かれ、それぞれの線はすぐに枝分かれをはじめる。線は枝分かれを繰り返し、しだいに複雑に分岐していくが、そのほとんどは途中で途切れていた。それでもなお枝分かれした線でスクリーンの右端は覆い尽くされ、ほぼ黒く染まっているように見えた。そしてそれぞれの線の横には、誰でも聞いたことのある生物の名前が書かれていた。
「左端は原生に近い生物を表し、右端に書かれているのは現存する生物の種です。わたしたちヒトはこのあたり…えーっと、ここですね。ここにいます。枝分かれの途中で切れているのは絶滅した種を示しています。いま重要なのは、左にある3つの黒丸です」
 女性が立ち位置を変えると、スクリーンの横に『ヒトの出自と植物との関係‐最近の研究で明らかになったこと‐/ハル(連邦植物研究所)』と書いてあるのが見えた。
「あまり時間もありませんので、結論を先に言ってしまうと…」
 ハルはここで言葉を切り、そして続けた。
「実は…。実は、わたしたちヒトの祖先は、植物だったということが、このたびの研究で証明されました」
 ハルは一語一語をゆっくりと、噛みしめるように言った。
 室内はざわめきで満たされた。
 ただでさえ蒸し暑い室内の温度がさらに上がったように感じられた。せわしなくペンを動かすものもいれば、腕組みをするもの、頭をかくもの、さかんにうなづくものもいる。スクリーンを指さしながら、誰ともなく同意を求めるものもいる。
 ざわめきはしばらく収まらなかったが、ハルは頃合いを見計らってふたたび話し始めた。
「こちらを見てください」
 スクリーン右端に羅列された生物種名の文字、そのうちの1つが赤く色を変え、続いてその名前の線を左へ遡る1本の線が赤くなり、左上端の2つの丸のうち1つと繋がる1本の赤い道が示された。
「今、赤くなったところは、わたしたちの進化の歴史を示しています。左端を見てください。上の丸が植物、次の丸がわたしたちの祖先で、離れて下に描かれている丸が動物の祖先です。
 さきほどの話を正確に言うと、わたしたちは植物そのものではなく、植物に限りなく近い生物と言った方が正しいのですが、わたしたちの進化のはじまりとその過程は、明らかに動物とはかけ離れていて、ほぼ植物だと言っても過言ではありません。ここでの動物とは、自分の意思をもって動くもの、虫、魚、鳥、獣など、わたしたち以外の動く生きものすべてのことです。お見せしたこの資料を修正すればよかったのですが、左端の3つの丸、すなわち植物、わたしたち、動物の大本となった原生生物の違いは、現在の生物の形を想像すると誤解を招きやすいので、それぞれ五角形、六角形、八角形程度の違いだと認識してください。
 植物の祖先が五角形、わたしたちの祖先が六角形という違いであることからわかるように、植物とは生物進化のごく早い時期に進化の方向が異なったようなので、わたしたちは植物そのものとも違います。その点にはご注意ください。
 ではなぜ、この違いが生まれたのか。わたしたちの体の作りをみると動物と近いところが多いのに、生物の進化としては、植物に近いのはなぜなのか。その起源について、残念ながら詳しいことはなにもわかっていません。もともとこの惑星にいた原始的な生物が、何らかの偶然でこのように分かれて進化したのかもしれません。または、植物とわたしたちだけがいた惑星に、動物の祖先がどこかの惑星からやってきたのか、それともその逆で、わたしたちの祖先がほかのどこかからこの惑星へたどり着いたのかもしれません。ただ、これらはすべて想像でしかありません。
 いずれにしましても、わたしたちはほとんど植物であるという事実に、間違いはありません」
 室内は静まり返り、誰もが言葉をなくし、ハルの顔を真剣に、あるいは怪訝(けげん)そうな顔で見つめている。
「そしてまた、わたしたちの進化の過程を詳しく見ていくと…」
 ハルは左端の丸から延びる赤い線をたどっていく。その線は途中で何度か枝分かれしているが、ほとんどは途中で途切れ、最終的に1本の線が残るだけだった。
「このように、わたしたちは特異な進化を遂げて生き残っている、唯一の生きものでもあるのです。このような特徴を持っているわたしたちだからこそ、この惑星で生きてこられたとも言えるかもしれません。私からは以上です」

 テーブルの最前列、部屋の出入口に近い席にいた男が振り向き口を開いた。
「いろいろとご意見やご質問があると思いますが、時間の関係であとでまとめて伺います。次の話に入ります。『ヒトの繁殖様式と植物との関係』です。ひき続きハルさん、お願いします」
「はい。それでは、この写真を見てください」
 スクリーンにはさまざまな大きさ、色や形をした植物の(たね)が映し出された。
「いまお見せしているのは、みなさんよくご存知の植物の種です。これらの中にはとても長い時間、過酷な環境に耐えることができるものもあります。条件さえ整えてやれば、数千年前のものが発芽したという事例も決して珍しいことではありません。ここで先ほどわたしがお話したことと繋がってくるのですが、わたしたちも植物と同じように、種を作って繁殖できることがわかりました」
 ふたたび室内はざわめきに満たされるが、あまりの突飛な話に、先ほどのような動揺は感じられない。なかにはうすら笑いを浮かべているものもいた。
「にわかには信じられない話でしょうが、冗談で言っているわけではありません。普通に暮らしているだけなら、こんなことは0に等しい確率で起こることはありません。仮にやろうと思ってもほぼ不可能です。わたしたちは普通に子供を生んで育てるという動物としての生活を送るだけです。
 ただ、身体的、精神的な極限状態に置かれ、特定の組み合わせ、ここでは特定の遺伝情報を持った組み合わせのふたりが出会い、一定の条件がそろうと、この模式図のように、そのふたりはまずひとつになり、そのまま植物のように生長することがわかりました」
 ハルが次に示した画像には、ふたりのヒト、ひとつになったヒト、葉を茂らせた木のイラストが一方向の矢印で結ばれ、それぞれヒトと木のイラストの中心には赤く塗られた丸が描かれている。
「やがてひとつになったヒトは普通の植物のように種を実らせ、その種は新しい芽を出し、植物として殖えていきます。必ずしも目に見える花を咲かせるというわけではないようですが、それは植物でも普通にみられることです。
 詳しく説明します。まず前段階として、身体的な極限状態に置かれた特定のふたりが出会ったあと、一定の条件下で、ふたりのうちのひとり、Aさんに、もうひとりのBさんから核となるものが受け渡されます。この核となるものは、Aさん、Bさんそれぞれが持つ遺伝子のようなものだと考えていただいて結構です。イラストの中では赤丸で示しました。Bさんの赤丸はAさんの体の中に入り赤丸同士が融合します。そして役目を終えたBさんの体は溶けてAさんの栄養となります。想像するだけでもとても残酷な話ではありますが、ある種の昆虫では交尾後にメスがオスを食べて栄養とすることが知られており、それと似たようなことが起こります。Aさんはその栄養を元に生長していきます。先ほどの話でわたしたちは植物とは違うと言いましたが、この段階になると、まるで先祖返りを起こし、あらためて植物の進化をたどるように、ほとんど植物と同じものになってしまいます。わたしたちが見たとしても木が生えているとしか思えないでしょう。さらに生長すると、その1本の木だけで花をつけ果実を実らせ、殻で覆われた種を蒔きます。その種は風などによって運ばれ、子孫を殖やしていきます。
 しかしながら、植物と異なる点が1つあります。それは、核となるものが、ずっとからだの中心にとどまっている、ということです。これが何を示すのかはわかりません。また、Aさんの思考能力や意識が残っているかどうか、これもまだわかりません。
 思い出してください。過去に説明のつかない現象がヒトに起こったことがあるのは皆さんご存知のことと思います。植物とは何なのか、自身をヒトと呼んできたわたしたちは何なのか、認識を根本から改めなければならないでしょう。けれど、今は哲学について話をしているわけではありません」
 ハルは一息ついて続けた。
「これらの研究や実験はかつての連邦政府が秘密裏に進めていました。その研究結果が残っていたため“希望の地”計画の実現性を見据えた今回の発表となったのですが、今は倫理的な問題があるため研究自体行われていません」
 そしてハルは部屋にいる全員に向かって語り始めた。
「こんなことが可能なのかどうか、わたしも疑問にしか思っていませんでした。しかし今回、連邦植物研究所の威信をかけてひとつひとつ精査していきましたが、否定できるものはなにひとつとしてなく、むしろ納得のいくものばかりでした。
 まず、ひとつめの条件。身体的な極限状態とはいったいどんなものなのか。それを発現させる遺伝子が発見されたのは、今からほんの少し前のことです。また、つい先日の論文で、この極限状態を再現する物質も特定されましたが、これらはヒトへの影響が大きすぎるため最高機密に指定され、連邦政府内でも一部のヒトしか知りません。そのためここでは詳細は控えます。
 ふたつめの条件。特定の組み合わせのふたりというものは、遺伝子解析を元にして、とても単純なアルゴリズムで機械的に選び出せることがわかっています。
 しかしながら、3番目の、ある一定の条件下ということの再現性が低く、それが温度や気圧といった環境条件なのかはっきりしたことがいえません。けれどこの条件は、ある程度の時間が経てば、どのような環境でもほぼ問題なく進行するようなので、それほど気にかけなくても大丈夫です。
 クリアしなければならないのは、ひとつ目とふたつ目の条件です。これらを実用に耐えられるものに改良すれば、“希望の地”計画の実現性はぐっと高まります。
 種から発芽した芽は、先祖返りして新しい道を歩み始める、植物に限りなく近い姿をしたわたしたちですが、ほとんど植物と変わりありません。ただ、長い時間と何らかの偶然が起これば、いつか進化して今のわたしたちのように知性と動物の体を持つ可能性はあります。わたしたちもそうして進化してきたのですから。
 最期に余談ですが、このように考えていくと、先ほどお話したわたしたちの起源について、植物と動物だけが存在していたこの惑星に、このような(たね)であったわたしたちが、どこか他の惑星からたどり着いたり持ち込まれたのかもしれない、などと考えてしまいます。以上です」

 出入口にいた男がハルの説明が終わるのを待ってふたたび口を開いた。
「これでハルさんからの発表は以上となります。最初の発表と合わせて、何か質問やご意見があればお願いします。はい、どうぞ」
「ハルさんの発表内容は承知しました。そのうえで改めてヨシアキさんにもお尋ねしたい。われわれが植物に近い生きものだとは信じられない話ですが、本当なのですか?」
 ヨシアキと呼ばれたその出入口にいた男が答える。
「ハルさんから説明のあった通りです。信じられないのは当然で、われわれも当初は疑ってかかっていました。けれども過去の資料や研究結果と照らし合わせると、間違っているところはなにひとつ見当たりません。みなさんにも必ず納得していただけるものと思います。しかしながらそれを検証していただくには多くの時間と労力が必要ですので、このことが事実であるという前提で計画を進めていただきたくお願いいたします。ほかに質問はありますか」
 やせた眼鏡の男が質問をする。
「特定のふたりを選び出すと説明されていましたが、どうやって選び出すのでしょうか。それこそ倫理的な問題があるのではないでしょうか」
 ふたたびヨシアキが答える。
「まずは志願者を募ります。血液を採取し遺伝情報を調べ、その中から最適な組み合わせを選び、旅立ってもらいます。志願者の数はできるだけ多いほうがいいです。もし志願者の数が少なかったり、最適な組み合わせが見つからないときは、ほかの方法を考えて、それでもだめなときはこの計画自体を諦める判断にならざるをえないと思います。また最終的な判断は志願者もしくは保護者に委ねるので、倫理的な問題はある程度クリアできると思っています。ほかに質問はありますか? はいどうぞ」
「極限状態を再現するということですが、どのようにするのですか」
 今度はハルが答える。
「物質名は今はいえませんが、それを体に注射して、すぐにコールドスリープに入ってもらいます。眠っている間はこの物質の効き目は現れず、目覚めて1時間ほどしてから効果が出てきます。今回の計画全体の概要はみなさんすでにご存知だと思いますが、惑星に着いたらふたりには冬眠装置から出てもらいます。そのままなるべく近くにいてもらいさえすれば、その後は何もしなくても物質の効果が現れはじめます」
「次の方どうぞ」
「核となるものが受け渡されるとのことですが、どのような仕組みになっているのですか?」
 続いてハルが答える。
「ここに関してはきちんとした記録が残っていないため、ある程度は想像になってしまうのですが、実際に体の中からそのような物質が出てきてそれが受け渡されるのか、また今考えられているもので有力なのは、体同士が触れ合ったその場所で、お互いの皮膚を介して核となるもののコピーが作られ、それが体の中心へ移動していくというものです。おそらくこのふたつのうちのどちらかだと思います」
「ほかに質問はありますか。何かあればまたあとでお願いします。ハルさん、ありがとうございました。ここで15分ほど休憩を取ります」
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