文字数 1,188文字

…ぬるい。

暗闇の中で、私は何かぬるいものを感じた。
「あっ、すみません、つい、出来心で」
 人の声がする。
「それにしても冷た…えっ、もしかして死んでる?あっ、えっ、どうしよう、あっ、誰か」
 目を開けた。目の前に、若い男がいた。ひどく動揺している。
 私は、体が動かない。口も思うように動かない。
 そや、私、死にかけてるんや。
「ああっ、生きてる。あ、なに、喋れへんの」
 男が自身の手袋を外し、両手で私の頬を挟む。
「頑張れ!おきろ!死ぬな!」
 男が私の顔に、ハアーっと、生ぬるい息を吐きかける。
「くさい」
 おかげで、声が出るようになった。
「くさい。ラーメン食べたやろ」
「えっ」
 男が驚いた顔をした。
「めっちゃにんにくの臭いする」
「よかったー、生きてた」
男はへなへなと、地面に腰をおろした。
「なあ。あんたさっき、私にキスしてたやろ」
「え」
「してたやろ。キス」
「え、いや…」
「死んだ人間にキスすんのが趣味なん?やばいな、犯罪ちゃうん」
「いや!違う違う違う!そんな趣味ない。ただ、綺麗な人やなって、思って、その…。そもそも死んだと思ってなかったし。ていうか実際死んでなかったし」
「ほぼ死にかけやったやん」
「君は自分で、なんちゅうこと言うんや」
「犯罪やで。警察いこ」
「あー…えー…行ってもいいけど、僕は自殺しかけの女の子を助けたってことで、表彰されるんちゃうかな」
「そんなん、自分で言うことちゃうやろ」
「でも君、自殺しかけてたやん」
「そやで」
「そっちの方が、おっきな罪や」
「なに?説教?死んだ人間に勝手にキスした奴に、言われたないわ」
「だから死んでないやん。まあでも…正直に言うと、さっきは、死んでるかもしれんと思ってた」
「ほら」
「けど、生き返らへんかなって。白雪姫みたいなこと起こらへんかなって。いや、起きろって。生き返れ!と思って」
「おいおいおい、王子様気取りかよ、気色わる」
「でも、生き返ったやん」
「はあ?関係ないし。あんたが来んでも私は…」
生き返ってない。
「やから、な。キスしたこと、許してくれんかな」
「いや、そもそも私、死にたかったんやけど。邪魔されたんですけど」
「ラーメン奢るから」
「なに?」
「ラーメン。スノボのあとのラーメン、めちゃくちゃ美味いから。なっ。それで許して」
「そんなん食べたら、私までニンニク臭くなるやん」
「ええやん。そしたら、君も僕のニンニクの臭い気にならんくなるやん。そしたらもう一回、キスし直していい?」
「アホなん?そんなことしたら次こそほんまに警察行くから」

 そんなことを言いながら、何故か私はこの男と一緒に、林道を下っていた。
この気色悪いアホと話すのは時間の無駄だと思うけど、もう少しだけ時間の無駄をしてから死ぬことにしよう。そんなことを考えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み