11.【 花より団子より・・・ 】

文字数 6,974文字


京都の秋は美しい。
残暑は9月に入っても厳しいが、10月になると朝夕がかなり涼しくなり、過ごしやすくなってくる。
紅葉にはまだ少し早いが店先には秋を先取りした商品が並ベられていた。
有名なお餅屋さんの『ふたば』では栗の入った豆餅。
また、生菓子のお店では栗金団などが売られている。
洋菓子店ではいろんなモンブランだ。
栗のみならず、紫芋やサツマイモのモンブランなども美味しい。
パンでも秋限定のマロンパイや、きのこをソテーしたものが入ったパンなど美味しいものに事欠かない。
また、風流なお月見に至っては2度行うのが京都人だ。
中秋の名月と後の名月。
旧暦8月15日の「中秋の名月」を眺める風習(十五夜)は中国から伝わったもの。
つまり、中国で月が美しい時期の風習なんだそう。
日本では台風に重なることも多いので、日本では秋晴れの多い旧暦の9月に2回目のお月見を設定したのだとか。
今でも京都では、中秋の名月だけを愛でることは片月見と言われ敬遠される。
いや、美しいものは月でなくとも愛されるのだ。

この洛北料金所では、付近にお住いの方々も通勤手段として利用されることが多い。
そう、通勤時は結構若い人もここを利用される。
その中でも綺麗なおねーさんが自分の立直の時にレーンに来てくれると、ラッキーな一日となる。
通行券をもらい、料金をお伝えしてお金を受け取り、お釣りを返す。
たった30秒にも満たない時間の中でのやり取りだが、美人に間近で接客できるのはポイントが大きい。
さらにお釣りを返した時に「ありがとう。」と声をかけてもらいニッコリと微笑んでくれると、その日一日は幸せな気分で仕事ができる。
『男ってバカよね』とヒトミさんは冷静に切って捨てるが、バカでもアホでも単純でも幸せになれるのだからそれでいいのだ。
一方、通勤時間帯が終わると年配の方の利用が多くなる。
高級住宅街が近いこともあり、結構オシャレな年配の方が見受けられた。
そう、そしてこの時も。
年配の女性が運転するベンツがレーンに入ってきた。
「こんにちは~。ご利用ありがとうございます。」
僕は笑顔でお声掛けをする。
その女性は最初驚いたように僕の顔をしばらく見ていた。
しばらくしても一向に身動きしないので声をかける。
「あの、通行券をお持ちでいらっしゃいますか?」
その言葉にハッと我に返り、女性は助手席に置いてあった通行券を差し出してくれた。
「料金は610円です。」
「あら、ありがとう。」
女性は財布を取り出しながら、少し頬を赤らめて話してくれた。
「いえね、料金所の人ってほとんど年配のお爺さんでしょ?」
「はぁ、まぁ、多いですよね。」
「貴方みたいに若い人って珍しいじゃない?」
「ありがとうございます。」
「はい、1000円。」
「ありがとうございます。1000円お預かりしましたので390円のお釣りです。」
僕がお釣りを手渡そうとすると、その女性はギュッと両手で僕の手を握り締めた。
「若いって、いいわね~。」
「あ、あのっ、お客様?」
振り払うわけにもいかず握りしめられているだけなのだが、何だかヤバそうな雰囲気だ。
「本当に、パワーが溢れてるわ~。」
そう言われると僕の手からエネルギーを吸い取られてしまっている様な気になってくる。
ちょっと手を引っ込めようとしてみたが、がっしりと握られて逃してくれそうにない。
「お客様っ、こ、困ります。」
職場でセクハラされている女性の気持ちがよくわかる気がする。
「いえね、困らせるつもりはないのよ。ただ、素敵な手ねぇ~。」
「あ、あのっ、あぁっ!」
「惚れ惚れしちゃうわ~。」
「お、お釣りを、お釣りを・・・。」
ただ、ひたすらに撫で回されているだけなのだが、変な気持ちになってくる。
「お、お客、さまっ。」
それから程なくして解放された僕はぐったりと疲れてしまっていた。
「ありがとう!」
ニッコリと微笑んでその年配の女性は去って行った。
はー、はーっと荒い息を繰り返し、何とか落ち着こうとする。
僕の寿命が数年ほど縮んだのではないだろうか。
明らかに運転手の女性は若返っているように思えた。

「ちょっと、早くしてよ。」
その声にハッと我に返ると、次の運転手の女性が待っていた。
「す、すみません!」
慌ててお客様に向き直ると、そこにはサングラスをかけて煙草を吹かすおばさんがいた。
「はい、一万円ね。」
「かしこまりました。」
通行券と紙幣を受け取った後、機械に向き直って通行券を差し込む。
「料金は1340円です。」
と声に出してから受け取った紙幣を見ると5000円だった。
「お客様、5000円からでよろしいでしょうか?」
「何ゆうてんのよ。私は1万円ってゆうたやないの。あんたもそれを受け取ったやん。」
「ですが、私が受け取ったのは5000円だったのですが。」
「何?あたしが嘘ゆうたとでもゆうんかいな?」
「いえ、ですが、勘違いされたのではないかと・・・。」
「何やの!受け取っといて勘違いて、どうゆうことやねん!」
あ、これはヤバい。
ひょっとするとクレーマーというやつかもしれない。
「すみませんが、上司を呼びますので少しお待ちいただけませんでしょうか?」
「ちょっと!時間ないねん!はよお釣り返してぇさ!」
「大変申し訳ございません!」
そう言うと僕は即座に無線に飛びついた。
「所長!すみませんがお預かりした金額が違っているようで、対応をお願いできませんでしょうか。」
『すぐ行くわ。』
所長の返事の後、すぐにお客様に向き直った。
「今すぐに上司が参りますので、もうしばらくお待ちください。」
「ちょっと!はよせぇゆうてんねん!遅刻するやろ!責任取ってくれんのか!」
あまりのおばさんの剣幕に僕はタジタジとなる。
「申し訳ございません!」
「もうええから、お釣りを返せ!」
「申し訳ございません!」
「遅刻の責任どうすんねん!」
「申し訳ございません!」
「お前はアホか!それしか言われんのか!」
「申し訳ございません!」
「5000円でええから、はよせぇ!」
「申し訳ございません!」
謝り続けながらも、僕は『この前に殴られた時よりもややこしい感じだな』と冷静に思ってしまった。
そうこうしているうちに所長が下りてきて、ブースに入ってくる。
「お客さん、お話伺いますんで、ちょっと車をそこに止めてもらえますか?」
そう所長は言うと、車を遮っているバーを操作して開けた。
「ちょっと、遅刻するゆうてんねんけど!」
「すぐ済みまっさかい。すんません。」
「何分やねん!」
「いや、ホンマにすぐですわ。」
こうして揉めている間にも時間は過ぎてゆく。
それからしばらく粘っていたおばさんもそれに気づいたのか、ようやく車を移動させてくれた。
所長は路側に止めた車に向かおうとブースを出る。
そこで無線に一言ぼそりと呟いた。
「タカちゃん、ビデオ見といて。」
『もう見てま~す。』
「どや?」
『最初から5000円しか出してませんわ。』
「わかった。」

それからほんの少しの間、所長は運転手のおばさんと話をしているようだったが、すぐにブースに戻ってきた。
「5000円で処理してくれ。」
「了解です。料金は1340円なので、お釣りは3660円です。」
「おう。」
そして所長がお客様にお釣りを渡すと、その車はそそくさとその場を後にした。
所長はブースに戻ってくると、僕に注意をした。
「ええか、高額の紙幣を預かる時は、受け取る時にお客様に見せながら確認しなあかん。」
「はい。すみませんでした。」
「まぁ、次回から気を付けてくれ。」
「はい。」
失敗してしまった・・・。
がっくりと肩を落とすと、所長は苦笑しながら僕の肩を叩いた。
「今回のことは気にするな。」
「いや、でも・・・。」
「あのおばはんは常習犯や。新人には毎回同じことをやっとる。」
「えっ!そうなんですか!」
「まぁ、剣幕で言われてビックリするさかいに、言われるがまま払ろてまう新人が多いんや。その点、野田ちゃんはちゃんと上司を呼んどるさかい、対応としては上出来や。気にすんな。」
「はぁ。」
だから、所長を呼んだ時点で早くその場を去りたがっていたのか。
「ええ勉強したな。」
所長は苦笑しながら、足を引きずって階段を昇って行った。
いやいや、何とも人間不信になりそうな出来事だ。
でも、おじいさんに殴られた一件が無かったら、僕も慌ててしまっていたかもしれない。
できることならこんな勉強はしたくないな~。
まぁでも、何となく少しずつ成長しているんだな~。
そう思いながら、僕はかなりぐったりと疲労感を感じていた。
はぁ~。

ブースでの立直勤務を終えて事務所に戻ってくると、何やら休憩室の方から賑やかな声が聞こえてくる。
何だろうと足を運ぶと、そこには舞妓さんらしき女性が座って所長と話をしていた。
横にはいつもの豆千代さんが笑顔で寛いでいる。
「こんにちは!お久しぶりです。」
挨拶をすると豆千代さんはおいでおいで、と僕を呼んだ。
白粉を塗り、着物を着た舞妓さんらしき人の横に座る。
「芸妓の絹江ちゃん。」
豆千代さんは僕の横に座る女性を紹介してくれた。
「お兄さん初めましてどす。豆千代さんねぇさんがいつもお世話になってます。」
おぉ!本物の芸妓さんだ。
流れるような涼やかな目元、控えめに薄いピンクの口紅、そして日本髪には鼈甲の櫛、紅葉が連なった簪が美しい。
まさに日本画から抜け出してきたかのような女性に僕はしばらくの間見とれていた。
「お兄さん?」
その柔らかな物腰、でも余裕さえ伺わせる声は別世界から聞こえてくるようだ。
「あ、はい!野田と申します!いつも豆千代さんにはいろいろと差し入れていただいており、感謝しています!」
慌てて返事をするが、声が裏返ってしまうのはどうしようもない。
こんな綺麗な人と会話を交わすなんて、生まれて初めてのことだった。
しかも芸妓さんだなんて。
そんな僕を見て所長と豆千代さんは楽しそうにくっくっと笑っている。
いやいやいや、免疫ないんだから仕方ないでしょ。
「まぁ、えぇ機会やし楽しんどきや。」
所長は経験があるのか余裕をもって僕に声をかける。
僕はドキドキと治まらぬ動悸のまま、はぁ、と曖昧な返事を返すことしかできなかった。
絹江さんによると毎月一度、豆千代さんの様子を見に行っていたらしい。
認知症の疑いがあったためだ。
だが、しばらく前から豆千代さんが次第にしっかりとしてきたことに気づいたらしい。
そこで話を聞いてみると、この料金所に来て話をするという生き甲斐を見つけたからだと判明した。
せっかくなのでお礼も兼ねてご挨拶にと今日、ここに来てくださったそうだ。
もう、今朝の通勤時に見た綺麗なおねーさんどころの話ではない。
芸妓さんが僕の横に座って、京言葉で話をしてくれている。
「お兄さん、みたらし団子はお好きどすか?」
「えぇ、甘いものは何でも大好きです。」
「ほな、これどうぞ。召し上がっておくれやす。」
そう言って差し出してくれたのは下鴨にある『みたらし本舗』のみたらし団子だった。
そう、みたらし発祥の地と言われる下鴨神社の向かいにあり、その小さな店舗で毎日手作りされている団子は小ぶりで食べやすく、またそのタレは程よい上品な甘さで香ばしく焙った団子によく合う。
ここに来る直前に買ってくれたのだろう、まだほんのりと温かい。
「遠慮なくいただきます。」
そう言って、僕は一本頂いた。
最初の一つを口に入れるとふわっと香ばしい香りが口いっぱいに広がる。
団子を串から外す時にもっちりと絡みつくようなその柔らかさ。
噛んでゆくと次第に団子にタレが混ざり合い、飲み込むまでの間、幸せな気持ちにさせてくれる。
あぁ、やっぱりここの団子は美味しい。
そんな僕を見て絹江さんは楽しそうに笑っていた。
「あ、タレが顔についてますか?」
「いぇ、あんまり幸せそうに食べはるもんやさかい。」
「あ~、美味しいと幸せすぎて顔に締まりがなくなるんですよ。」
「ほんま、可愛らしいお人。」
えっ!可愛らしい!
この年でそんなことを言われたのは初めてだ。
しかも、芸妓さんになんて!
あまりにに嬉しくて、恥ずかしくて、顔が真っ赤になってしまうのがわかる。
「もう一本、どうどす?」
「あ、いえ、あの、他の人にも残しますので・・・。」
僕が遠慮をしていると、豆千代さんが側に置いていた袋を指さした。
「まだいっぱい買うてあるさかい、気にせんともろときよし。」
こうまで言われれば断ることもできない。
「じゃ、いただきます。」
そう言って団子を食べる僕を見て、また絹江さんは笑った。

「ほな、さいなら。」
それからしばらくして豆千代さんたちは帰って行った。
僕は記念に絹江さんとのツーショット写真をスマホで撮影させてもらった。
これは一生の宝物だ。
また会えるといいなと思いながら、所長と一緒に帰ってゆく二人を見送った。
「どや、惚れたか。」
所長はボソっと横にいる僕に呟く。
「なっ!ちょ、いやいや、格が違いすぎますって。」
「お、ということはお前はOKってことやな。」
「いや、だから、そんなの無理に決まってんじゃないですか!」
「ゆうてみんと分からんぞ?」
「もう、いい加減にしてくださいよ。」
また所長にからかわれた。
そう、相手は芸妓さんだ。
遊び慣れていて、お客さんを楽しませる術を心得ている。
僕なんて眼中にすらないだろう。
でも。
あ~、すごく綺麗な人だったな。
後ろ髪惹かれる思いで僕は事務所へと戻った。

事務所に戻り、モニターを見ると藤本さんがブースに立っていた。
何やらしきりにお客さんと会話をしている。
「そやからですな二つ目の交差点を右に曲がって100メートルほど行くとコンビニがあってその先の信号を左に曲がってから・・・。」
いやいやいや、そんなに早口に切れ目なく説明しても、絶対にお客さんはわからないと思う。
しかも相手はかなり年配のおじいさんだ。
まぁ、お互いおじいさん同士なのだが、藤本さんはチャキチャキとした早口。
一方、運転手のおじいさんは、のんびりとしていて少し耳が遠いのか何度も繰り返し聞いているようだった。
「そやからですな、高速を降りてからまっすぐ行って、二つ目の信号を右、わかりますか?」
今度は藤本さんもゆっくりと句読点で区切って話している。
やればできるじゃないですか。
僕達にも普段からそんな風に話してほしいんですけど。
「え~、真っ直ぐの次は左?」
「そやからですな、真っ直ぐの次は右です!」
「え~、そしてらどこへ行くんかいの?」
「市役所へ行かれるんでしょ?」
「お~、そうそう、市役所や。あんたよう知っとるの。」
「市役所への行き方を教えてほしいてゆうてはったやないですか。」
「はあ?」
「市役所への行き方を聞いておられたでしょ?!」
「そうそう。んで、真っ直ぐ行って右の次はどうするんかいの?」
「そやからですな、コンビニがあってその先の信号を左・・・。いや、右やったかな?」
「真っすぐを左で、コンビニを右?」
「そやからですな、・・・・あれ?・・・・あ~!真っ直ぐ行って二つ目の信号を右。」
「さっきあんた、真っすぐを左てゆわはったやないの。」
「いやいや真っ直ぐ行って信号二つ目を右てゆうてますやないの。」
「コンビニの先を左やな?」
「え・・・?コンビニの先はどっちやったかいな。」
藤本さんが頭をかしげる。
もう、まるで出来の悪いコントを見ているようだ。
実はブースの机の引き出しには周辺地図がコピーしてある。
さっさと周辺地図を見せて書き込みながら説明すればいいのに、藤本さんはすっかりと忘れてしまっているようだった。
『藤本さん、机の引き出しに周辺地図が入ってますよ。』
僕は無線で助け舟を出す。
しかしお客さんとの会話に熱中しているのか、藤本さんから返事はなかった。
「そやからですな!真っ直ぐ行って、二つ目の信号!右!」
「真っすぐで右ね。ほいで?」
「コンビニの一つ先を左!」
「コンビーフ、美味しいねぇ。」
「コンビニですがな!」
「あ~、コンビニね!」
そんなやり取りをしていると後ろに車が詰まってきていた。
すでに4台も並んでいる。
これはヤバい!
『藤本さん、後ろ並んでます!いったんお客さんを出してください。こっちで案内しますから!』
そう僕が無線を入れた途端、後ろの車がクラクションを鳴らした。
「はよせぇやコラ!」
サングラスにシルバーネックレスをしたチンピラ風の運転手が怒鳴っている。
更に後ろの車からもクラクションが聞こえだし、ブースは滅茶苦茶やかましい状況になってしまった。
当然、僕の無線も聞こえない。
仕方なく僕は事務所から駆け下りてブースに飛び込んだ。
「藤本さん、後ろ詰まってますからとにかくおじいさんを出してください!
外で案内しますから!」
「うるさいわいボケ!」
藤本さんは僕に怒鳴ると慌てて謝った。
「す、すまんな。客に怒鳴ったつもりやったんや。」
「いやいやいや、お客さんには怒鳴らないでくださいよ。」
「お、おう。」
ようやく藤本さんがそのおじいさんの車を外へと誘導したので、僕は案内に向かった。
そこから30分、地図を渡して説明してようやくおじいさんは去って行った。
にこやかに笑って『ありがとう!』とおっしゃってくださったが、僕は事務所に戻るなり精魂尽き果てて椅子に腰を下ろした。
芸妓の絹江さんにいただいた元気も、あっという間に底をつき。
でも、綺麗だったな~。
また、会えるといいなぁ。
花より団子より、芸妓さん。
男って単純ですよね。
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