第10話 五郎、必死になる

エピソード文字数 1,535文字

 でっぷり太った大黒さん。それが権三に対するだれもが抱く第一印象である。しかし権三の性格はヘビよりも執念深く、毒蜂よりも攻撃的であった。
 権三にも、ひそかなたのしみがあった。権三は、ゴキブリを飼っていて、午後三時頃になると、つかまえてきた数匹のうち一匹の足を引き抜き、ゴキブリがヒクヒク動いているのを見ながら、葡萄酒を喉に垂らすのである。
 ゴキブリが断末魔の声を上げないのは、残念でならなかった。しかし動物でこれをやったら、仲間からバカにされそうな気がして、やめていた。
 権三は、一度として妾や愛人を持ったことがなかった。男色の毛があったのである。五郎は、自分が誘われないように注意しながら、権三とつきあっていた。権三は、情欲に満ちた斜視の目で、舐めるように五郎を見ていたことがある。
 五郎は、おぞけをふるってしまったが、それでもつるんでいるのは、権三がいいカネづるだったから。軽い仕事を片付けても、(きん)で払ってくれる。なかなか、そういう仲間はいない。
 権三は、五郎の報告を待っている。ゴキブリでいまは、我慢しなければならないが……。
 権三は、胸の内で自分を説得した。
 いずれ野犬やネズミ、猫、最終的には人間で実験できるぐらいには、出世してやるぜ。
 権三がこんな趣味に走っているのは、高圧的な父親の影響があったかもしれない。ちょっと気に入らないことがあると、すぐ雷を落とす父親が、下駄を盗んだ犬を追いかけて麺棒でなぐりつけ、野犬を殺してしまったのだ。
 幼い権三にとっては、忘れられない思い出であった。生きものは、簡単に死ぬ。自分の田の中で死ぬ。だがオレは違う。必ず、生き残ってやる。血にまみれても、人を押しのけても生き延びてやる。
 ゴキブリに拷問をするたびに、快感を感じてしまう。自分が生きている、と実感するのだ。生きている感触を確認するために、ゴキブリをいたぶる。ピクピク動く虫の足や触覚。ああ、また痛めつけたい。ゴキブリなんかより、ずっと人間のほうが面白いだろうに、世の中というのは思うようにはいかないものだ。

「あと少しだ。あと少しで完成する。あの周りは、長屋も全て処分した。高利貸しからも催促されておる。必ず、この計画を成功させねばならぬ。先進諸国に、追いつき、追い越さねばならんのだ」
 権三は、黒い声でつぶやいた。 
 チントンシャン、と琴三味線の音が聞こえてくる。直後、ギシッ! 床がきしんだ。もちろん、立て付けが悪いわけではない。権三の体重が重すぎるのである。権三自身は、自分は恰幅がいいのであって、デブではないと思っている。貧乏人の生き血を吸った吸血相撲取り、とは、八っつあんの悪口だが、そんな評判も柳に風であった。
 きゃあ、と悲鳴が上がった。ドタドタと足音がする。足音が近づいてくる。
「どうした。なにものだ!」
 権三が誰何した直後、ふすまがすうっと開いて、五郎と菅原が現れた。
「なんだ、五郎か」

 権三は、犬のクソでも食ったような顔になった。
「そいつはだれだ?」
 手足を無意味に動かしている五郎の背後で、きちんとした身なりの易者が、びっちりと背を伸ばしている。
「菅原といいます。易者にして、陰陽師です」

「ふん。また妙な人間を連れてきおる」
「権三さん! 今日中に、ぜったい追い出して見せます! オレだって剣の道場に通ってたんだ、役に立ちますぜ!」
 控えの侍たちにつまみ出されながら、五郎は、振り絞るように叫んだ。菅原も、ひょこひょこついていく。

「ぜったいです! 信じてください!」
 二人を追い出したあと、権三はため息をついた。
「酒がまずくなった。芸者を呼べ」
 権三は、むっつりとつぶやいた。
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