第1話
文字数 2,492文字
私の旅は、一冊の本を開いた時から始まりました。
そこには、日本を平定した鹿島神宮と香取神宮の神様でさえ征服できなかった、星の神様がいらっしゃるという内容のものでした。
神様の名前は甕星香々背男大神様≪みかぼしかがせおのおおかみさま≫です。大甕神社≪おおみかじんじゃ≫に御鎮座されているとのことです。
早速、私の旅のプラン作りが始まります。
私にとっての旅行の醍醐味は、旅のしおり作りにあります。たとえ日帰り旅行であったとしても、数日かけて、何パターンかのプランを立案するのです。
さぁ、いよいよ時空を超えた旅に出発します。
私が鹿島神宮を訪れたのは、苗の田植えを終えた広大な水田に、緑が光り輝く五月晴れの日でした。そして、私は電車を乗り継ぎ、縄文文化の名残りを色濃く感じさせる大甕神社へと足を延ばしたのです。
鹿島神宮と大甕神社の成り立ちに心躍らせた私の小旅行に少々、お付き合いくださいませ。
鹿島神宮は、パワースポットとしても人気のある神社です。境内は広く心地好い空気が静かに流れています。神社としては珍しく、御守がクレジットカードや電子マネーで受け取れるのです。そこで見つけた物忌護符≪ものいみごふ≫というものに私の心は引き付けられました。
百数十年前まで、鹿島神宮には物忌様≪ものいみさま≫と呼ばれた女性神官がおられました。
物忌とは、心身の穢れを除き去ることとされています。鹿島神宮の物忌様は、鹿島神宮で重要な神事を行っていました。物忌様になられた女性は結婚しないで、家族にも会えずに物忌の館≪たち≫で一生を過ごしたことから、神様の御妃様と感じられている人もいるそうです。
神話の時代から明治四年までに二十七人の物忌様が存在しました。なんと初代の物忌様は神功皇后の娘にあたる普雷女≪あまくらめ≫とされています。このことからも古代、鹿島神宮と大和朝廷が近い関係だったかが分かります。
ところで、鹿島神宮の御霊≪みたま≫を入れて、室町時代に頒布していた護符が復活したのを皆様は御存じでしょうか。これが、先ほど私が見かけた物忌護符です。
この不思議な絵柄が描かれた鹿島神宮の護符とは元々、人々の幸せを願った物忌様の想いを籠めたものなのかも知れません。
古代、強大な力を持っていた茨城地方には、鹿島神宮以外にも多くの神社が点在しています。そのうちの一つ大甕神社を御紹介したいと思います。
鹿島の広大な水田が広がる景色を眺めながら『きっと古代の豪族は力を持っていたのだろうなぁ』なんて考えながら電車に揺られて大甕の地を目指します。
大甕神社は鹿島神宮のようには目立ちませんが、地元の方々に愛されている場所なんだという事が伝わってきます。本殿の前に立つと不思議に心が穏やかになるのを感じました。
この地には、いったい何があったのでしょうか。
むかし昔、この島が一つの国として、まとまる以前のことです。
太陽の神様こと天照大御神様の御子孫が国を治める為、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神様と香取神宮の御祭神である経津主大神様が、この日本列島の神々を束ねることに成功しました。
ただ一柱、夜の世界を司る星の神様こと、甕星香々背男大神様を除いては。
最強の武神と誉れ高い武甕槌大神様と経津主大神様をもってしても、甕星香々背男大神様を従わせることはできなかったのです。
しかし、鹿島神宮の摂社である高房社に祀られている武葉槌命様≪たけはつちのみことさま≫という織物の神様だけには、甕星香々背男大神様も従順になり、おとなしく身を引いたのです。
今でも鹿島神宮では、本殿より先に参拝する風習があるほど高房社は重要な御社なのです。
一説では、織姫と彦星のモデルではないかといわれる武葉槌命様と甕星香々背男大神様は今、常陸(日立)の国の大甕神社で御鎮まりになられています。
大甕神社は大甕倭文神宮≪おおみかしずじんぐう≫とも呼ばれています。御祭神は武葉槌命様と甕星香々背男大神様です。
武葉槌命様は、健葉槌命、天羽槌雄神≪あめのはづちのおのかみ≫、倭文神≪しずのかみ、しとりのかみ≫とも呼ばれています。
甕星香々背男大神様は、天津甕星、天香香背男、星神香香背男≪ほしのかがせお≫とも呼ばれています。
鹿島神宮には、高房社のほかにも跡宮という摂社があります。この跡宮の御祭神は武甕槌大神荒魂です。古くは大曲津姫ではないかともいわれていたそうです。一説によると大曲津日命と瀬織津姫が同一化しているとの話もあります。
ちなみに石川県に鎮座する瀬織津姫神社の御祭神は大禍津日神様なのです。
こうなると武甕槌大神様の正体さえも謎に満ちています。
神話と史実が全てつながるものではありませんが、謎は謎を深め想像は膨らみます。
神話と史実を結びつける必要はないという意見もございますが、悠久の時を超えて想像力を働かせると無限のロマンが広がります。
鹿島神宮と瀬織津姫の関係とは何か。
鹿島神宮の護符とは何なのか。
何故、鹿島神宮には明治四年まで物忌様が存在したのか。
武葉槌命様、武甕槌大神様は実は、女性神なのか男性神なのか。
鹿島神宮と大甕神社の本当の関係は、どうなのか。
大甕神社の神話とは実は、鉄の農機具で水田開発を推し進めた大和朝廷と縄文文化の融合を表しているのではないか。
日立という地名は、夜の世界から昼の世界への変化を象徴するものではないか。
何故、甕星香々背男大神様は 武葉槌命様に従い、その身の魂を宿魂石に籠めて、身を引いたのでしょうか。
武葉槌命様と甕星香々背男大神様の本当の関係はどうだったのか。
帰路に着いた私は電車の中で、武葉槌命様と甕星香々背男大神様をモチーフにした物語りを想像します。
謎多き、大甕神社に想いを馳せながら、これから展開するファンタジーのストーリーをお楽しみください。
もしも、こんな物語りがあったとしたなら、、、。
その時、星の瞬く夜の世界から、朝日が照り輝く昼の世界へと時代は変貌していったのではないでしょうか。
ここから先は、私が旅の後に綴った創作物語りです。