第1話

文字数 3,035文字

01 魔法使いの


 今回は上手く行った。採集は手際よく交渉も滞りなく、おまけに本まで手に入った。南方の本なら質も高いだろう。早く読みたい、早く帰りたい。
 気持ちを抑えきれず徹夜で作業を進めていた。
 深夜、人里離れた暗い森。木々の間には大量の荷物が積まれていた。
 ババアからは持てるだけ持って来いと言われたけど、倉庫の空き容量を考えると三百箱程度に抑えた方がいいだろう。
 切られた木が傾き、葉の擦れるが響く。宙に浮いた木は瞬く間にスライスされ箱が組み上がった。大きさはおよそ一立方メートル。
 荷物は種類別に梱包し、正面に中身の記載をする。
 森の木を百本近く切り倒し、詰み上がった木箱が朝焼けの光に晒される。
 夜明けか。できればババアが起きだす前に帰りたかった。起床時間が遅いことを願うしかない。
 箒を呼び寄せる。出発前に作った二十メートルの箒。手早く荷台を作って木箱を載せ、蔓で作った縄をかける。
 箒を浮かべると木箱がギシリと音を立てた。少しだけ揺らして荷物が崩れないか確認する。問題なし。
 余った荷物は粉々にしてばら撒いた。森の一角が荒れてしまったが、この程度ならすぐ元に戻るだろう。
 数日に渡る材料調達。ここまで来て失敗したくない。本に浮かれて徹夜をしているのだ。いつも以上に気を引き締める。
 呪文を唱え、姿を消して森から飛び出す。朝日が眩しくて帽子を首まで引き下ろした。視界は帽子の眼で確保する。
 さあもう一息だ。小脇の本を軽く叩いて帰路を急いだ。
 森は静寂を取り戻した。陽の光が射し込み新鮮な空気が流れ込む。森は再生を始める。一年もあれば元通りになるだろう。

 深い森には魔法使いが住んでいる。この言葉自体は迷信だ。魔法使いは場所に囚われない。森とは単に人の立ち入れない領域である。夜や海と同じ未知の世界。魔法使いとは、外の世界からやって来る恐怖であった。

 広葉樹の森。人類圏の北方に位置する諸島の一つ。朝日は昇ったばかりだった。上空から見た森は青々と広がっており、その中に建造物など人の痕跡は見当たらない。その一画に突如として木箱の列が現れた。何百という木箱が正確に並び、積み上げられている。
 木箱の下には箒があり、その先端には小さな黒い塊が乗っている。絵本と同じ、とんがり帽子の魔法使い。全身黒に包まれながらも、帽子に埋め込まれた複数の宝玉がきらめいている。それが目のように見えて不気味さに拍車をかけていた。

 隠蔽は早めに解除する。家の周辺で余計な魔法は使わない。昔、猪を追って魔法を連打していたら大変な目にあった。
 少し進んだ先、鬱蒼とした葉の影に隠れ、豪華な三階建ての家が建っていた。すぐ近くに四角と三角を重ねた簡素な建物が並んでいる。それは倉庫と別邸だった。

 空中で停止し、首まで下ろしていた帽子を上げた。
 冷たい眼をした少女。流れ出た髪は黒く、長さは腰まである。全身を覆うコートの内側には魔法陣が刺繍されていた。

 箒を握り直し、全体のバランスを確認する。荷物が多くてこのままでは着地できない。空中で積み荷をバラそうと集中する。
 もうすぐ本を読める。その一念で気力を振り絞り、箱全てに魔力を向けた。

 そこまでだった。

 家の扉が開き、白髪の女性が出て来た。力強く颯爽と歩く。髪は非常に長く六束に分かれ、妙なうねりを見せている。それは魔力で制御され、手と同じ操作を可能にしていた。服装は動きやすさを優先して飾り気は一切ない。顔を見れば、かなり歳を取っている事に驚く。体の動かし方に勢いがあるため、遠くから見れば若人と思うだろう。
 老婆は家から数十歩進むと立ち止まり、帰ってきた少女を睨むように見上げた。
 まずい、何があった? ババアが私を出迎えるなど過去に例がない。
 先程までの気分は消え失せていた。余計な感情が排除され、命令に従う事だけが唯一の意志となる。この心の動きは制御できない。私はババアの道具だから。
 ババアの目線が僅かに動くと、その瞬間に荷物の重さが消えた。箒の制御まで奪われ空中に投げ出される。しかし優雅にゆっくりと着地してみせた。
 帽子を取り頭を垂れる。ババアの言葉を待つ嫌な時間が流れた。何か失敗してしまったのか。
 今回のお使いに大した物は入っていないはずだ。そもそも帰りは二日後の予定だった。ババアは計画通りに物事を進める。二日後に来る荷物を待ったりしない。
 荷物は種類別に規則正しく倉庫前に降ろされた。
 ババアは荷物から目を離し、片手を家の中に向け短く呪文を唱えた。すると家から棒切れが飛び出して来た。
 私に向かって飛んで来たので、とりあえず受け取る。何のために寄越したのか、受け取って良かったのかも分からない。ババアから目は逸らさず、視界の端で棒切れを観察する。両端に埃が付いている。私の背より短い。魔法加工もされていない。薄汚れているが、良く磨かれた跡が……これは。
 木目や曲がり具合を見て思い出した。昔私が使っていた、私が初めて作った箒だ。

 ババアは宙に数字を書いて反転させた。「この場所に行け」そう言いながら倉庫に向かって歩き出した。この書き方は座標か。
 ババアは一度もこちらを振り返ることなく倉庫に入っていった。

 取り残されて、目を閉じた。きつく目を閉じて震える身体を抑え込む。

 ババアの目、態度、あれはもう私に全く興味がなかった。

 頭の中が真っ白になる。それでも不様な姿は見せたくない。背筋を伸ばして、なんでもない顔をする。
 遂にこの日が来てしまった。分かっていた。もはや必要とされていないと。行く先は廃棄か、処分か。
 家の前で立ち尽くす。いやそんな事してる場合ではない。命令は下されている、行かなければ。
 体はすんなり動いた。手足は震えているけど、命令ならば心情とは関係なく体は動く。落ち着け。死ぬほど酷い命令なんて今まで何度もあった。そもそも処分ならこの場で済ませたはずだ。捨てるにしても回りくどい。ババアの即決即断を思えばまだ猶予はあるはずだ。
 今受け取った箒を振り回して品質を確認する。ただの丈夫な棒切れ。空を飛ぶなら無いよりマシか。箒でバランスを取る癖が染みついているから。
 この箒がどうしてここに? 記憶を辿れば、作った時の思い出と同時に、使えないから捨てたという結末まで思い出した。自分と同じ境遇か。まあ使えないのだから仕方ないな。何を思うでもなく箒をポンポンと叩いた。

 早く行かなくては。地図を展開して座標を重ねる。ここより北、山一つ向こうの森。(汚染弱、侵入注意)の覚え書きがあった。ババアに言われて記録したものだ。実際に行ったことは無い。

 呪文を唱えて浮かび上がる。いつも通りに飛べている。ふらつくはずもない。私は大丈夫だ。手足が千切れてたって、その程度で私の飛行は揺るがない。
 一度頭の中を空にして、やってやる、という意思を大きく叩き込む。今は命令に注力する。行けと言われたのだから最大速度で向かいましょう。
 捨てられる予感については割り切るしかない。ババアの庇護の下、僅かな安らぎを得る時代は終わった。その先どうするか。まだ分からないが、今回の件が終わる頃には答えを出そう。

 帽子を力強くかぶり、呪文を繰り返し唱えて一気に加速する。
 眩暈がする。集中力が切れている。徹夜しているせいだ。腹が減っているせいだ。だがその程度ならいつもよりマシだ。まだ大丈夫。まだ頑張れる。
 今一度箒を握り直し、全力で飛んだ。
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