第2話

文字数 3,003文字

02 転機


 理性と感情なら理性の方が強いと信じている。死ぬほど地面に叩きつけられた時だって、理性で立ち上がれた。その理性でもどうにもならない時がある。今がそうだ。
 自分では割り切っているつもりだ。ババアに捨てられることは予想できていた。感情だって納得しているはずだ。今更何だって言うんだ。心臓だけが勝手に騒いでいる。きっと意識の底に、言葉にできない何かがあるのだろう。厄介だなぁこれ。
 深呼吸して思考を切り替える。どうにもできないなら拘らず次に進むしかない。
 せっかく手に入れた本を読めないの残念だった。ババアのお使いとは別に仕入れた物だから、明日には無くなっているだろう。もっと沢山本を読みたかった。どんな種類の本でもいい、他人の考えを読めるだけで価値がある。だから今回の大量仕入れは本当に楽しみだったんだ。徹夜もするよ。

 そんな事を考えていると目的の座標に到着した。
 ああもう、まだ心臓の鼓動が治まらない。呼吸を整えろ、胸を張れ。見苦しいのは嫌いだ。堂々と構えろ。

 境界の森。そこから北は人の支配域だから侵入したくない。南には山があって大型の害鳥が住んでいる。その間にある盆地が境界の森。見た目で汚染具合は分からない。
 ここの調査記録は読んだはず、と宝玉の記録を探る。人里で調べた情報だ。
 五十年ほど前に森全体が焼き払われた。目的は魔法使いを殺すため。その結果、汚染は炎と共に撒き散らされて少し減った。また森が再生した時に土地から汚染が吸い上げられた。汚染による害は、ここの生き物を食べたりしなければ問題ない、か。そんな場所に何があるのかと周囲を見渡せば、実に分かりやすい場所があった。
 森の中にぽっかりと円形に木が取り除かれている。計測すれば半径百メートル。地面は草原になっており、中央には立派な家が建っている。
 それはババアの家と似ていた。庭の花壇と壁の装飾を取り除けばほぼ同じではないか? そうなるとあの家に住んでいる人物に心当たりがあった。トーセキ姉妹のコーダード。ババアの姉か妹だ。記録によって逆転しているので、どっちがどっちかは分からない。
 ババアと連絡を取り合っているたった一人の人間。悪名高いトーセキ姉妹。
 それにしても、と家とその周りを観察する。気味の悪い場所だ。目立ち過ぎている。罠でも何でもいいからまず隠してほしい。魔法使いが隠れないメリットが一つも思い浮かばない。
 命令でなければ見た途端に引き返しただろう。座標をもう一度確認する。悲しいかな、あれが目的地だ。

 草原に入らないように家の正面に回る。この線を越えたら何が起こるか分からない。森の上で停止する。そこから魔力を周囲に放って自身の存在を示した。
 果たして家の者は出てくるだろうか。最悪あの家まで行かなくてはならない。地上に降りて歩くか。いや、草原内に動物が侵入している形跡がない。森の中にも何か仕掛けてあるな。
 侵入方法を考えながら、面会に備えて身なりを整える。帽子を上げ、顔が見えやすいようにやや浅くかぶる。お使いの後だったのは運がよかった。商売用の良い服を着ている。襟を締めて乱れがないようにする。
 あと十分、いや三十分くらいこのまま待つか。魔法使い相手の訪問方法が分からない。元よりそんな方法は存在しない。魔法使いに会いに行くのは討伐隊だけだ。
 どうやって訪ねようかと考えて間もなく、家の扉が開いた。

 出てきたのは薄着の女性。若い。金髪を紐でまとめて肩にかけている。帽子も箒も、魔法の道具を何も持っていない。
 無防備な歩き方とは裏腹に異様な圧力を感じる。その佇まいは紛れもなく魔法使いだ。目に宿る自信。この世に恐れるものは何もないという目だ。逃げ出したくなる。
 あれが誰なのか考えていると、目下の人物は手招きした。
 すぐさま、しかしゆっくりと行動する。森を越え草原に入る。何も起こらない。箒を尻から左手に移して立てる。右手で帽子を取り胸の前に持つ。空中で直立の姿勢を取る。そのまま地面に降り立って頭を下げた。
 互いの距離は十メートル。金髪の女性は食い入るようにこちらを見つめている。そして一息つくと口を開いた。
「どこの、誰だ」
 喋った。よく通る声だった。呪文以外で言葉を発する魔法使いは初めてだ。ババアは別。
 初対面の最初の一言。震えないようにお腹に力を入れる。
「主人であるカーシェからは、アムの名を頂いております」
 こんな発言で緊張するとは情けない。震えずに言えただろうか。私の発言に、間をおいて「ふむ」と頷き、歩いて距離を縮めて来た。
「私はコーダード。私を呼ぶときは、…コーダードでいいか」
「承知致しました」
 コーダードはまた私を見つめて黙った。
 コーダードとババアの年齢がかけ離れているが、そういうものだと受け入れるしかない。仮に偽物だとしても、格が違い過ぎて私にはどうしようもない。
 しばらくすると納得した様子で「なるほど」と呟いた。
「あの子は、カーシェは何と言って、何が目的でここに寄越したのか聞いているか?」
「目的について言葉では伺っておりません。この場所に来るように、とだけ」
「そうか、分かった。済まないがしばらくこの場で待っていなさい。あの子から連絡が来たのもついさっきでね。何の準備も出来ていないんだ。ああ、帽子はかぶっていいよ。楽にしなさい」
「はい、ありがとうございます。ですがこの状態のまま待っていてもいいでしょうか」
 帽子を胸元で軽く動かしながら言う。
 帽子を取ったままにするのは服従を示すためではない。自分の身を守るためだ。コーダードの庭でどんな行為が敵対行動と見なされるか分からない。虫が飛び出して来ただけで魔力が漏れる。帽子をかぶると反射で魔法が発動するかもしれない。それで攻撃されたら困る。
「そうか。分かったよ」
 コーダードはふわりと踵を返して家に戻っていった。最初にあった圧迫感はなくなっていた。

 家の扉が閉まって草原に一人残された。
 まずは自分に釘を刺しておく。初対面の人をすぐ信用するのは私の悪い癖だ。疑う事から始めろ。
 コーダードという人物を考える。今までババアの同類というイメージを持っていた。人の噂が当てにならないのはともかく、想像と全く違った。会話が成り立つだけではない。私に配慮までしている。何のために?
 考察を進めて行くうちにコーダードの恐ろしさを一段階引き上げた。最も恐れるババアより一つ上にする。ただの化け物より言葉で人を騙す化け物の方が恐ろしい。魔法使いが何のために会話なんて能力を身に着けた? 周辺国家を思い浮かべて思考を打ち切る。考えたくもない。
 出会った時点でコーダードに好感を覚えていた自分にはいい薬だ。やはり理性で動かなければ。

 これから何が始まるのだろうか。準備をすると言っていた。処分の準備でなければいいが。
 家を正面に見据え、ババアの家と比較する。造りを変えている部分は…見栄えを意識しているのか? 花壇もあるし装飾に凝るタイプなのか。
 などと考えていて思い出した。二つの家の共通点。ここにも居たはずだ。私と同じ境遇の人が。
 会ってみたい。生きているなら。いや、死体、骨でもいい。
 昔、自分と同じ実験体が居ると知った時、会いたかった。しばらくはその事ばかり考えていた。でもそんな機会は全くなくて、今まで忘れていた。
 私の次の実験体。アンバー。
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