(二)

文字数 3,004文字

○福永修司の自宅、応接間
   全員、時々お茶をすするが、黙ったまま。
   玄関チャイムの音が鳴る。
修一「(大声で)母さん、誰か来たよ」
幸恵「はいはい、聞こえてますよ」
   幸恵、エプロンで手を拭きながら、キッチンから玄関へ向かうのが部屋の入口から見える。
美幸「ちょっと、兄貴。自分で出なさいよ。母さんだってもう歳なのよ」
修一「そういうお前が出たらどうだ」
高井戸「お二人とも、子どもみたいですね」
   高井戸、軽く笑顔を見せる。
美幸「本当にお恥ずかしいところをお見せしました。私たちだっていい歳なのに」
修一「歳っていうな」
神「実家で顔を合わせるといつもこうじゃ。二人ともすでに独立したっていうのに」
高井戸「まあまあ、いいではないですか、家族の仲がいいのは」
   幸恵、三段の大きい寿司桶を持って部屋に入ってくる。
   寿司桶には江戸前特上握り寿司三~四人前。
   幸恵、寿司桶をテーブルに置きながら、
幸恵「はーい、お待たせ。お寿司が来ましたよ。今小皿持ってきますからね」
   幸恵、寿司桶を一つ持ってキッチンに戻る。
修一「あ、箸と醤油も」
美幸「だから自分で行きなさいよ」
修一「そう思うなら自分で行けよ」
美幸「それにしてもまだ受賞が決まっていないのに、いいの、こんなお祝いしちゃって」
   幸恵が部屋に入ってくる。箸と醤油差しをテーブルの上に置く。
幸恵「いいのよ。結果が良くても悪くても、こういう晴れの日は、きちんとお祝いしないとね。はい、これ、お箸にお醤油。お小皿も今持ってくるわね」
   幸恵、すぐに引き返す。
高井戸「そういえば、去年も同じように電話を待ちましたねえ」
神「去年だけではない。このところ毎年だ」
修一「もう五回目でしたっけ」
美幸「六回目でしょ」
   幸恵、小皿を持ってきてテーブルに置きながら、
幸恵「七回目ですよ」
神「うむ」
   神、頷く。
   修一と美幸、箸を手に取ろうとすると玄関のチャイム鳴る。
修一「またお客さんか」
   幸恵、部屋を出て行く。
美幸「だから、そういうなら……」
修一「別に出たいわけじゃ……」
   皆、小皿に醤油を入れて寿司を食べ始める。
   幸恵、日本酒『鯨馬』の一升瓶を二本手にしながら部屋に入ってくる。
幸恵「『酒のゲキヤス』さんが来たわよ」
   神、一升瓶を見て、
神「(嬉しそうに)おお、来た来た」
高井戸「先生、嬉しそうですね」
神「晴れの日というなら、これがなけりゃ話が始まらんよ。高井戸君もどうだ、一杯」
高井戸「あ、ありがとうございます。でもまだ仕事中なので。電話が来たあとで頂きます」
幸恵「冷やにします、お燗します」
神「まずは冷やだな」
幸恵「ならお猪口(ちょこ)をもってきますね」
   幸恵、一升瓶を置いてキッチンに戻る。
   黒電話が鳴る。一堂、黒電話を凝視し、動きを止める。
修一「ついに来た」
美幸「いよいよね」
高井戸「先生、さ、どうぞ」
   神、ゆっくり黒電話に手を伸ばす。受話器をとりゆっくり耳に付ける。
神「はい」
池上源太の声「あー、もしもし、招来軒さん。出前頼みたいんだけど」
神「うちは招来軒じゃないよ……、ていうか、また源さんか」
美幸「源さん?」
高井戸「源さん……とは」
   幸恵、お猪口を持って部屋に入ってきて、テーブルの上に置きながら、
幸恵「源さんっていうのは、いつも間違い電話をしてくる人なんですよ」
   幸恵、部屋を出て行く。
池上の声「あれ、ひょっとして神先生かい。俺、また間違えちゃったのか。こりゃあ失敬失敬」
神「びっくりさせないでくれないかね」
池上の声「なにかあったんですか」
神「今、茶川賞の受賞の電話を待っていたところだったんで」
池上の声「ええ! 受賞したのですか。それはおめでとうございます」
神「いや、まだ電話を待っているところで……」
池上の声「そういうことなら、招来軒のオヤジさんにも伝えなきゃ、それじゃ」
   電話切れる。
   一堂、ため息をつく。
   携帯電話が鳴る音。
高井戸「おっと、失礼」
   高井戸、携帯を取り出す。
高井戸「もしもし」
大前明の声「俺だ。今どこだ」
高井戸「編集長! 今、神先生のお宅にお邪魔しています」
大前の声「そうか。俺もそろそろそちらへ伺えるから、よろしく伝えてくれ」
高井戸「承知しました」
   高井戸、電話を切る。
神「大前君が来るのか」
高井戸「はい。そろそろ着くそうです」
修一「大前さんって?」
高井戸「私の上司で、『月刊新潮流』の編集長です」
美幸「あら、偉い方がいらっしゃるのね」
   黒電話が鳴る。
   一堂、黒電話を凝視する。
修一「今度こそ……」
美幸「今度こそ……」
高井戸「ついにこのときが……」
   神、ゆっくり黒電話に手を伸ばす。受話器をとりゆっくり耳に当てる。
神「もしもし」
松原元の声「あ、神先生のお宅ですか。招来軒の松原です」
神「ああ、招来軒の……。何かご用で」
   修一と美幸、がっくり頭をうなだれる。
松原の声「聞いたよ、先生。茶川賞だって? おめでとう! 今からお祝い持っていくから。何がいい」
神「お祝いだなんて、そんなのいいから」
松原の声「何言ってるんだい、常連客なんだから。何よりめでたいことだし、いいよ、何でも言ってよ」
   神、受話器を耳に当てながら周囲の人間を見渡す。
修一「エビチリがいい」
美幸「あ、私もエビチリ! 招来軒のって、海老が大きくて美味しいからね」
神「そうれじゃあ、エビチリを二皿、いや三皿お願いできますか」
松原の声「エビチリ三皿ね。他はいいんですかい? せっかくですし」
神「ええ、それで」
修一「やったな」
美幸「やったわね」
   修一と美幸、ハイタッチする。
   幸恵、部屋に入ってきてテーブルの前に座る。
幸恵「あらあら、仲がいいわね」
   一堂、笑う。
   玄関のチャイム鳴る。
幸恵「今度はどなたかしら」
   幸恵、立ち上がり部屋を出て行く。
幸恵の声「はーい」
池上の声「こんにちはー! 神さん、受賞おめでとう!」
修一「誰だ?」
美幸「さあ」
神「だから、まだ早いって」
   幸恵、池上とともに部屋に入ってくる。
幸恵「源さんが見えましたよ」
池上「神さん、受賞おめでとう!」
幸恵「初めて見た。子どもの頃から時々間違い電話掛けてくる人でしょ」
修一「そうそう。俺も初めて」
幸恵「初めてならちゃんとご挨拶しなさい」
池上「そうですよね。いきなり押しかけてすみません。あ、これ、受賞祝いです」
   ビールの入った段ボールを部屋に下ろす。
池上「私、池上源太といって、近所に住む者です。招来軒に出前を頼むことが多いんですけど、招来軒の電話番号と先生のお宅の電話番号が一つ違いで、いつも間違えてしまうんですよね。いやぁ、いつもご迷惑をおかけしています」
幸恵「さぁさぁ、どうぞおかけになって。お寿司、召し上がっていって下さいな」
   幸恵、座布団を持ってきて池上の足元に置く。
   修一と美幸、顔を見合う。
神「間違い電話がしょっちゅう過ぎるので、結局こうして仲良くなってしまってな。時々、将棋や囲碁の相手もしてもらっているんだ」
高井戸「そうだったんですか」
幸恵「ありがとうございます。冷やすので持っていきますね」
   幸恵、ビールの段ボールを持って部屋を出る。
美幸「じゃあ、もう食べよう」
修一「そうだな、まだ電話かかってくるまで時間があるし」
全員「いただきます」
   全員食事を始める。

(続く)
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