第2話

文字数 1,782文字

 世界の極東に位置する、文明が華やかに花開く雅の国。

 そこには、人と人ならざるもの――妖と呼ばれる種族が人々と共存し、国の発展を大きく支えていた。

 煌びやかな遊郭が建ち並ぶ歓楽街では種族問わず、今日もたくさんの遊女たちが生活を営んでいる。

 その中でもとびきり小さく、古ぼけた遊郭で働く人間の少女――『琴子(ことこ)』は、中庭で今日もせっせと大量の打掛(うちかけ)を洗っていた。


「琴ちゃん相変わらず手際がいいねぇ〜」


 共に洗濯をしながら隣で笑う、『梅乃(うめの)』という若い女性。

 二人は客受けが悪いという理由で、遊女でありながらあらゆる雑用を押し付けられていた。

「あーもうヤダヤダ!水が手に染みる!楼主(ろうしゅ)の馬鹿野郎め!」
「……」

 琴子と梅乃の身体には、無数の擦り傷と痣があった。
 『稼ぎの出せない穀潰し』と、楼主から日常的に暴力を振るわれている為である。

 梅乃のこの愚痴もいつもの事。
 バレたら只では済まないが、鬱憤が収まらないらしい。


「あっ、そうだ聞いて!この前小耳に挟んだんだけどね〜」


 梅乃は途端にコロッと表情を変え、一人楽しそうに話を始める。

 一体誰が流すのか。遊郭に時折入る、嘘か誠かもわからぬ噂話が彼女は大好きなのだ。

 琴子はそんな彼女の話に聞き入る。


「……で、その人結局どうなったと思う?なんと!池に落っこちたんだって!ほんとドジよね〜」
「!」

 それを聞いて琴子が小さく笑い、梅乃は更に楽しげにケラケラと笑う。

 それが、二人にとって唯一の至福の時。

 酷い環境下でも琴子が頑張れているのは、同じ立場で明るく振る舞う彼女がいてくれるからだ。


「……そうだ、それからね」
「?」

 すると次は真剣な面持ちで、梅乃は琴子に顔を寄せた。

「この近辺にね、出たらしいよ」

 ひそひそと声を潜める。
 何事かと首をかしげれば、梅乃はイタズラ好きな顔でニヤリと笑った。


「悪を裁く『死神さま』!」
「……?」


 不思議そうな顔をする琴子に、梅乃は
 『もうっ』と肩を竦める。

「琴ちゃん知らないの?夜に突然現れては悪人を裁く妖のうわさ!女たちの間ですっごい話題なんだよ?!」


 ――妖のうわさ。

 完全に初耳の琴子は首を傾げる。
 その様子に、梅乃は興奮した様子で内容を話した。

「なんたってその美貌たるや!彫刻のように整った美しい顔立ち!冷たい眼差しで無慈悲に裁くその姿……!もうそれはまさに『死神』って!」


 『会ってみたいなぁ、絶対かっこいいよ……』と梅乃は姿を妄想して頬を染める。

 一方の琴子は、やはりピンと来ていなかった。
 悪党を倒してくれるのは有難いことだが、無慈悲だなんて、むしろ怖くはないのだろうか。

 人間やっぱり中身が大切。
 そんな思考の琴子にとって、その『死神』とやらは全く魅力的に聞こえなかった。


「……もう、異性の話になるとすぐこれだ。ボケーッとしちゃうんだから」


 梅乃はぷくっと頬を膨らませるも、すぐにある質問を思いつく。
 そのまま子供のような笑みを浮かべ、ズイッと顔を寄せた。


「ねぇねぇ琴ちゃんはさ、恋に憧れはないの?」
「?!」


 琴子から色恋の話を聞いたことがない梅乃は、心底愉しげに聞いてきた。

 琴子の動きがビクリと止まる。

 なぜならこれまでの人生、常に今を生き抜くことで精一杯。
 色恋沙汰などとは全くの無縁だったからだ。

 それに憧れがあったとしても、この牢獄のような遊郭(ばしょ)から出られる事などまず無いだろうに。


「あ、また現実悟ってるでしょ。もしもで考えなよ、もしも」
「……」


 ――仮定の話ならば、と琴子は一旦現実を忘れて考える。


 もし、自由の身になれたなら。
 もし、こんなわたしを好いてくれる、心優しい殿方がいたなら。


 そんな夢のような未来を想像して、思わず頬がポッと紅く染まった。

 琴子だって一人の少女。色恋に全く興味が無い訳では無かった。


「なぁんだ、琴ちゃんもやっぱり乙女ね」


 そんな彼女の表情を見た梅乃は嬉しそうに笑った。
 いつも現実を受け入れ、悟ったような少女の瞳。それに光が射すのを見て、梅乃は強く思う。

「……ねぇ琴ちゃん。わたし達、絶対こんなところで終わっちゃだめよ」
「?」

 いつになく真剣な彼女の口調に首を傾げる。

「もしもで終わらせちゃだめ。だって夢は叶えなきゃ」

 そう言うと梅乃は微笑みながら、願いを込めるように彼女の傷だらけの小さな手を握った。


「いつか必ず、ここを出てしあわせになろうね」
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