第1話 常夜の塔のカナリアさん
文字数 3,125文字
気がついたら、見知らぬ場所にいた。
……いや、この表現は不的確かも知れない。ツグミは、確かに自分の部屋で眠りについたはずなのだから。
では、コレは夢なのだろうか。
分からない。だが、冴え渡る五感に、夢かどうかも疑わしく感じてしまう。
そよ風が清々しい森の中。だが、木々の隙間から見える空は暗く、星が輝いていた。
ふと気がつくと、どこからか微かに歌声が聞こえていた。遠すぎてどんなメロディーかは分からないが、透き通った幼い声だ。
声の主を探してキョロキョロと見回すと、背後に高い塔があった。
「もしかして、ここから?」
入口に近付くが、古めかしい塔だ、インターホンなどあるはずもなく。
しかしツグミは、心の奥がぞわぞわとしていて、理由は分からずとも声の主に会いたいと思ってしまった。
近くに誰か居ないかと、探しに行こうとしたその時。
ギギギィ……と重い音を立てて扉が開いた。
「入って……良いのかな?」
中を見てみると、ふかふかの紅い絨毯が敷かれ、石像が行儀良く並んでいる洋風の暗い室内が顔を見せた。
「お……お邪魔します……」
ツグミはビクビクしながら塔内に足を踏み入れる。
絨毯が、スニーカーの底を優しく受け止める。
紅い道がまっすぐに指す長い長い階段は石で出来ており、歩を進める度に、トントン、と軽快な音が鳴る。
「これで頂上、かな……」
目の前には木製の扉。歌声はここから聞こえているようで、知らないメロディーが、ラララとかルルルとか、そんな曖昧な歌詞で紡がれている。
ドアノブに手をかけ、そっと押してみた。ギィ……と小さく音を立てながら、部屋の全貌がお目見えした。
本が散らばる乱雑な部屋の奥、大きな鍋に向かっている少女が歌っていた。
「あ、あのぅ……」
ツグミが蚊の鳴くような声で囁くと、歌が途切れた。
ピンクと青のグラデーションのかかったツインテールを揺らして振り向いた少女の瞳は、黒と白のオッドアイだった。
「あら、お客様なんて珍しいわね」
少女は笑った。
ツグミが、無断で侵入した無礼を詫びると少女は、いいのよ、とこれまた笑った。
「私はカナリア。お兄さん、お名前は?」
ツグミが名乗ると、カナリアはただ、素敵な名前。とだけ言った。
「女の子みたいって笑わないの?」
ツグミの問いに、カナリアは一瞬「う~ん」と悩む素振りをしたが、すぐに
「そういう感覚は分からないから……でも、良い名前ね」
と答えた。
「ごめんなさいね、もうすぐ魔法薬が出来るから、適当に座ってて。そこに椅子があるから」
カナリアが再び鍋に向かうと、彼女はウフフ、と笑った。
「ここ、誰も来ないの。来てくれて嬉しいわ」
全身を一生懸命伸ばして、大きな鍋をかき回すその姿は、彼女の幼い身体を際立たせていた。
「僕、手伝うよ。鍋、混ぜよっか?」
物凄いスピードでこちらを向いたカナリアの目が輝く。
「いいの!? ああ、でも、お鍋は私がやらないと加減が分からないしなぁ……」
手を止め、う~ん、と悩んだ彼女が手を叩いた。
「そうだ! 近くに『美しの泉』って場所があるの。そこに自生している『輝くハーブ』を採ってきて欲しいな!」
それだったらツグミも出来そう! とニコニコして彼女は言った。
「分かった、輝くハーブだね。特徴を教えて?」
「泉の傍に生えてて、キラキラしてるの」
カナリアが机の上を指差す。
「そこに行くまでの道にも色々素材があるから、そこの図鑑を持って行って。鞄も使っていいわよ」
わかった、ありがとう。ツグミは図鑑を手に取り、パラパラとめくってみた。が……
「コレ、何語だろう……」
生粋の日本人ゆえ、ほぼ日本語しか読めないツグミには、図鑑の文字がミミズの這った痕にしか見えなかった。
「え、もしかして読めない……?」
カナリアがきょとんとすると、ツグミは申し訳なさそうに頷いた。
「そっか、じゃあ……」
カナリアが指鳴らしをした。
「魔法で読めるようにしてみたわ。どうかしら」
そんな簡単にできるわけ……あった。
さっきまで文字として認識出来なかった文字が、今はその意味を頭が理解している。
「私、魔女だから、こんなことも出来るの」
魔法……。
そうか、ここは恐らく夢の世界。きっと何でもありなんだろう。
「そっか、ありがとう! じゃあ、行ってくるね」
鞄に図鑑を突っ込み、意気揚々と出かけたツグミを、カナリアは手を振って見送った。
「……本当に夢の世界だったら、どんなに良かったかしら」
そう呟いた彼女の瞳には、黒い陰が滲んでいた。
さわさわと心地よい風がツグミの頬を撫でる。
元気よく塔を飛び出しは良いが、泉の方向が分からない。
というか、教えて貰っていない。
「あちゃ~、やっちゃったな……」
戻って聞いてくるか……と踵を返したその時。
「くわぁ!」
気の抜けた声が足元で鳴いた。
声の主に視線をやると、一羽のカラスがいた。まだ若鳥なのか、もこもことしている。
カラスは、ツグミを怖がる事なく甘えてくる。
「可愛いなぁ」
思わず気持ちを声に出し触れようとすると、カラスは、ひょい、とツグミの手を躱してしまう。
そして、チョン、チョン、と、歩いてはこちらを見て、くわぁ~! と鳴く。
「もしかして、着いてきて、って?」
カラスは、そうだよ、とでも言うように一声鳴いた。
行ってみる価値はあるか……。どうせ他にヒントはないのだから。
曲がりくねった森道を右へ左へ。
辿り着いた先は……
「うわぁ……!!」
碧く輝く蝶が舞う、月明かりに輝く泉。その美しさに、ツグミは思わず感嘆の声を漏らした。
カラスの声で現実に引き戻されたツグミは、足元に目をやる。
キラキラと輝く葉が、点々と生えている。
「これ、全部ハーブなのかな……」
カラスは、そうだよ、とでも言いたげに頷く。
確かに、図鑑を見てみると、そう書いてある。……もっとも、暗くて読みにくいが。
「じゃあ、何束か摘んで帰ろうか」
ひときわ輝いているハーブを一束摘むと、爽やかな香りがふわっと鼻腔をくすぐった。
「ただいま、カナリアさん」
少々立て付けの悪い扉を開き、ツグミがカナリアの部屋に踏み入れる。
暇そうに地球儀を回していたカナリアが、満面の笑みを咲かせ、おかえり!と答えた。
「あら、マフィンもいたの」
マフィン? と尋ねるツグミに、カラスは、自分だよ!と言わんばかりに鳴いた。
「そう、マフィン。私の使い魔の一匹よ」
そうか、君、マフィンって言うんだね。と、ツグミが手を伸ばすと、マフィンはすり寄ってきた。
「彼女、最近仕事を始めた若鳥なんだけど……お役に立てたかしら?」
心配そうに問うカナリアに、ツグミは、首を大きく縦に振った。
「ああ、そうそう。こんなもので良かった?」
ツグミがカナリアに渡した鞄に半分ほど摘んだハーブは、未だ僅かにキラキラと輝いていた。
「わぁ!バッチリ!ありがとう、ツグミ」
嬉しそうなカナリアを見て、気がつけばツグミの顔も綻んでいた。
「そうだ!折角だし、フレッシュハーブティーを飲んでみない?丁度お湯を注いで蒸らしていたの」
バラを模したティーカップに、薄緑の茶が注がれる。
それから立ちこめる香りは、摘んだときの爽やかなそれと同じだった。
適当な椅子に腰掛け、一口啜る。
鼻を抜ける清涼感と、柔らかい甘味が実にツグミ好みだ。
「うわぁ!コレ、美味しいね」
カナリアは、この地域の定番のお茶なんだよ。と微笑む。
「次は何を持ってきて貰おうかしら」
カナリアがそう呟いて茶を口に運んだ。
「……え、何て?」
ツグミが固まる。またお使いするの? と問う彼に、カナリアは
「ええ、だってここにいても暇でしょう?」
と、悪戯っぽく笑った。
夜はまだ始まったばかりだ。
……いや、この表現は不的確かも知れない。ツグミは、確かに自分の部屋で眠りについたはずなのだから。
では、コレは夢なのだろうか。
分からない。だが、冴え渡る五感に、夢かどうかも疑わしく感じてしまう。
そよ風が清々しい森の中。だが、木々の隙間から見える空は暗く、星が輝いていた。
ふと気がつくと、どこからか微かに歌声が聞こえていた。遠すぎてどんなメロディーかは分からないが、透き通った幼い声だ。
声の主を探してキョロキョロと見回すと、背後に高い塔があった。
「もしかして、ここから?」
入口に近付くが、古めかしい塔だ、インターホンなどあるはずもなく。
しかしツグミは、心の奥がぞわぞわとしていて、理由は分からずとも声の主に会いたいと思ってしまった。
近くに誰か居ないかと、探しに行こうとしたその時。
ギギギィ……と重い音を立てて扉が開いた。
「入って……良いのかな?」
中を見てみると、ふかふかの紅い絨毯が敷かれ、石像が行儀良く並んでいる洋風の暗い室内が顔を見せた。
「お……お邪魔します……」
ツグミはビクビクしながら塔内に足を踏み入れる。
絨毯が、スニーカーの底を優しく受け止める。
紅い道がまっすぐに指す長い長い階段は石で出来ており、歩を進める度に、トントン、と軽快な音が鳴る。
「これで頂上、かな……」
目の前には木製の扉。歌声はここから聞こえているようで、知らないメロディーが、ラララとかルルルとか、そんな曖昧な歌詞で紡がれている。
ドアノブに手をかけ、そっと押してみた。ギィ……と小さく音を立てながら、部屋の全貌がお目見えした。
本が散らばる乱雑な部屋の奥、大きな鍋に向かっている少女が歌っていた。
「あ、あのぅ……」
ツグミが蚊の鳴くような声で囁くと、歌が途切れた。
ピンクと青のグラデーションのかかったツインテールを揺らして振り向いた少女の瞳は、黒と白のオッドアイだった。
「あら、お客様なんて珍しいわね」
少女は笑った。
ツグミが、無断で侵入した無礼を詫びると少女は、いいのよ、とこれまた笑った。
「私はカナリア。お兄さん、お名前は?」
ツグミが名乗ると、カナリアはただ、素敵な名前。とだけ言った。
「女の子みたいって笑わないの?」
ツグミの問いに、カナリアは一瞬「う~ん」と悩む素振りをしたが、すぐに
「そういう感覚は分からないから……でも、良い名前ね」
と答えた。
「ごめんなさいね、もうすぐ魔法薬が出来るから、適当に座ってて。そこに椅子があるから」
カナリアが再び鍋に向かうと、彼女はウフフ、と笑った。
「ここ、誰も来ないの。来てくれて嬉しいわ」
全身を一生懸命伸ばして、大きな鍋をかき回すその姿は、彼女の幼い身体を際立たせていた。
「僕、手伝うよ。鍋、混ぜよっか?」
物凄いスピードでこちらを向いたカナリアの目が輝く。
「いいの!? ああ、でも、お鍋は私がやらないと加減が分からないしなぁ……」
手を止め、う~ん、と悩んだ彼女が手を叩いた。
「そうだ! 近くに『美しの泉』って場所があるの。そこに自生している『輝くハーブ』を採ってきて欲しいな!」
それだったらツグミも出来そう! とニコニコして彼女は言った。
「分かった、輝くハーブだね。特徴を教えて?」
「泉の傍に生えてて、キラキラしてるの」
カナリアが机の上を指差す。
「そこに行くまでの道にも色々素材があるから、そこの図鑑を持って行って。鞄も使っていいわよ」
わかった、ありがとう。ツグミは図鑑を手に取り、パラパラとめくってみた。が……
「コレ、何語だろう……」
生粋の日本人ゆえ、ほぼ日本語しか読めないツグミには、図鑑の文字がミミズの這った痕にしか見えなかった。
「え、もしかして読めない……?」
カナリアがきょとんとすると、ツグミは申し訳なさそうに頷いた。
「そっか、じゃあ……」
カナリアが指鳴らしをした。
「魔法で読めるようにしてみたわ。どうかしら」
そんな簡単にできるわけ……あった。
さっきまで文字として認識出来なかった文字が、今はその意味を頭が理解している。
「私、魔女だから、こんなことも出来るの」
魔法……。
そうか、ここは恐らく夢の世界。きっと何でもありなんだろう。
「そっか、ありがとう! じゃあ、行ってくるね」
鞄に図鑑を突っ込み、意気揚々と出かけたツグミを、カナリアは手を振って見送った。
「……本当に夢の世界だったら、どんなに良かったかしら」
そう呟いた彼女の瞳には、黒い陰が滲んでいた。
さわさわと心地よい風がツグミの頬を撫でる。
元気よく塔を飛び出しは良いが、泉の方向が分からない。
というか、教えて貰っていない。
「あちゃ~、やっちゃったな……」
戻って聞いてくるか……と踵を返したその時。
「くわぁ!」
気の抜けた声が足元で鳴いた。
声の主に視線をやると、一羽のカラスがいた。まだ若鳥なのか、もこもことしている。
カラスは、ツグミを怖がる事なく甘えてくる。
「可愛いなぁ」
思わず気持ちを声に出し触れようとすると、カラスは、ひょい、とツグミの手を躱してしまう。
そして、チョン、チョン、と、歩いてはこちらを見て、くわぁ~! と鳴く。
「もしかして、着いてきて、って?」
カラスは、そうだよ、とでも言うように一声鳴いた。
行ってみる価値はあるか……。どうせ他にヒントはないのだから。
曲がりくねった森道を右へ左へ。
辿り着いた先は……
「うわぁ……!!」
碧く輝く蝶が舞う、月明かりに輝く泉。その美しさに、ツグミは思わず感嘆の声を漏らした。
カラスの声で現実に引き戻されたツグミは、足元に目をやる。
キラキラと輝く葉が、点々と生えている。
「これ、全部ハーブなのかな……」
カラスは、そうだよ、とでも言いたげに頷く。
確かに、図鑑を見てみると、そう書いてある。……もっとも、暗くて読みにくいが。
「じゃあ、何束か摘んで帰ろうか」
ひときわ輝いているハーブを一束摘むと、爽やかな香りがふわっと鼻腔をくすぐった。
「ただいま、カナリアさん」
少々立て付けの悪い扉を開き、ツグミがカナリアの部屋に踏み入れる。
暇そうに地球儀を回していたカナリアが、満面の笑みを咲かせ、おかえり!と答えた。
「あら、マフィンもいたの」
マフィン? と尋ねるツグミに、カラスは、自分だよ!と言わんばかりに鳴いた。
「そう、マフィン。私の使い魔の一匹よ」
そうか、君、マフィンって言うんだね。と、ツグミが手を伸ばすと、マフィンはすり寄ってきた。
「彼女、最近仕事を始めた若鳥なんだけど……お役に立てたかしら?」
心配そうに問うカナリアに、ツグミは、首を大きく縦に振った。
「ああ、そうそう。こんなもので良かった?」
ツグミがカナリアに渡した鞄に半分ほど摘んだハーブは、未だ僅かにキラキラと輝いていた。
「わぁ!バッチリ!ありがとう、ツグミ」
嬉しそうなカナリアを見て、気がつけばツグミの顔も綻んでいた。
「そうだ!折角だし、フレッシュハーブティーを飲んでみない?丁度お湯を注いで蒸らしていたの」
バラを模したティーカップに、薄緑の茶が注がれる。
それから立ちこめる香りは、摘んだときの爽やかなそれと同じだった。
適当な椅子に腰掛け、一口啜る。
鼻を抜ける清涼感と、柔らかい甘味が実にツグミ好みだ。
「うわぁ!コレ、美味しいね」
カナリアは、この地域の定番のお茶なんだよ。と微笑む。
「次は何を持ってきて貰おうかしら」
カナリアがそう呟いて茶を口に運んだ。
「……え、何て?」
ツグミが固まる。またお使いするの? と問う彼に、カナリアは
「ええ、だってここにいても暇でしょう?」
と、悪戯っぽく笑った。
夜はまだ始まったばかりだ。