駅の戦い

文字数 1,481文字


 中学生だから、学校帰りには、もう空腹になる。
 昼食をしっかり食べようが、関係ない。
 育ち盛りなのだ。
 下校時の買い食いは、多めに見てもらいたい。
 だが、先生たちはそうは思わない。
「駅の立ち食いそばをズルズルすするなど、わが校のレディとしてふさわしくない」
 そうである。
 しかし、人は空腹には勝てぬ。
 それが意志薄弱な娘ならなおさら。
 しかもM駅の『駅そば』ときたら、絶品なのだ。
 ラーメンの黄色い麺と、ウドン出汁の組み合わせ。
 ああ、最初の考案者は天才に違いない。
 その上に、天ぷらが乗る。
 下校時は、いつも空腹である。
 電車に乗るには、ホームへ行かねばならぬ。
 ホームには、そば屋がある。
 顔をそむけ、そば屋を視野に入れないよう、努力はできる。
 だが、鼻腔をくすぐるあの匂いは、どうあっても遮断できない。
 それとも先生たちは、
「ホームでは、息を止めて窒息死しろ」
 とおっしゃるか?
 生徒にだって、生存権がある。
 そして自然な流れで、M駅のそばの誘惑に負けるのだ。
 するとどこからか、先生がスッと現れる。
 柱の影に待機しているのだ。
 驚きのあまり私は、そばが喉に引っかかり、目を白黒させて、むせるが、先生は私の手に校則違反キップを押し付け、風のように去ってゆくのだ。
 違反キップを受け取ると、翌朝必ず、私は校長室へ出頭しなくてはならない。
 校長にはすでに連絡が届き、てぐすね引いて、待っている。
 しかし、こういうことが何回か続くと、いいかげん私も策を練る気になった。
 駅のホームで匂いの誘惑にさらされるのは、全校生徒が同じである。
 賛同者は、すぐに集まった。
 先生たちの目を盗んで会合が持たれ、計画が練られ、ついに実行の日を迎えた。
 その日、朝からホームは異様な雰囲気だった。
 ホーム上の群集の半分を、我が校の生徒が占めるが、その全員が鼻の穴にチリ紙を詰め、口を開けて、
「スーハースーハー」
 と息をしているのだ。
 花も恥らう嫁入り前の娘たちだが、団結力とは恐ろしい。
 さっそく先生が見とがめた。
「あなたたち、みっともないから止めなさい。何をしているの?」
 私は答えた。
「…あら先生、みっともないとは心外です。私たちはただ、そばの匂いをかぐまい、としているだけです。校則を破らないためのけなげな努力を、先生は評価しないんですか?」
 先生は返す言葉がない。
 タイミングよく到着した電車にそそくさと乗り込み、先生は姿を消した。
 ホームでは毎日、私たちは同じ光景を繰り返した。
 登下校時だから、日に2回で、町の噂にならないはずがない。
 3日目には、ついに新聞記者がカメラマンを連れ、姿を見せた。
 実は、新聞社に電話して知らせたのは私だが、肩につけられた
『XX新聞』
 という腕章に気づいたときの先生たちときたら、もう卒倒しそうであった。
「ああ…」
 と倒れかける先生を、別の先生がとっさに支えて、事なきを得たが、不心得な生徒がその光景にプッと吹き出し、鼻に詰めていたチリ紙を、紙鉄砲のように飛ばしたのには、全員が死ぬほど笑った。
 連鎖反応は恐ろしい。
 笑いの渦に巻き込まれ、結局全員が、鼻からチリ紙を飛ばしたのだ。
 折からの風に乗って、白い紙は空中を舞い、その数の多さはまるで、
『木枯らしと共に、秋の終わりを告げるボタン雪』
 のようである。
 さすがはプロなのであろう。
 カメラマンは、すかさずシャッターを切り、新聞協会賞もののこの写真は、翌日の紙面を飾った。
『M駅ホーム上に限り、下校時の買い食いを例外的に認める』
 と校長がお達しを出したのは、その日の午後のことであった。
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