第1話

文字数 1,473文字

「しまった・・・・!」

 そんなようなことを言ったような言わないような、考えたかどうかも有耶無耶のままに、俺は消えた。
「そのこと」に気付いてしまったまさにその瞬間、俺という存在が、すっかり失われてしまったのだ。





 気付かずともよいことなど、生きているうちには幾らでもある。見なくともよいこと、聞かずともよいこと、知らずにいればよかったと肩を落とすことなどは多々あり、特に、情報社会とも言われて久しい昨今ならば尚更で、要らぬ情報だらけであることは致し方ないとも思われるし、必要な情報だけで生きていこうという方が大変難儀であるに違いない。
 かくして、要らぬことを知ってしまったからとその度に後悔をしては、見るものや耳を傾けることにいちいち警戒心を働かせ、石橋も泥の船も叩き壊しながら、徐行して蛇行して尾行して、いやいや、遠回りしてでも回避して、ともすればよいのだろうが、なにぶん我々人間というのは好奇心だとか興味本位だとか怖いもの見たさだとか言っては、近道のつもりで潜り込んだ地下道で迷子になったり、不味いものは体に良いはずだなどと言って得体の知れないものを無理矢理食べて食あたりになったり、気分転換の為に行った肝試しで憑かれて疲れたり・・・、
なんだか話が脱線しているようだ。
 だから、俺が何を言いたいかといえば、ーーーーまぁ実際、俺はもう居ないのだから言えたことでは無いのだがーーーー俺が言いたいのは、気付かなくてよいことには気付くな、ということだ。この話のはじめに既に言っているし、それ以上でも以下でも無いわけだから、くどくどしくなるが、もう一度でも二度でも言いたい。それはリフレイン技法がもたらす効果のそれでもある。
 何故こうまでしつこく言うかといえば、それは俺の不幸自慢のためでもある。俺自身が被った大変な不幸を、できるだけたくさんの人々に、それも、幸福そうに暮らしている奴らには特に、声を大にして言いたい、だけである。
 そうなのだ。俺は大変な不幸者なのだ。気付きさえしなければ良かったことに気付いてしまったばっかりに、こんなふうに、存在ごと綺麗さっぱり消えて無くなってしまったのだから、これ以上に不幸な奴など、まずおるまい。
 それに今だからこそ言えることではあるが、自らの僅かばかりの知能さえ恨むこともできる。
俺が、母親の乳房に吸いつけば生きられると本能的に感じ取れるだけの産まれたばかりの赤ん坊と同等の知能しか持ち合わせていない俺であれば、あるいは消えずに済んだかもしれない。
 それにしても、あのことに気付かなかったならば、今頃はどうしているだろう。
 まぁ、その赤ん坊ほどの知能だけであれば、思考とは違う“感覚だけの恐怖” はあるにしろ、付加価値を携えすぎた重苦しい死を意識しない分、事態はシンプルであろうが、生憎と俺はそうではなかったし、だからこそ気付いてしまったのだろう。
 しかし、たとえば、あのことにだけ気が付かなかったのならば、今頃はどうしているだろうか。
訳が分からずひたすら考えあぐねているだろうか。とにかく彷徨い続けているだろうか。それとも、何かをどうにかこうにかして何かしらの策を見出しただろうか。ともすれば消えずに済んだかもしれない。もしくは、気が触れて歌でも歌いながら踊っているかもしれない。あぁ、それよりはもはや、こうなってしまった今の方が幾らか救われている気もする。
 いや、そんなことはいいのだ。今になってわざわざ考えるべきことではない。タラレバの話などはするだけ無駄だ。

 それより、何か考えたいことはなかっただろうか。


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